枕経(まくらきょう)
⑦くずもちさん
☆『貴方の中の怖い話』
人が亡くなると「葬儀」が行われる。
宗派によって、その作法はさまざまと思う。
うちの仏教は、亡くなるとまずは、お寺と葬儀社に連絡をして、ご遺体をきちんと整えた後、最初に僧侶とごく近い人だけで枕経をあげる。
棺に入れる為の幅の狭い白い布団に寝かされ、化粧を施し横たわるご遺体。自分の母親のその姿を見たとき、私は心から美しいと思った。
当時80歳の母は、小柄で、シワシワで、髪は染めていないし、普段から化粧っけがなくて、お世辞にも美人の部類ではなく、おしゃれでもなかった。
なくなる数日前から食事が取れなくなり点滴だけになり、歯も磨けなかったので入れ歯をはずしていた為、くしゃくしゃな顔だった。
息を引き取る瞬間に立ち会えた私は泣くより先に看護師さんにお願いをした。
「どうか、母の入れ歯を入れてあげてください」
その後、お風呂に入れてくださるというので、私は実家に戻り母の一張羅を風呂敷に包んで病院にとんぼ返りした。
青もみじの絽の着物、銀の帯、ピンクの珊瑚の帯止め。「喜寿の祝いの席で身に着けていた一式」
さっぱりと風呂から上がった母に着物を着せる。私の口紅をさす。
まるで今にも目を覚ましそうな、かすかに微笑んでいる母の顔は、私が今まで見た中で最高の美しさだった。顔中のシワが消えて、髪もふっくら黒々として、まるで30代か40代の上品なレディの顔つきだった。
戦後の混乱で、結婚式のひとつも挙げれなかったからと、父は精一杯の花祭壇を注文した。これは、お母さん花嫁さんみたいだね、と家族で泣きながら笑った。
翌日がお通夜になるから、今日は、お坊さんを呼んで家族だけで枕経だといわれ、お寺の控え室のような和室に横たわる母。
父と兄と3人で、お坊さんを迎えた。
4人で題目を唱えていると、私の後ろから女性の題目の声が聞こえてきた。お寺にたまたま来た母を知ってるご信者さんが一緒に拝んでくださってるのだろう。30分ほど「どうぞ安らかに」という気持ちで祈っていた。
お坊さんがりんを鳴らし、祈りが終わったので、一緒に題目を上げてくださった方にご挨拶をしようと後ろを振り返ると、
そこには誰もいなかった。
和室のふすまはしまっていた。
信心深かった母が、自分のために自分で枕経を唱えていたのかもしれない。
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