摩利と新吾
「…どんなに
ばかみたいに
思えることでも
最後まで
つらぬき通せば
本物に
なるんですよ」
大正時代から昭和にかけての激怒の時代を生きたバンカラ男子校生の漫画「摩利と新吾」2巻の中
「忍ぶれど」の一節
無頼漢に襲われたところを小柄な老婦人に助けられたマリ(男子校の2年生)
後日お礼を言うために訪れた婦人の家で、マリは彼女の昔話を聞く。
老婦人のかつての恋人は新撰組の隊員だった。最後の戦いから帰ったら夫婦になろうといった彼の言葉を信じ、彼をいまでも思い続け待ち続けているという。
出会いのタイミングがあまりにも無様だったため、いままで誰にも見せなかった素の自分をさらけ出すことができたマリは、老婦人に自分が愛しているのは男同士親友のしんごであると告白する。
「ばかみたいでしょ?むくわれるはずないのに」というマリに向けた老婦人の言葉。
「…どんなに
ばかみたいに
思えることでも
最後まで
つらぬき通せば
本物に
なるんですよ」
それは、戻って来ない彼をひたすら待ち続けている自分自身への言葉でもある。
多分高校生の頃に読んだこの漫画、様々なことを考えさせられた。
報われない人を好きになるという事の壮絶さ。それでも一生をかけて好きでい続ける。
愛の種類のすれ違い。
自分にないものへの憧れ。
こいつ以上はいないと言い切れる信頼関係。
少年たちが年を重ね成長していく物語の中で、この老婦人の言葉がずっとずっとマリの気持ちを支えて行く。
私の中でこのセリフは、自由自在に対象を変えていまでも生き続けている。
恋愛だけではなく、夢を見る事全てに当てはめてしまう。
つらぬき通せば本物になる!
なんと勇気の持てる言葉だろうか。
他人の目なんかアテにならない。自分が良いと思ったもの、やりたいと思った事、目指したいと思った高み、すべてどうせ無理だろうなんて思わずにやってみればいいと思う。
つらぬき通せば本物になる!
つまり、やってみる一歩を踏み出さなきゃいつまでたっても本物にはなれないってことでもある。
そしてそれには「遅い」って事もない。
いつからだっていいんだと思う。
いま思い描く夢のため、今日からだって一歩は歩き出せる。
モッコーBグル部 さん主催の
ノートバトン『ココセン』という企画で大好きなnoteのお兄さん北千住さんよりバトンを受けて書かせていただきました✨
『ココセンとは、
この本のココにセンを引いた
(そして励まされた、救われたなどの)エピソードです』
https://note.mu/notebaton/n/nb7cfea9ec4ea
さて、こんな暑苦しい事を言う私は何かを成し遂げてきたのでしょうか?
答えはNO。
いろんな好きな事のどれをとっても秀でる事もなく、何も本物にはなれていませんが、それなのになんでこんなにあっけらかんとしていられるかというと、もう一つ「お気に入りの言葉」があるからなんです。
本からではいのですが、
「頑張っても報われず、道を踏み外しそうになり自己嫌悪を持った40代の自分」
に、当時友人からかけてもらった言葉。
「鳴かぬなら それも良しとて ホトトギス」
自分自身をまるっとまとめて好きでいられる魔法の言葉として、10年経った今でも心の中にバッチリ留め置いてるのです(*^_^*)
これも私にとってのココセン♪
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?