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言語の壁とコミュニケーションの違い

台湾人が僕らのゲストハウスに泊まりに来た。総勢15人。なかなかな人数である。

色々と話して文化交流をしたいものだが、そううまくはいかない。

そう、そこには言語の壁がある。

正直な話、英語を話せないのは日本人くらいかと思っていた。

他の国はある程度英語を話せるものだと思っていたのだが、今回泊まりに来ていた台湾人のうち、英語を理解できるのは1人。2人が少しわかる感じ。

とりあえず名前を聞こうと「What’s your name?」と聞いたが、ちんぷんかんぷんな感じ。

僕にとっては基本中の基本だと思っていたので、コミュニケーション取るために為すすべない、やばいと思った瞬間である。

言語の壁とはなにか

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あー、多分いつも海外から来る人たちはこんな感じなんだろうなー、って感じた。

向こうは基礎的な英語で話してるのに、僕は理解できない。

そういうとき、僕はどう思うのか。

「マジで申し訳ない。でも僕は君とコミュニケーション取りたいんだ。もっと勉強しておけば良かった。」

相手がなにを考えているのか、なにを伝えたいと思っているのか、それを理解するためには言語が必要だ。

ここで言語の壁が立ちはだかる。

コミュニケーションとの違い

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とはいえ、コミュニケーションを取るために、ぶっちゃけ言語は関係なかったりする。

笑顔

握手

乾杯

ポディーランゲージ

拳と拳をぶつける

ハイタッチ

写真を撮る

言葉がなくてもできることはたくさんある。

じつは言語の壁を乗り越えなくても、その人と仲良くなりたい、もっとその人とコミュニケーション取りたいという欲求は叶えられる。

言語はツールであり本質ではない

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言語を使ってのコミュニケーションがとれなくても、こういう風に一緒に写真を撮ろうというコミュニケーションは取れる。

ここでは中国語がわからない日本人と、日本語がわからない台湾人のコミュニケーションが発生している。

もっと仲良くなりたいという気持ちと、それを行動に移せるかどうか。

その気持ちがコミュニケーションの原点であり頂点であると考える。

筆者は恥ずかしながら英語は堪能ではないので、40%は聞き流し、あとはジョークとノリと「うぇい」というフレーズで乗り切る。

ただ人一倍、その人と仲良くなりたいという欲求は強い。

言語は詳細な考えを伝える時には必要だが、仲良くなるためには必要ないと考える。1年間ゲストハウスで何百人という外国人と話してきて友達になった僕が言うんだから間違いない。

言語の壁はコミュニケーション出来るかどうかとは違うんです。

あとがき

今日なぜこの記事を書こうと思いたったのか。

それは、なぜ他国の言語を話せない僕がこれまでのコミュニケーションを取れていたのか、改めて考えたいと思ったからだ。

ゲストハウスの中でのこと。

これまでは、僕が相手の話す英語という世界共通語を話せなくてしどろもどろすることが多かったのが、今回は僕が英語を話しても台湾人の彼らが理解できなかったと言うことが起きた。

とはいえコミュニケーションは取りたい。

さあどうしようかと思った時に、僕は相手の国の言語で話そうと思った。

英語で「What’s your name?」ではなく、中国語で、あなたの名前はなんですか?と聞く。

なんていうかは、忘れた笑

でもその時、ちょっと英語が理解できる人に聞いて、多分中国語で、相手の国の言語で話をした。

そしたら台湾人の彼らも理解できたのか、話ができた。

あの瞬間は僕としても結構嬉しかった。

次の瞬間から大分仲良くなった。

僕のことを名前で呼んでくれるようになった。

さよなら

の代わりに

僕の名前を言うようになった笑


なるほど、相手の国の言語を使うこと。これはとても大事なことなんだなーって学んだ。


まずはコミュニケーションを取りたいと言う欲求。

次にコミュニケーションを取る行為。

次にもっと相手を知りたい、話したいと言う欲求。

次に言語での相互理解を試みる。



そんなことを考えた夜。

経験しないとわからないこと。

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