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ゲストハウスを作りたかったけど本当は違うのかもしれない話 〜第1章ゲストハウスを作りたいと思ったきっかけ

「僕はゲストハウスを作りたい!僕の夢です!!」

なんてことを、大学3年生の夏くらいから周囲に宣言するようになった。

時は流れ、2019年末現在。

僕は夢のゲストハウスで働き、運営マネージャーの内の1人として人生を謳歌中。

次は独立して夫婦や仲間で自分のゲストハウスを東北に作るかーー??と思いきや、実はそうではないんです。

そんな話を最近ずっと悶々と考えていたのですが、ちょっとずつ言葉になってきたので、このタイミングでノートにまとめてみます。


第1章ゲストハウスを作りたいと思ったきっかけ

大学3年生の夏に、いわゆる日本一周のバックパッカーの旅をやってみました。前年に初海外のインドで自分が日本のことを何も知らないことを痛感させられ、自分の目で日本を見てみたいと思ったからです。結構ありがちなストーリーだと思います笑

その時に初めて日本各地のゲストハウスに泊まってみました。とはいえ、外国人が多くいて、共有スペースがあって、普通のホテルより安くて、、、という、そんな感じでした。英語の話せない僕は部屋に閉じこもって次の旅先を決める毎日。そのまま僕の日本一周バックパッカーの旅は終わりました。

「ゲストハウスって、そういう感じなのね。みんなが言うほどでもないじゃん。」

なんて思ってました。(スーパー失礼)

でもそれはゲストハウス選びを間違っていただけということに後々思い知らされました。

旅好きな友人や後輩から、東京にある「toco.」という、古民家をリノベーションしたゲストハウスが良いよーなんてことを聞きました。僕はフーーンなんて言って最初は聞き流していたのですが、みんなが盛んに訪れていたゲストハウスだったので、なんか行きたくなったんですね。そんなこんなでそこに行ってみました。

そこで衝撃。
同室の方を自然と僕に繋げてくれたのをきっかけに、tocoのBarで談笑。結果さらに周りの人も巻き込みお祭り騒ぎ。なんだこの雰囲気は!!これまで体感してきたゲストハウスと全然違う!!面白い!人に紹介したい!!また来たい!!そんな想いになり、人生の中で最も忘れられない思い出となりました。と同時に、大学4年生という自分自身の将来を考える時期でもあったことも関係したのでしょうか。

就職先は決まっていたのに「僕はいつかゲストハウスを作りたい」という漠然とした夢を抱くようになりました。

とはいえ、お金のない大学生。ゲストハウスを作るだけのお金はないし、英語も話せないから働こうにも雇われない怖さもあり、ますまは卒業後にお世話になっていた会社に就職する道を選びました。

もちろん僕のゲストハウスを作りたい夢はそう簡単に消えるわけもなく、会社に就職した後も、近場のゲストハウスに泊まりにいったり、嫁と旅行する際はゲストハウスを使ったり、なんならハネムーンの台湾でもゲストハウスを利用し、将来の構想を練っていました。

そんなこんなで会社ではそろそろ3年目に差し掛かろうというところ。仕事の内容が自分のやりたいこととズレてきたことを認識しつつも、まだゲストハウスを作るという覚悟がなかったから仕事を辞めることもできなかった。お金もないし英語も話せない。

そんな時目に飛び込んできたこのクラファン!!

☑︎仙台にグローバルとローカルの交差点となるゲストハウスをつくる!

なんと仙台にゲストハウスを作ろうとする人が現れてしまった!!年も近いし、やりたいことをほぼ酷似!!

僕自身会社員生活で偽りの自分を演じ続け、本当にやりたいことは何もできていなくて、なんのために仕事してるんだっけかおれは、、、って考えていたときのこれ!!!!!!

僕自身何も始めていないのに、先を越されてしまった悔しさがこみ上げてきた。

僕の方がゲストハウス知ってるし想いもあるし、絶対彼よりもうまくできる!!なんていう変な対抗心もでてきた。何もやってない口だけ野郎なのに笑笑

これをきっかけに「やりたいことをやる」と心に強く決め、自分の本心に耳を傾け、覚悟を決めて人生設計を更新し始めた。

僕は翌年の5月で学生時代からお世話になってきた仕事を辞め、この仙台に新しくできるゲストハウスにボランティアで通い始めた。

英語はTOEICでいうと430点くらい、貯金もほぼないけど、夢を叶えるというやる気だけはあった。

このゲストハウスでの出来事は第二章で綴ります。

続く

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