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アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 フィリピン編⑬ サリサリ、ハロハロ、パロパロ

 今回は、タガログ語とフィリピンと日本の類似点についてのお話。
 
昭和62~63年沖縄に居た時、「環太平洋言語帯」についての講義を、文化センターかなんかで聞いたことがある。この太平洋を取り巻く、広い国々の言葉は、子音に母音がくっ付いている、というものであった。
元々、アジアの人がシベリア⇒アラスカ⇒北中米⇒南米へと、長年月をかけて大移動したのだから、ある意味当然ではあるが、国の名前をとってもそうなっている例が多い(Indonesia、China、Korea、Hawaii、Panama、Peru、Chile Alaska America等々)。
 
タガログ語も実際、単語の子音と母音が組み合わさっているが、以下に示すように、日本語と類似も、実に多い。

タガログ語の「アワ」 ⇔ 日本語 「哀れ、慈悲」
「カワワ」 ⇔ 「かわいそう」
「スカ」 ⇔ 酢
「イノム」 ⇔ 「飲む」
「フカイ」 ⇔ 「(深く)掘った穴」
「クスコス」 ⇔ 「こする」
「ガスガス」 ⇔ 「(ガサガサと)ひっかく」
「ナク」 ⇔ 「悪い知らせを受けた時の感嘆詞」
「ハバ」 ⇔ 「幅、高さ、広さ」のこと
「マタ」 ⇔ 「まなこ」「目」
 
さてまず、サリサリとは、サリサリストア(Sari-sari Store)と言い、昔からあるフィリピンのコンビニ、駄菓子、日用品等を売っている何でも屋で、ちょっと信じられないが、1億人の人口に100万店あるという(日本のコンビニ5万余店だから、百万という数字は随分疑わしいけど)。正直言って、マニラでは、ショッピングモールとかが記憶に残っているだけで、サリサリストアの記憶がない。工事現場サイトには確かに何軒もあった。万引き防止のため、金網を店の前面に張り巡らせたようなところも多いという。大きな袋に入っていると、単価が高くなって、庶民には買えない、買いにくい、となるので、何でも小分けにして、売っている。今では正式なコンビニも出来ているので、様子も変わっているとは思うけれど、現状は良く分からない。更に驚くのは、日本にもサリサリストアが既にあるという。東京都清瀬市、東大和、埼玉県戸田市、関西等にもあるらしい。
 
次に、ハロハロ(Haluhalo, Halo-halo)であるが、かなり以前、日本のコンビニ(ミニストップ)でも、ハロハロとして売られていた。要するにサンデーやパフェのように、色々なものを盛りつけたスイーツで、元々日本の「フルーツ蜜豆」をフィリピンで広めたものが原型、と自分は聞いた。ムラサキ芋系のアイスやフルーツが入っていて、街中で食べるには、衛生上ちょっと勇気がいるが、日本のラーメン店でのデザートとして、または清潔そうな店なら、大丈夫でしょう。
 
最後にパロパロ(paruparo)は、会社のマニラ事務所の女性ローカルスタッフの一人も次のように使っていた。「私は、旦那に、『あなた、パロパロしたら、あなたのアソコ、カットよー!!』と言っているよ。」 タガログ語で「蝶々」を意味して、転じて、蝶のように次から次へと乗り移って行く、繰り返す浮気を意味するようだ。しかし、フィリピンにも阿部定がいるとは?おーっ、コワっ!
 
3つとも、日本語のオノマトペ(擬音・擬態・擬声語)に近いので、余計に日本人に馴染み深いんだと思う。フィリピンと日本は、これだけ人が交流しているのだから、文化も交流して来た、ということなんだね?
 
もう一つの日本とフィリピンの類似点、それは島国の特性、島国根性。大体、閉鎖性を言うけれど、今の世界でガラパゴス化しているのは日本の一部だけでしょうか?フィリピンは文化の中継点、日本は終着点的な部分もあります。強いて挙げれば、恥の文化で、人前で注意されるのを嫌う、というのがあったけれど、これも世界どこでも、ある程度そういう部分もあるので、あまり当てにならない、というのが、実情のようだ。24時間情報が飛び交う現代では、島国根性とか地理的な閉鎖性なんかは、吹き飛んでしまう、ということなんだろう、と思います。

今回の二首
春みじかし 何に不滅の命ぞ ちからある乳(ち)を 手にさぐらせぬ 
冬の夜の 星君なりき 一つをば 云ふにはあらず ことごとく皆     (あなたは、一つではなく、全ての星)    二首とも与謝野晶子

サリサリストア
ハロハロ
日本でのハロハロ

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