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コロンビアからの絵葉書

日本の領空を初めて外れ、私はマドリッドに降り立った。誰も私を知らず、私は誰も知らない。新鮮な大地の息吹が胸を満たした。

早朝、マドリッドで角材を振り上げた女性に追いかけられ、逃げた。闘牛場で出会った日本人の青年はテニスラケットを持っている。襲われて身ぐるみ剥がされたので、護身用だという。

バルセロナからセビーリャに向かうため、鉄道のカウンターに並んでチケットを買おうとしたが、担当の女性と言葉が通じない。諦めて離れると、ひとりのおじさんが話しかけてきて、バス乗り場に案内するという。セルジュ・ゲンスブールのような白髪で渋い男だった。

騙されているかもしれない。でも、それも旅だと言い聞かせ、私はゲンスブールについて行った。彼は北部のガリシア地方の出身で、スペインはひとつの国ではない、と言った。彼もまた独立運動の闘士なのだろう。スペイン内戦、世界大戦、フランコ独裁、バスク過激派。

狭い路地に入っていく。ますます私の不安は高まる。彼は小さな店に入った。そこはカウンターだけの飲み屋で、女性がひとりで営んでいた。彼女の名はカルメンといった。本当にそんな名前の人がいたのだ。

何を飲む?ゲンスブールが訊いたので、白ワインと答えた。私が知っているスペイン語は、簡単な挨拶、数字の1から4、ビール、赤ワイン、白ワイン、以上だった。ゲンスブールは強い酒を注文し、バス乗り場までの道を私に教えた。礼を言い、酒代をおごり、また白い路上に出た。

大きなマーケットでイチゴを買い、私は長距離バスに乗った。乾いた大地で育った完熟のイチゴは車内に強い芳香を放ち、隣に座った女性は前方の席に移動した。バスはアンダルシアへとひた走る。

セビーリャが近づき、私はどこで降りればいいのかわからなかった。近くに座っていた若い女性ふたりが話しかけてくれて、旧市街で一緒に降りた。

ふたりはアルゼンチン人とコロンビア人で、バルセロナで働いていた。セビーリャには祭りに合わせて遊びに来たのだった。街はとても古くて落ち着いていた。3人で宿を探すが、どこも満室だった。やっと見つけたホステルは女性ふたり分の相部屋しかなく、彼女たちは宿をとった。

それでもふたりは、私の宿が見つかるまで付き合ってくれて、何とかドミトリーのようなベッドを確保した。3人でご飯を食べに行き、拙い英語で談笑した。テラスには花が咲き乱れ、鳥がさえずり、空は抜けるように青かった。

滞在中、時々ふたりの部屋に遊びに行った。アルゼンチン人女性はラテン系の白人、コロンビア人女性は様々なルーツを持つ混血だった。やがて街には人が溢れかえり、壮大な祭りが始まった。

私は、セビーリャからアンダルシアを巡る旅を続けた。海の向こうにアフリカ大陸が見えた。時は湾岸戦争の直後で、ヨーロッパの空港はテロ予告を受けて観光客はほとんどいなかった。

男女はどこでもキスをしていて、石畳に並ぶ古本を老人が品定めし、バーの主人はもう一杯飲んで行けと言う。詩が溢れていた。

帰国後、コロンビアの女性から絵葉書が届いた。コロンビアの海辺の大都市の写真の裏には、いろいろと近況や日本についての質問が英語で書いてあった。私は返事を書かなかった。

一年後、また絵葉書が届いた。そしてまた、私は返事を書かなかった。

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