【好きなもの】月ノ美兎 にじさんじプロジェクト

 2019年5月22日にあったにじさんじJK組マイクラ配信のでろーん視点のサムネイル画像を見て感動した。私の思う月ノ美兎そのもの、そしてJK組そのものの様なイラストを見てつい指が踊ってしまったので、赴くままにキーを叩き記事にした。

 月ノ美兎に対する感情を整理していたんだけれど、メインになるのは性的な欲求を含めた恋愛感情ではなかった。彼女のようにありたいという憧れとも少し違う。本質は、近くで見ていたい、仲良くなりたいという感情が近いのではないかという結論に至る。単語で言うなら慕情だ。ボジョー。友情に至る前。慕うという感情。
 恋愛感情を向けている人も、憧れを感じている人も居るのは判る。それらも含め様々な意味で月ノ美兎を好きな人が35万人くらいいることは数字として出ている。その中で、特に私が抱いたこの感情がどういうものなのかを、改めて私の言葉で表現しておこうというのがこの記事の趣旨である。

 今や35万人もの登録者数を誇りバーチャルライバーの第一線を走る月ノ美兎だけれど、私の中には月ノ美兎は「クラスメイトである」という感覚が生まれている。恋愛対象として見るにもアイドルとして憧れるにもあまりに近い、友達以上恋人未満を地で行く悪友ポジションである。
 それはなぜか。月ノ美兎の性癖(※1)があまりに「俺ら(※2)」に近いせいである。

※1 明らかに誤解を生みやすい言葉を敢えて使うのはオタクにありがちな悪い癖(それこそ性癖)なんだけれど、この場合の性癖は性的嗜好ではなくて、単に性格・指向・在り方という意味である。
※2 ここでは単に一人称複数形ではない意味を持つ。俺らであり、お前ら。ニコニコ大百科参照。

「クラスメイトである」という感覚を生んだのは月ノ美兎委員長というキャラクター設定含めこれまでの活動の結果であるし、本人の性癖が周りと噛み合っているからこそ起きていることでもある。(本人はあくまで自分のやりたいことをやっているだけだということと、一流のバーチャルアイドルという目標に掲げているものとは多少違ってしまっているかもしれないことは敢えて明記しておく。)
 ちなみに、月ノ美兎の性癖は俺らに似ているけれど、それはあくまで相似であると思う。相似であって合同でない。ベクトルで言うならスカラーが違う。方向性は同じだけれど、俺らの持っているものよりもほんの少し大きいのだ。その大きさは、趣味嗜好の領域の広さであるとか、それを実行に移すだけの実行力であるとか、エンタメに身を投じる精神力であるとか、さまざまな部分での大きさである。それゆえに「似た方向性」に対する共感と「自分よりほんの少し大きい」に対する羨望を同時に満たしている。あくまでも方向性が似ていて、俺らより一回り大きい俺ら。それが月ノ美兎なのだ。

 そして「にじさんじ」という環境も「月ノ美兎」の構築に大きな役割を果たした。にじさんじという箱庭には月ノ美兎と同じくらい魅力的なクラスメイトが多数揃っていて、それらの関係性を踏まえた疑似的なスクールカースト上位層が俺らの近くに完成したのである。そして、そのカーストには実質的な「下位」が無い。彼女たちは俺らを踏み台にしてその舞台に上がったのではなく、俺らがその舞台を盛り上げることによって相対的に上位になっているだけなのだ。俺らは俺らで、舞台の上にいるにじさんじメンバーがわいわいやっているのを遠巻きに眺めるのがすでに楽しいし、その活動に対して一緒に盛り上がる機会も、積極的に支援する方法もある。そして、新しく舞台に上がってくるさまざまな「元・俺ら」を歓迎する準備もできている。にじさんじという舞台に関し、委員長たちライバーは自ら舞台に上がることを選んだ「勇気のある俺らのクラスメイト」なのである。
 この「距離感」は、Vtuber特にバーチャルライバーというコンテンツを語る際の最も重要な項目であると思っている。それについて触れているKANA-DEROの記事はこちら↓。

 その方向性と活動と距離感の絶妙な噛み合いの結果、俺らは彼女に対して「こんなクラスメイトがいたら楽しかっただろうな」と、あり得たかもしれない放課後を夢想する。
 それはあくまでも理想の放課後であって、俺らには月ノ美兎のような、面白く、可愛らしく、分け隔てなく接してくれる、少しポンコツで、たまにぶっ飛んだことを言い、しばしばぶっ飛んだことをやる、けれどやっぱり面白いクラスメイトはいなかった。それは大多数の俺らにとって紛れもない事実である。そしてだからこそ、多くの学園モノの二次元キャラクターはその価値を高く保っているという側面がある。
 だが、月ノ美兎はそれらの二次元キャラとは一線を画す。文字通り次元が違うのだ。二次元のキャラクターと違って、彼女はどこかに実在する。あるいは実在したのだ。だから「俺らにはなかったけれど、この世のどこかにはあった放課後」を現実の延長として彼女の配信に見ることができる。
 これを現実に作りうる、理想という二次元と現実という三次元を行き来するのが、にじさんじのバーチャルライバー・月ノ美兎である。

 多くの俺らにとって、多くの有名人は俺らよりも大きい存在で、その中には俺らととても良く似た方向性の人がいる。ただそれらの人達に対しても、現実の肉体や立場というものは何らかの差異・障壁を感じさせてしまう。バーチャルライバーという存在とインターネットの半匿名性はその障壁を取り除きやすく、この感情を向けるに足る要素を兼ね備え過ぎているという話である。
 ただ、それでも、この感情は月ノ美兎だけに限った話ではない。類似の感情はにじさんじを含め多くのバーチャルライバーに対して抱くものである。私はにじさんじだけでも少なくとも樋口楓、静凛、夕陽リリ、剣持刀也、叶、本間ひまわり、葛葉、卯月コウ、雨森小夜、御伽原江良、アンジュ・カトリーナにはそれに似た感情を抱いたことがある。それでもこの記事で敢えて月ノ美兎を取り扱っているのは他でもない、

 私は、月ノ美兎に惚れているのだ。


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