嘘がほんとになる日を

🐸不二元さき編

§第一章

「さきーカラオケ行こや」
終業のチャイムがなるとほぼ同時に、
隣のクラスから眠そうな顔の美人が現れては言い放った。
「またー?」
ここのところ3日に一回くらいの頻度で誘われるようになった。
カラオケは別に嫌いではないが、そんなに行って飽きないのか。
「いいやん今日部活休みやろ?行こーやー」 
気の抜けたような声ではあるがしかしもう行く気満々の様子だった。
「あ、せや」
何かを思い出したかのようにあきほがスマートフォンを取り出し、画面を顔の近くにまで向けてきた。
「え、なに?見えへん」
あきほの腕を遠ざけ、画面を凝視する。
「前に言うてた駅前のこの店、やっとオープンしたらしいで。ここ行こ?カラオケも近いし、ついでついで」
途端にさきの目の色が変わるのがわかった。
「行きたい!」
したり顔のあきほにまんまとやられたと思いつつも、別にそれほど嫌なわけではなかった。

散らかっていた机の上のものを雑に鞄につっこみ、
ふうっと一息ついて立ち上がった。

容姿端麗、誰もが目を惹く存在の彼女は一見近寄りがたそうな雰囲気ではあるが、
実際話してみるとかなり気さくな上にたまにちょっと抜けている部分もあり、そこがまたかわいいのだ。
スポーツ万能であるにもかかわらず部活には所属していない。
2年生になってもいろいろな部活動から頻繁に誘われているようだが、そのどれもに彼女は興味ないようだった。
本人曰く、「なんかよくわからん」らしい。

「ここやん、おー全然並んでないで!」
いつも10人は軽く並んでいて数えるのすら億劫なほどの人の列だが、早めに来たのが奏功したようで今日は一組もいなかった。
「なあみて、限定やって!あきほこれやわ」
目を輝かせてまるでこどものように無邪気に燥ぐ彼女は、贔屓目抜きにしても、やっぱりかわいい。
「イチゴのパイ、レモン、アップル……」
どれにするか決めかねていたので、軽くあきほに振ってみた。
「あきほはいちごやろ?」
パチンッ
指を鳴らして片目を閉じ、
「わかってるやん」
となぜか得意げだった。
「じゃあアップルパイかなあ……」
期間限定には惹かれるが、やはり王道。アップルパイだろう。
「なあなあ」
注文を終えて、あきほがワントーン落とした声でひそひそ話をするように問いかけてきた。
図らずも合わせる形で姿勢を前屈みにし、耳を彼女の方へと向けた。
「あれうちのクラスの吉奈さんちゃう?」

え、と思わず出た声が早いか振り返った先にあった艶のあるきれいな長い黒髪は、顔は見えずとも間違いなく彼女のものであるという確信があった。
前の席に座る彼女の、ほとんど毎日のように後ろから眺めていたそれはとても美しい。
ときおり口角をほんの少しだけ上げて微笑んだように見えるのはあるいはさきの気のせいであったかもしれないが、その瞬間を知っているのは自分だけかもしれないという優越感があった。

「ほんまやなあ」
半ば呆け気味に口から出た後に続いた言葉は無意識だった。
「めちゃきれいよな、髪」
「んん」
ミルクティーのストローに口をつけながら声にならない音で肯定したあきほの表情も、一人で窓の外を眺めながら優雅なひとときを過ごすような彼女の表情も、さきの瞳には映っていなかった。

しばらくして彼女の静寂を打ち砕いたのは、華やかな制服を身に纏った明るく可憐な少女であった。
制服がかわいいくて有名な隣のお嬢様女子校のそれには思わず見入ってしまう。

「ごめんごめん、おまたせ」
溌溂とした声に振り向くや、窓際の彼女は未だ静かな声色で何かを口にし、そのときに綻んだ彼女の表情を初めてさきは見た。
少しだけ苦みのある林檎の吐息が舌先に触れたような気がした。


「意外に安かったな」
夕陽が西の端にかかっているのを背に、店を出てこちら、見ながらあきほが言った。
「うん、普通においしかったし」
そらあんなけ並ぶわな~、と再び前を向き並んだ陰が二つになった。

少しの沈黙の後、唐突に夕陽を遮り、影踏みをはじめたあきほにつられて、踏まれないように上下左右にさきは動き舞った。
額に滲んだ汗をぬぐいブラウスのボタンを一つ外して、「あっつー」と笑いながら言う彼女を見る前にさきも笑っていた。
一つになったり二つになったりを繰り返していた陰は軈て夜の帳に消えていった。

「なあなあ」
別れ際になってさっきとは違った低めのトーンでおもむろにあきほは口を開いた。
次の言葉を待つさきにその一瞬の空白はあまりにも長く感じられた。
立ち止まったあきほと見つめ合う形になる。
「さきってさあ……好きな人おるん」
「えっ」
と想定外の言葉に口が半開きになったまましばらく立ち尽くしていた。
さきを捉えた儚げなあきほの瞳には確かに、呆気にとられる様子のさきが映っていた。
「え、うん、まあ、おる……かな」
これはどっちなのだろうか。
真剣な質問なのか、いつもの軽いノリの女子トークなのか。
あきほの真意を測りかね、どちらともとれるような曖昧な返事に留まった。
聞き返すべきなのかと逡巡しているところで、さきが乗るのとは逆方面の電車がホームに入る音がした。
「あ、来たわ」
何もなかったようにつぶやき、またいつもの彼女に戻った感じがした。
「あきほは?」
たよりなく振り絞ったさきの声に、ふっと、少しだけ口の端を上げ、
「さあ、どやろなあ」
と言い放って目をニコリとした。

あきほの不意打ちともとれる質問に落ち着かないまま電車に揺られて窓の外を眺めていると、昼に喫茶店で見たあの少女のことがまた頭に浮かんできた。
あきほがさきに微笑んだように、あの娘もまた別の少女に微笑みかけていた。
あの娘にだけ見せる笑顔。
あの娘だけに向けられた瞳。
もやもやした雲のようなものがずっと覆ってさきの心は晴れない。
普段取りたてて話すこともないのだが、特等席を他人に座られていたときに似た気分になっていた。

「やっぱりああいう娘が好きなんかなあ」

「おはよー」
どう見ても眠そうな背中に声をかけると、案の定眠そうな声でボソッと、「おはよ」と返ってきた。
「いっつもねむそやな」
「うぅん、朝苦手やねん」
寝ぼけ眼でも全然整った顔に思わず見惚れそうになる。
「あっ」
考えるより先に出た言葉があきほの耳に届いたかはわからなかったが、視線の先にいる黒髪の少女の姿を認識したのは彼女も同じようだった。
途端に、目がハッとしたような気がした。
「おはよー」
唐突に駆け足で前を行く少女に追いついたあきほを追いかけることもなく眺めていた。
不意に声をかけられて驚いた様子のその少女はしかし丁寧に「おはようございます」と挨拶を交わしている。
すごいな、とさきは思ったが、しばらく距離を保ったまま学校までの道を歩いた。
二人が何の話をしているのかまでは聞こえてこない。
時折見せるあきほの笑顔に、ぎこちないながらも相槌を打つときに自然に上目遣いになる黒髪の少女の横顔をずっと見るともなしに見ていた。
早く鳴き始めた蝉の声だけが耳に残った。

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