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受験英語はだめなのか

 英語を話したい人の多くが受験英語を否定するような発言をされます。確かに文法や単語重視であることは否めないのですが、果たして受験英語はほんとにだめなのでしょうか。いや、受験英語こそしっかりと身につけないといけないと思います。


■僕の経験

 僕は英語を本格的に話し始めて20年以上が経っています。通訳や翻訳という仕事もやっていますが、結論から言うと受験英語なくして今の自分はなかったと思っています。

 僕は中学や高校のときの英語は悲惨なものでした。今でも覚えているのはThere are apples...を「そこにはりんごがあって。。。」などと平気で授業中に訳していました。今考えると非常に恥ずかしい限りです。こんなレベルで大学に受かるわけがなく、案の定、浪人したのでした。

 代ゼミに行ったのが自分の英語を向上させるのに大いに役に立ちました。受験英語というのは、ある意味でテクニックが重要ですが、それでも英会話からまったくズレているのかというとそうではありません。文法や語彙をしっかりと覚えない限り、英会話にはつながらないからです。

 僕が代ゼミに入って先生がまず授業で言われたのは「中学・高校の教科書に出てきた単語や熟語は夏までには覚えること」ということでした。その理由について「中学や高校の教科書に出てきたものも覚えていないんだったら大学には受からない」と説明されていました。確かにそうで、高校までの英語が基本中の基本。そのため、夏前までには一生懸命全部覚えたものです。

 確かにこれをやった後、だんだん英語の勉強がラクになったのと楽しくなったのを記憶しています。それまでほとんどトンチンカンだった英語がこのときに一気に向上したのでした。

 浪人時代はその後も文法書をやって読解をだいぶ勉強しました。単語や熟語もとにかく暗記し、日本語から英語にパッと出てくるまで徹底的にやったのです。受験英語を通じて基礎を十分に固められた。これが今でもとても活きていると思っています。

■社会人になってから

 僕は就職の超氷河期時代の世代なのですが、周りが忙しく就職活動をやっている間に、のほほんとヨーロッパあたりをまわっていました。そこではもちろん英語を使っていたのですが、これがある意味で社会人になっても役に立った。

 僕はその後にインドネシアで就職することになりましたが、そのときに重視されたのはイスラームの知識と英語でした。浪人時代に英語をかなり勉強し、さらに大学時代に英語でもイスラームの勉強をだいぶしましたのでそれが企業側に響いたようで「すぐに来てください」と打診され、そのまま就職することになりました。

 といっても、当時、英会話はまだまだでした。インドネシアではある程度英語は使いましたが、インドネシア語も勉強していました。英語の基礎があったため、インドネシア語を勉強するのもそんなに大変ではありませんでした。

 また、タイや今のマレーシアでも英語は使い続け、特にマレーシアではかなり集中的に使うようになりました。これまで国際会議や商談などにも多数参加しましたが、やはり基礎がしっかりしていたので、なんとかやってこれた。特に受験英語を勉強したときは英語の構文や語法を徹底してやったので、それがかなり役に立ったと思っています。

■受験英語は本当に会話に役に立たない?

 英語を話すのはもちろん英文法を知っていなければ話になりません。なぜか日本では英文法を軽視する傾向がみられ、「英文法がわからなくても話せる」ような書籍も出ていたりします。

 それは旅行程度で定形文を使うのであれば、問題はないでしょうが、込み入った話や商談になった場合、やはり文法や単語、表現がわかっていないと会話は難しいです。そもそも外国語なので、どの言語であろうと、やはり文法は大切です。

 僕の時代の受験英語では文法が中心でしたが、特に文章の構造や動詞の語法は集中的に勉強させられ、読解だけでなく、会話でも十分使えるものを身につけられた。受験英語で基礎を身につけなければ今、自分は英語をこれだけ使うことはなかったと思うのです。

 そもそも受験英語もTOEIC、TOFLE、英会話も土台は一緒のはず。ラーメンはいろんな種類がありますが、ラーメンの麺を煮て、スープを入れるのはどこも一緒です。もちろんスープをどのように美味しく作るかは別問題ですが、根幹となるところは同じで、上記に挙げた英語のさまざまなテストも同様。要は何を目的にしたテストなのかだけを意識していればいいだけで、土台は一緒なのです。受験英語はいろいろとやり玉にあがりますが、僕は批判する意味がわからない。

 最近、受験時代にも使っていた原仙作『英文 標準問題精講』(旺文社)を読み始めていますが、これは1930年に出版されたとはいえ、非常にしっかりとしている。確かに出されている英文は古いので表現が古かったりしますが、それでも名文ばかりなので、これらを読んでいくと応用が効いてきます。

 以前、行方昭夫さんの本を読んでいたら、受験に出てくる読解文章はかなり洗練されたものばかりだと書かれていました。血肉にならない文章は受験では出てこないようで、ああいったいい文章を探し出してくるのは大変な作業なのだとも言っておられました。

 英語学者がそうやって苦労して探し出してきた文章を受験で使っているので、そうそう変なものはないはず。もちろん重箱の隅を突くような問題はあったりしますが、全部ではない。となると、受験英語関連の問題集や参考書も英語を勉強する人にとってはかなりいい教材ではないのかと思うのです。

 僕はいろんな言語をこれまで身につけましたが、結論として文法も読解能力がないとその言語はうまく操れません。会話能力ばかり身につけたとしても、結局、今の時代はメールや通信アプリで書くことも多く、文法や読解をしっかりと身につけておかないとコミュニケーションが取れない。それに会話が流暢な人でも、メールで英語を書かせると意味が通じない英語を書いてくる人も結構多いのですが、これは悲惨です。こうなってしまうと「ああ、結局ちゃんと勉強していない人なのね」と特に欧米では判断され、大損です。一つの言語をどうしっかりと身につけるかもその人の人柄や性格が見えてしまうのでしょう。

 となると、受験英語を馬鹿にせずにしっかりと身につけてみてはどうでしょうか。しっかりと身につけてから何が悪いのかを批判するのは結構ですが、ちゃんとやらずに批判するのは本末転倒だと思います。

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