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ままどおる、さよならミニスカート

こんにちは。Natsuです。みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

わたしの勤める会社は祝日はお休みですので、本日は4連休の3日めです。明日1日で休みも終わりかあ。就職してから今まで、いわゆる「カレンダー通り」以外の休みをとっていないので、こんなに仕事をしないのは初めてです。

4日間休みが続くと、「何もしない」休みがちゃんととれます。普段の土日も結局、だいたいは仕事のことを考えていたりするので(良くない)、1ヶ月に1回は4連休欲しいです。「何かする」休みも楽しいけれど、やはり「何もしない」休みがないと生きていけないなと実感します。

さて、ままどおるというお菓子をご存知ですか?

わたしの出身地福島県の銘菓です。「ミルクたっぷりママの味」というテレビCMは地元ではあまりにも有名。別に福島の特産品を使用したお菓子という訳ではなく、福島の製菓メーカーが昔から作っていて、昔から愛され続けている、そんなお菓子です。

味わいを説明しようとすると難しいけど、ミルク風味の白あんが入った変な形のおまんじゅう...だろうか...なんかこの説明だと美味しくなさそうですけど、美味しいんですよ!

地元の銘菓って、住んでいる人はあまり食べない、というものも中にはありますが、ままどおるはそんなことなく、部活の差し入れでもらったり、親戚の家に行くと置いてあったり、そんな身近な存在です。

それから、忘れてはいけない、柏屋の檸檬。

檸檬と書いて「れも」と読みます。こちらもまた福島が誇る老舗のお菓子屋さん、「柏屋」で作られています。檸檬ほんと好き。これは簡単に言うと檸檬風味のチーズタルトです。下のタルト生地がボロボロに崩れやすいので、地元の子達はどうやって食べるか、それぞれのスタイルを持っています。わたしはカップの中に入った状態で8つに切ってから、上から突き刺して食べます。切りながら食べ進めると崩れるので、切ってから食べるんです。

福島の銘菓で上記2つはまず外さないでしょう。わたしも好きだし、老若男女みんな好きです。

ちなみに、三万石も柏屋も、どちらも福島県の中通り地方というところの会社なのですが、ままどおると檸檬に関しては、浜通りの民も会津地方の民も、珍しく一丸となって「福島県といえばこれだよね〜」とニコニコしちゃう逸品です。

福島県の3区分、浜通り・中通り・会津の「3県分立」は他の都道府県では類を見ないくらいに顕著で面白いので、いつか語りたいものです。あ、わたしは浜通り出身なので中通りと会津のことは一切知りませんけど(こういうところ)。

さてさて、そんな地元銘菓を引っさげて、連休を利用して両親と祖母が会いに来ました。

わたしは正直彼らのことが苦手なので、観光に付き合ったりはせず、一度食事をして解散しました。

おばあちゃんは、浜通り生まれ浜通り育ちで、今年で88歳になります。怪我や病気で一時期入院していたけれど(忘れもしない、約3年前、わたしはおばあちゃんが入院する病院までの運転を任され、免許取得後初めての運転でABSを作動させた、超怖かった、事故るかと思った)、リハビリを頑張ったようで、数日前に会った際は自力で歩いていました。すごい。

おばあちゃんとわたしは、基本的に全然話が噛み合いませんが、お互いにお互いのことを、「なんだか得体が知れないよくわからない奴だけど、悪いやつではないようだし、色々世話になっているし、とりあえず優しくしておこう」と思っています。

おばあちゃんに直接聞いたわけではなく、誰かから間接的に聞いたわけでもありませんが、わたしはおばあちゃんのことをそう思っていて、おそらく、おばあちゃんもわたしのことをそう思っています。

小学生くらいまで、わたしは「女の子らしくしなさい」と言われるのが本当に本当に嫌いでした。自分が女の子であることを認めたくない気持ちはあり、かといって男の子になりたい訳でもなく、自分自身どうすればいいのかわかっていませんでした。ただ、見た目に関してはかわいいよりかっこいいの方が憧れのイメージに近かったし、スカートは数えるほどしか履いたことがありませんでした。誰かから自分の髪の長さを指摘されるのも、服装や話し方のことを言われるのも、何かと男女で分ける癖のある学校の制度も、本当に嫌いで嫌いで仕方ありませんでした。

そしてわたしに「女の子らしくしなさい」と言ってくる筆頭はおじいちゃんとおばあちゃんでした。

どうしてすぐ髪を切ってしまうのか、どうしてそんなに日焼けするのか、どうしてお人形で遊ばないのか、どうしてお兄ちゃんのお下がりばかり着るのか、どうして黒いランドセルがいいのか、どうして◯◯高校になんて行くのか(わたしの行った高校は市で一番の進学校で、入学する数年前までは100年以上の歴史をもつ男子校だった)、どうして実家に顔を出さないのか、どうして大学に行くのか、どうして結婚しないのか、どうしてせっかく大学を卒業したのにまた大学に行くのか、どうして、どうして、と繰り返し繰り返し、顔を見るたびに糾弾してくるその言葉は対処に困るもので、それを発するおばあちゃんのことも苦手でした。

高校卒業とともに実家を出てからしばらくして、「まあ、わたしもおばあちゃんが若かった頃のこととかわかんないし、おばあちゃんも孫に自分の思い描く「幸せ」から遠ざかって欲しくないだけなんだなあ」と気づきました。その結果、わたしは譲歩を覚え、「大学院行く」じゃなくて「面白そうでやりたいことがあるからやる」と表現するようにしたり、会いに来ると言われても露骨に嫌がらないようになったりと、表面上いい方向にいっています。祖母と孫なんて、もともと他人のようなものですし、表面上、会っている間だけ問題なければそれでいいと思います。薄情でしょうか?

ちなみに、先日会った時、おばあちゃんは上記のような「幸せテンプレ」を押し付けてくることはなく、「コロナのワクチンがもうすぐできるってテレビで言ってっけど、なっちゃん本当け?」「贅沢してっと火葬したときにわかるって聞いたけど、なっちゃんそうなのけ?」とかを聞いてきました。いや、ごめんばあちゃん、知らないよ...。もうすぐ90だというのに頭はかなりしっかりしているようです。すごい。

おばあちゃんとの話も頭をよぎり、気になっていた漫画「さよならミニスカート」をkindleで買って読みました。

なんでも、主人公は「女子で唯一、スラックスで通学」しているらしい。

え!


え!!


わたしじゃん。


そう、わたしは高校生の頃、スラックスで高校に通っていたのです。何だこの漫画は!時代がようやくわたしに追いついたか!!とワクワクして読んでみたのですが、なんか、思っていたのとは違いました。というか、わたしとこの漫画の主人公は全然違っていました。まあ、冷静に考えれば、自分と漫画の主人公がリンクするなんて偶然、そう簡単にあるわけないんですけど。

前述の通り、わたしが通っていた高校は、100年以上の歴史をもつ元男子校の県立高校で、(今日書いている内容だけで確実に高校を特定されうる〜〜)そうはいっても入学時の男女比率はほぼ半々でした。男子の制服が学ランで、女子の制服はブレザーでした。

中学校ではセーラー服をいやいや着ていたものの、この高校の女子制服にはスカート(厳密にはスカートではないのだが、広義ではスカート)だけでなくスラックスの選択肢があったのです!わたしは春夏の暑い時期はスカートを履いて、秋冬の寒い時期はスラックスを履いていました。

「さよならミニスカート」の主人公と違うのは、わたしは「男になりたくて」スカートを履かない道を選んだのではなく、スラックスを履きたいから履いていただけ、という点です。女性性への嫌悪とか、そういうのとは別で、自分はこうしたいから、と思って実行していただけでした。

でも、世間はわたしを「男の子になりたがっている子」と評価しました。制度上は、女子のスラックスは正式な制服として認められていますが、実際に履いていた子はほとんどいませんでした。全校で500人くらいいる女子生徒のうち、スカートではなくスラックスだったのは、わたしとあと一人だけで、その子は変なあだ名をつけられ、露骨に、いじめの域に入るほど、「からかわれて」いました。

実際、ブレザーの下にスラックスを履いているだけで、校内でも校外でも、ものすごく目立っていて、はじめの頃は視線が刺さりまくる居心地の悪い数ヶ月を過ごしました。帰り道では知らない先輩にスカートを履かない理由を追求されるし、市立図書館のトイレでおばさんにヒソヒソされるし、トランスジェンダーだと勘違いして変な気を遣ってくる人もいました。

どうやら、この時、スカートを履かないことには、みんなが納得するような、絶対的な強い理由が必要みたいでした。でも、せっかく買ったし、悪いことしているわけでもないし、と思って履き続けていると、だんだんに周りが慣れて、わたしも慣れて、3年生の頃には、スラックスを履く女子生徒がちらほら見かけられるようになっていました。ここまで来るとむしろ誇らしかったりしますね。

と、芯を通したっぽい書き方をしましたが、実際は2年の冬くらいで折れていました。楽に生活したいだけなのに、知らない人にジロジロ見られて噂される、という煩わしさに耐えられなくなり、3年の頃は寒さと下痢に耐えながらマジョリティに混じってスカートだけ履いていました。私生活でスカートを履くことは基本的にないものの、制服としてスカートを履くことは中学の3年間で慣れていたので、別に精神的苦痛とかはなかったんですよね。ただ、選べるなら冬は履きたくないなというだけだったので。

高校1年生の冬、演劇部の特殊な事由により、わたしは世界史担当の顧問(身長2mで威圧感すごい)と2人で隣県の雪国に数泊滞在していました。雪国に行くのだから、もちろんスラックスで、その下に厚いタイツを履いて行きました。わたし、足元が冷えるとシャバッシャバに下痢する体質なのです。

そこで、向かい合って晩ごはんを食べていたら顧問に

「これまでに、いじめられたことはあるか」

と聞かれました。ないです、と答えました。実際、わたしはこんなにひねくれていて好き勝手生きているのに、運良く、いじめられたことがないんです。

顧問は、

「君は出る杭だ。出る杭は打たれる。出る杭を打つとき、人は容赦しない」

と忠告してくれました。多分これは、スラックスの件についてだったと思います(他のこともあったかもしれないけど、思い当たらない)。

顧問からのこの言葉もあり、わたしは考えの違う人相手に、やすやすと迎合します。ヘラヘラして、本心でなくてもそれらしい事を言っておけば、向こうは「得体が知れないけど悪いやつではないようだし、とりあえず優しくしておこう」と思ってくれます。

こんな、大衆にヘラヘラする自分嫌だな、そうやってヘラヘラする先に今みたいな生きづらい社会があるんだろ、Be the change what you want to see in the worldはどうした、と自責していたころもありましたが、今となっては「この程度で、魂を売ったことにはならない」と思えます。

「迎合と奉仕は違う」  尾上右近

楽に生きるのが目的だから、手段の末端はどうだっていいのです。

大事なものだけ手に持って、あとは野となれ大和撫子。


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