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ないのがもどかしい、あるのももどかしい

こんにちは。Natsuです。今日は文化的な休日を謳歌しました。朝からずっと、頭の中は好きな音楽や舞台のことでいっぱいで、夕方は特に演劇について考えていました。

以前この記事で書いたように、わたしは恋愛感情をもつことがなくて、恋愛についての歌や映画や物語が、「恋愛感情をもつ人」ほどはわかりません。

全く意味がわからないとは思っていないけど、多分よくわかっていません。そのことが、文化や芸術に触れるときに、もどかしく感じられることが、多々あります。芸術家の背景を読んだり、自分の経験と重ね合わせたりしながらの鑑賞行為において、多くの芸術家や鑑賞者には(恐らく)ある恋愛感情という概念や大切さや重みが、自分には(わから)ないので、恋人欲しいとかセックスしたいとかは思わなくても、この絵や音楽や小説にもっと深く刺されたい!という渇望が時々あるわけです。

一方で、作品を鑑賞する上で鑑賞者には「ない」のが前提のものを自分が偶然にも持っていたら、それはそれで芸術家の作品を味わうにあたって障壁となってしまいます。

今回はその「ある」がゆえに障壁となってしまうパターンの紹介です。

題材はこちら。「ブルーシート」/飴屋法水

「ブルーシート」は第58回岸田國士戯曲賞を受賞しています。岸田國士戯曲賞というのは、「演劇界の芥川賞」です。「ブルーシート」は高く評価された作品というわけです。

わたしも「ブルーシート」が上演されるのを見たことがあります。この戯曲を飴屋さんと一緒につくり上げたいわき総合高校の生徒さんたちが、いわき総合高校の校庭で上演した、「贅沢」なバージョンのものです。

2014年に福島県いわき市でつくられたこの戯曲は、あえてこうタグ付けしますが「震災モノ」です。東日本大震災のことが大事な1要素となっている作品です。震災以降、本当にたくさんの「震災モノ」の本や舞台が作られました。わたしも「震災モノ」の舞台を作りました。

いわき総合高校には演劇コースがあって、わたしが見たのはそのコースの生徒さんにとっての卒業公演でした。同じ年で同じ地区で高校演劇をしていたわたしは、製作者兼俳優として舞台(校庭だけど)にいたうちの何人かは演劇のコンクールで何回も顔を合わせている人でした。

わたしにとって、「ブルーシート」という作品は、あんまり面白くありませんでした。もう2度と見たくないわけでもないけど、もう1回見たいわけでもありませんでした。約1時間の公演が終わったとき、「へー、今年はこういう感じにしたんだ」くらいしか、思わなかったんです。

わたしは、自分自身が、この作品に無感動だったことが、なんだか嫌でした。いつもコンクールで上位をとっていく、設備にも顧問にも恵まれたライバル校が妬ましかったからかなあ、と思いこもうとしていました。でも実際は、わたしは自分自身が俳優として舞台に上がるのが苦手で、体や声や顔で何かを表現するのが本当にできなかったから、それを堅実に訓練して積み重ねている彼らのことはむしろとても尊敬していました。全国大会に行くような芝居を市大会で見せてくれるのを、いつも楽しみにしていました。演劇部で作るコンクール用とは別の、演劇コースで作る劇だって、とっくに部活も引退しているのにわざわざ1人で観に行くくらいには、ファンでした。

でもブルーシートは面白くなかったんです。

「ブルーシート」が岸田國士戯曲賞をとっていたのを知ったのは、つい先日、本屋さんで単行本を目にしたからでした。

あの戯曲、賞とったんだ。わたしには何が面白いか、わからなかったけど、何が良かったんだろう。

高校演劇のコンクールでもそういうことがままありました。「震災モノ」の創作劇を、東京や他の地方から来た審査委員が褒めているのを、「何がよかったんだろう」と釈然としない思いで聞いていました。

ブルーシートが面白くない謎も、その周辺に答えがあるような。

三年前の震災の被災地である福島のいわきの高校生たちと作られた上演である『ブルーシート』は、死を突き放すように眺めることと、生に食いついていくこととの別け隔てをなくしてみるという体験を、観客にもたらすものであっただろうと、読んで感じることができた。そんな体験、なんて希有な体験だろう。

出典:第58回岸田國士戯曲賞選評(2014年)エポック・メイキング  岡田利規

「そんな体験、なんて希有な体験だろう。」、ここ。

作品を鑑賞する上で鑑賞者には「ない」のが前提のものを自分が偶然にも持っていたら。

そこが、この戯曲を魅力的に仕上げるためのアイデンティティだとしたら。

わたしは生まれたときからずっと福島県の沿岸に生きてきて、15歳で震災を経験して、その後もずっと震災後の社会を福島の沿岸の人として生きてきました。だから、「福島」のことも、「福島の高校生」のことも、芸術として作品として見るのが、難しいんだと思います。「福島の高校生がやるからこそ面白いこと」をフラットに思える場所に居ることができないんです。わざとじゃない。むしろ、意図的になんとか外から見よう外から見ようと努力しても、できないんです。

あの震災の後、あの事故の後、いろんな芸術家が、鎮魂や葛藤や激励や変化を表現してきました。でもそれらの多くを、わたしは芸術として見ることができないんです。「別に見られなくてもいいじゃん」と思わないでいただきたい、わたしは、どうしようもなく、「大災害を、被災していない芸術家がどう表現するのか」を見たかったんです。見たかったけど、自分は芸術家が、被災していない人用に作った作品を、結果として楽しむことができないから、もどかしいのです。

1月17日も過ぎた2021年の福島県では「10年の節目」という言葉を聞く頻度が少しずつ増えてきています。

一度経験したことはなかったことにはならないから、家を建てても生活が戻ってもより便利に豊かになったとしても、あの震災で被災した人は、あるいは他の災害で被災した人は、「生き残って災害後の世界を生きる自分」でしか生きられないんだってことを忘れないでいたいなと思いました。

もどかしいなあ。

皮肉でなく、自分が被災していない状態で「花は咲く」を聞いてみたかったし「ブルーシート」を、「もしイタ」を、「FF」を、見てみたかったなあ。

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