【好きなもの】三秋縋『君の話』

 今回は読書感想文になります。

 三秋縋先生の『君の話』を読みました。三秋先生についてはツイッターをフォローしているんですが、時たま流れてくる短編小説のような心揺さぶるツイートがとても好きです。昨年、ツイートの中で引用で触れられた『君の話』が気になり、今回手に取りました。メディアワークス文庫から他に数冊刊行されているのは情報として知っていましたが、『恋する寄生虫』等も未読で、今回の『君の話』が私にとっての一冊目になります。
 他の作品を読んだことはないんですが、この『君の話』に限って話をするならば、普段ツイートから垣間見えている「三秋縋の世界の具現化」というのがしっくりくるところで、その感性に心動かされました。
『君の話』は、記憶を人の手によって作り替えることができる世界で、自分の過去を作り上げようとした二人の話です。SFの要素はありますが、深く掘り下げるのはサイエンスの部分ではなく、新しい技術を得られたことによって起こる人々の感覚の変化についてです。こういう技術があるのであれば、人々はそれを使うことによってこういうことを考えるように、感じるようになるだろう。そういった仮想を突き詰めてレンズに変え、現実にある感情を拡大し感動を生んでいる。そういう作品です。

 ひとつ触れておきたいのは『君の話』刊行記念のインタビュー記事の「物語」についての項目です。

 ファジー痕跡理論によれば、記憶というのは具体的な断片の記憶とそれらの断片を意味づける要旨の記憶のレベルに別れていて、この断片が誤った形で再結合したときに虚偽記憶が発生するらしいんですが、ここに他者の記憶の断片まで投入して意図的に誤った再結合を引き起こすことが「物語をつくる」ことだと思うんです。そもそも人間って、自分の物語を推敲し続ける生き物じゃないですか。冴えない記憶に最良の解釈を与えようと、つねに試行錯誤している。「昔は良かった」というのは、今より昔の記憶の方が物語として洗練されているという意味でもあるんでしょう。
 この再結合を繰り返す中で、時に人は自分の物語に致命的に欠けているピースを把握してしまい、それまでは単に「得られなかったもの」だったはずの経験を「あらかじめ失われたもの」として捉えて不当な喪失感に苛まれるようになるんですが、僕はこの不当な喪失感を意図的に創出してそれを小説の題材にする、というマゾヒスティックなマッチポンプを繰り返しています。

 三秋先生の物語はこういった理論に基づいて創出されているのだなと、このインタビューを見て驚嘆しました。ツイートにも感じられる三秋ワールドは「霊感」という個人に偶さか備わったものからではなく、こうなればこうなると理路整然と説明できる理論によって生み出されていると知った時の衝撃。このインタビュー記事を見て、三秋縋先生が小説家になるだけの努力、それは読書であったり思考であったり執筆であったり様々な物事をひっくるめるための言葉ですけれども、それをしているんだというのを実感しました。

 形式としては、やはり「08 リプライズ」の直前に差し込まれるレコードの場面転換を粋だと感じました。これをここに挟んでいることが前後含めていい塩梅になっていると思います。素晴らしい。
 ここから「君」の回想が長く差し込まれていて、私は物事を物事のまま綴っているのが非常にもどかしく感じてしまう性質なので、ほんの少し不満を覚えました。ここは好みの範疇なのですけれど。しかしそれもほんの数ページでした。「君」の、自分の孤独に関する話。この『君の話』においてかなり大きい要素を占める孤独についての話は、目に入れた瞬間に魂を掴まれた感覚がありました。今作に関しては感情移入先は主人公の「僕」ではなくてヒロインの「君」なのかなと思います。喪失感に対してではなく、何かに焦がれる欲求の方が移入はしやすいでしょうし、なにより希求する行動を最初に取ったのは「君」の側ですし、というところで。インタビューでも「異性を視点人物に据えると本音が浮き彫りになる」旨の発言はあったのであながち間違いではないのかなと思ってます。
 記憶の中の最高の存在を義者を騙る詐欺師という形で最低の存在に落とし、その成立にかかる過程を提示することでその存在そのものに感情移入させるという形式が物語の感情曲線上、非常に効果的だと感じました。最高の相手を拒絶しなければならないんだけれど、拒絶しなければならない立場にいることに理由があって、そこに自分から寄っていくようになる。そしてその頃には相手が立場を失っていて逆に拒絶され、さらにそこから……と、もうジェットコースター感が半端ない。こういった「出来事と感情の描き方」を論理でできる構成力が小説家という職業に必要な技術なんだなぁと改めて痛感した次第です。
 あとは、表現に関してなんですけれど、僕から見た「君」を描く場合、特に義憶の中の「君」と現実を比較する場合にかなり「力を入れるべき」ところが多く、そこは十全に機能している描き方をしていると思いました。秀逸な表現力。この構成力と表現力を併せ持つのが良い小説家の条件ですね。

 そして、物語の終わり方。感動の形について考えたのですが、物語が綺麗に終わっているのはもちろんのこと、その形式として1本の映画のようなきれいな感動があったんですね。小説は今までも色々読んできたのですが、人が死ぬ話でこれほどすっきりして終われるのは「その物語が完結しているから」なのかなと感じました。
 普通の作品だと、人の死から何かを得て残された人が前を向いて生きていくんですよね。何かを受け継いだり、新しい感情を持つようになったり、その先が作中で描かれるかどうかは別ですが「先」があることが前提の物語なんです。
 その点で『君の話』は、「大切な人の死から何かを受け取って遺された人が前を向いて生きていく話」ではないんですよね。亡くなってしまう「君」に関してはその過去も未来も全て閉じてしまってここで完結してしまう運命として描かれますし、主人公の「僕」は過去を全て「君」との思い出で埋めたうえで、未来にあるものを受け入れず空白を作りながら生きていくことを決めています。この2人の過去と未来を白く塗りつぶしているので、最後に提示された「今」だけが最大値として浮き彫りになっている、そういった形での感動の盛り上げ方なのかなと感じました。
 そういった「完結する感動」のある作品として『最高の人生の見つけ方』が近いのかなと考えていました。「君」と「僕」の人生の全てを回想しながら描いているという点では『フォレスト・ガンプ』もその形式に近いのかなとは思ったんですが、あれはどちらかというと「こうして人の世は続いていく」といった形式だとも思うので、少し違いますね。

 非常に面白かったです。私のバイブルに加わりました。

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