【ブログ】小糸侑ととある感情を共有した話

 まず初めに断っておくと、私は「やがて君になる」が本当に好きです。第一巻を初版で買って読んだ時にかつてない衝撃を受けて、「私が書きたい物語はこれだ!」と強く思いました。その時の感動は本当に大きく、第一巻は何度も何度も読み返して各キャラクターの感情の動きについて書き起こしたり、自分が作る作品の糧にしようとずっと考えていました。続くシリーズも初版で揃え、アニメの放映が決まり脚本が花田十輝先生だと知って狂喜乱舞したりしていました。
 ですが、実際にアニメの放映が始まる直前の5巻。発売日は2018年8月ですね。私はこの5巻を発売時期に買いませんでした。アニメの放映が始まり、OPEDが素晴らしく、作画の評判も良く、花田脚本の受けも良いという世間の評判を聞き、百合好きの友人がアニメやが君を推しているツイートを見てひっそり誇らしく思っていましたが、何故か放映時期にアニメを見るということはしませんでした。
 以下に、その理由について考えたツイートのまとめを掲載します。
 今回は作品紹介ではなく、自分語りを大いに含みますので閲覧の際はご注意ください。ではどうぞ。

 私自身「好きなタイプは自分を好きにならない人」っていう性癖なので、やが君を初めて読んだ時ものすごく感動したんですよね。侑と燈子と槙それぞれ重なる部分があって。だけど、それぞれほんの少しずつ違うので自分に似ていたものとの差異を感じてしまって今唸ってる。
 4巻で止まってアニメも見なかった理由がこれに対する無意識の拒絶なんじゃないかという説が私の中でむくむくと。4巻は侑が燈子に好きを向け始めるところなんですよね。自分の中の好きを意識し始める、というほうが正しいかな。自分に近い存在だと思ってた侑の乖離に耐えられなかったのではないかと。
 恋愛感情を向けるのも、恋愛感情を向けられるのも苦手なんですよね。そんな私だから1巻の侑の「ずるい」に対してとても感動したわけで。燈子が「好き」になることを知ってしまったときの感情。それを今度は侑に対して抱いてしまうわけですよ。私が。この後燈子もそうなるのかなとは思ってるけど。
「誰のことも好きにならない」って言ったくせに、ってやつを。侑が燈子に抱いていたその感情をそのまま私が侑に抱いてしまったんですよ。これ、かなりダメージ大きくて。
「わかってるよ。わたしが勝手に期待してわたしが勝手にがっかりしてるだけだ。わたしと小糸侑は違うんだよ」
 ってところで。
 で、問題はここで「わたしもそっちに行きたいのに」とならないところなんですよね。私はそうならないんだ。たぶん本心。そういった意味では槙が一番近いんだろうとは思ってる。でも槙くん出番減ってますね? まぁ百合漫画の男性キャラなんて出現頻度低いに越したことはないんだけど槙くんは別でしょ。
 って感じで「好き」を知っていく小糸侑に心が耐えられなくて5巻以降とアニメを無意識に敬遠していたのかな、と見てから思いました。表面的なところで感情移入しすぎたせいでそのキャラクターの変化に耐えられなかった、そういった意味では見ていてかなり辛かった。理由が判ってからは尚更。
 ただ、小糸侑は初めから「わたしもそっちに行きたい」と明言していたので、明らかに自分とは違うキャラクターだったんですよね。それに大きく感情移入してしまったこっちのミス、という言い方も違うな……勘違いに近いもの、ということにはなるんですが。とにかくダメージは大きかった。
 ただ、作品自体とても魅力的であるという考えは今でも変わりません。沙弥香、堂島、叶ちゃんと他のキャラクターの魅力的な面が見えてきた5,6巻だったので相対的に増です。特に沙弥香と叶ちゃんが気になる。ノベライズも読まないとなー。

 宣伝だけは欠かさずしておくマン。ノベライズは『安達としまむら』の入間人間先生です。『安達としまむら』読んでない? そんなバカな。


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