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アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 フィリピン編⑯ アカルイオカマ

さて、今回はこれまで語って来なかった、フィリピンの田舎の風景その他の総集編です。
 
(1)米作文化
  東・東南アジアに共通する我々の文化であり、生活の中心である。米作りや米を食べるのを見ると、我々は安心できるし、共通するものを感じる事が出来る。
  熱帯だから、3期作くらいできるのか、と思ったけれど、せいぜい雨期作と乾期作の2期作らしい。それでも、乾季に、出来た米を、道路にムシロかゴザのようなものを敷いて干す風景もなかなか良いものである。中には、世界遺産に登録されている棚田もあり、これも日本と同じである。フィリピンらしいのは、水牛による農耕、川で水浴びする水牛も、フィリピンらしい風景だ。
 
(2)マンゴーの木
  バナナとマンゴーが、果物の代表であり、どこにでもある。バナナは色んな種類があり、加熱調理するものも多いが、デザートとしては大小あり、寮でも常に用意されていた。
 逆にマンゴーは、3~5月のフィリピンでも一番暑い時期に収穫されるが、木々は自然に生えて生繁って出来たものを取る、という自然任せ感が一杯である。常緑の大きな木々に、たわわに実るのは壮観である。
 
(3)レンタルビデオ
  まだDVDはなかったけれど、田舎の町にもレンタルビデオショップがあり、借りて寮の共用のテレビで観る事が出来た。古い映画が多かったが、当時封切られたばかりの「タイタニック」は完全な海賊版で、映画館で撮影されたことがわかるほど、画質も音声も劣悪だったけれど、フィリピンだから、と思って観ていた。
 
(4)教会とマーケット
  田舎の町の教会は、20人入ったらいっぱいのようなこじんまりとして居て、白壁の地味な教会である。常に数人が祈っている、雰囲気があった。アジアにフィリピンほどのカトリック信者がいる国は他にないので(人口1億ちょっとの9割以上がカトリックとその他のキリスト教)、枢機卿クラスの神父も居るだろうし、ブラックナザレという、黒いキリスト像を祭る儀式も有名なんだけれど、1600年ころメキシコからキリスト像を運ぶ途中、火事に遭い黒くなった像のお祭りで、毎年1月9日マニラで何十万人も、像に殺到する、そうである。
  教会を「静」とするならば、マーケット(市場)は「動」である。小さい町でも、あらゆるものを売っている。田舎町でも、果物は輸入のリンゴ等も置いている。そんな中でも驚くのは、肉と魚売り場だ。自分たちが居た頃は、冷蔵設備皆無の状態で売られていた。腐るのが心配ではない。屋根しかない、ほぼ屋外に等しい、気温30℃超えの肉売り場は、肉に群がる「ハエの大群」の「生命の現場」である。まさに、凄まじい!!奴らは肉から養分を吸収しているだろうし、大量の卵を産み付けているんだろうと思った。魚はすぐそばに船が停泊していたが、近海ものが多い。自分たちが、今晩寮の食堂で口に入れる肉や魚も、この中の一部なのである。十分加熱することで、俺たちにも大丈夫、になるんだなということに、改めて思い知る次第である。
 
(5)狂犬の群れ
  寮から町の方へ行く途中、まだ国道に出る前、大きな板の門があり、そこから海岸べりの家まで下り坂が50mくらい続く,、結構大きな家があった。車で通るときは問題ないが、自転車で通ろうとすると、家の前に居た、5匹くらいのグレイハウンドのような大きな犬が、吠えながら物凄い勢いで走って来て、板の門を飛び越えんばかりに吠え続けることが何回もあった。実はフィリピンに赴任する前、必要な予防注射をするのに、かなり何回も病院に通った。その中に狂犬病の予防注射があった。狂犬病は人が咬まれて発症すると。致死率100%という怖い病気である。日本では、犬がほぼ100%予防注射を受けているので、日本で狂犬病に罹るのは、ほぼ海外で咬まれた時だけであるが、フィリピンでは犬の予防がどれくらいできているのか?だから、現場サイト近くで、犬に追いかけられるのは、いつも良い気持ちがしなかった。
 
(6)アカルイ オカマ 
  フィリピンには現場サイトの小さい町も含めて、オカマが多かった。オカマ(Gay)だけでなく、Lesbianも多いらしいが、町に行く途中のガソリンスタンドに、いつも笑顔が印象的なオカマが居た。そしてオカマを保護するような雰囲気があって、完全に市民権を得ていた。キリスト教の影響かとも思うが、カトリック自体では同性愛をおおぴらに認めていないので、フィリピン特有かもしれない。タイも有名だが、それよりLGBTは多いようである。何より、LGBTに寛容な、フィリピンの国民性が、とても好ましく思う。
 
フィリピンは「幸せが買える国」と言われる。先進国に比べ物価が格段に安く、かつホスピタリティの豊かな人情あふれるところで、金さえ払えば物心両方とも満足できる生活がおくれるという意味だ。逆にフィリピンの人々にとって、自分たちの国はさほど住みよい国ではないだろう。犯罪、それも圧倒的に窃盗事件が多いのも、貧困ゆえの話である。貧しくても明るく元気な彼ら、私はかの国の人々の幸福をずうっと願いたい。

今思うに、フィリピン駐在の財産は、マニラ首都圏ではなく、田舎であった。居た時は退屈していたことが多かったが、こんなハエの大群やオカマとの交流体験、雨期の最初の日のハネアリとカエルせんべい、バロット売りの少年、藁葺屋根の家、ブタの悲鳴、12月の天然クリスマスツリー(ホタルの大群)等々は、マニラでは味わえない、貴重なものであったと、つくづく思う。また、未知なるものに対して、好奇心と関心を持って、楽しめる自分の気質も良かったと思う。
 
今回の一首
酒杯(さかづき)に 梅の花浮け 思ふどち 飲みての後は 散りぬともよし 大伴坂上郎女(大伴旅人の異母妹、家持の叔母)


マンゴーの花
棚田の風景
よく道路で見た収穫した稲を乾燥していた風景
マーケット(市場)
教会
怖そうな犬たち

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