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散文

何もしないまま三年間の高校生活が過ぎていくような気がしました。勉強はできる方だったし、それなりに学校で無難に過ごせた。新しいゲームにはまって熱くなったりもしました。でもYouTubeばかり見て一日を無駄にしたり、学校以外で人と接する機会がなくて呆然としている自分を見て、”何してんだ”とよく思いました。生きがいが無いのです。

ここ三年を一年区切りに分けると、一年目は純粋無垢な少年、二年目は重度の鬱病患者、三年目は何もかも興味を無くしたつまらない無感情な自分とでも言えそうです。

高校生になってすぐ、自分は引っ越しました。インターナショナルスクールで、自分の夢を叶えようと必死でした。夢といっても、昼休みに友達と屋上でお昼を食べたり、彼女を作ったり、夏休みに友達と出かけたりと、いかにも高校生がやりそうなことしか望んでなかったような気がします。彼女はすぐできました。三つ上の大学生の人で、とにかく優しくて一緒にいるとドキドキ。このまま進展できそうかなと期待しましたが、大阪で大学に通っている彼女とどうしても会える機会がなかったため、フェードアウトしてしまいました。当時自分は”恋愛に距離なんざ関係ない”などと馬鹿なことを考えていましたが、今思えば大阪にいる大学生がたかが高校生のためにはるばる会いに来るという状況は現実離れしているかも。恋愛がうまくいかなかった自分は、新しい学校で友達を作ろうと自分を取り繕いました。親切に接してみたり、誰とでも明るく話すよう心がけたり。そんな中、自分はA君に会います。彼は当時の自分よりも論理的な思考ができる人でした。転校初日から彼は自己紹介から始めて心理学や感情論などを私に話してくれました。初対面でです。(笑)自分はそんな彼を見て面白い奴だと思いました。そうして彼との仲を深めることになります。しかしどれだけ関係を深くしようとしても部外者には限界があったようでした。A君は自分の問題は自分で解決すると決めているようで、自分が彼に頼ることはあっても彼が私に頼ることはありませんでした。彼に不満を打ち明けると、”俺は全ての人を疑うから”と言います。確かに、論理的にそれは正しいことです。正しいことだからこそ、彼の言葉に反論することはできませんでした。しかし、それでも自分が試みた数々の?努力が水の泡になったような気がしてきて、A君とは距離を保った付き合いしかできないと気づいたのです。その時からでした。彼女とのフェードアウトと共に人間関係の辛さに気づいた時から。

自分は色々な人に出会って、A君が持っているような壁にいっぱい出会いました。この学校の生徒達は自身が思っていることは絶対に明かしてくれません。会話のキャッチボールで、いつもボールを投げる役割は自分でした。自分から遊びに誘い、カラオケに行ったりしました。彼らが自分を避けていたのかもしれません。自分が良くない人間だから距離を置かれるのか、それとも元々の人間性がそうなのかわからず、自分の中の問題点を探しましたが、それが探せず次第に狂っていきます。いじめられている友達の相槌を打ってやったらSNS上の会話を生徒みんなにばら撒かれたり、プロジェクトで仲良くなった人がそれっきりになったり、上級生と仲良くなろうとしましたがやはり部外者だとして排除されたり、拒絶されることが多くなります。この学校が自分と合わないと思った時にはもう遅かったです。自分は人を信じられなくなり、A君の言っていた"誰も信じない"と言っていたことを見に染みて感じました。青春を期待して入った学校になぜここまで拗れてしまってのかは今でもわかりません。私が話かけないと学校で一日中ひとりぼっちでした。彼らは私を必要としなかったので、私の名前が呼ばれることもなかったでしょう。ひとりぼっちになった自分は強がるためにゲームを始めました。一人で、さもゲームに没頭しているような、一人でも大丈夫だと周りに思わせたかったのです。当然学校の成績は落ち、私は人間関係、成績、親との関係など、色々な苦難に直面することになりました。

このままではダメだと思い、自分は考え方を変えようとします。まず、勉強はどうにかして成績を元に戻しました。その点は難なく済ませることができました。人間関係においては、うまくいかないのなら断ち切ればいいと思いました。それでインスタグラムをやめました。クラスの団体チャットからも抜けました。クラスメイト(友達ではありません)の連絡先も全部消しました。いざという時にはメールでどうにかなるものだと、その時気づきました。お気に入りのゲームはいまだに続けています。A君はたまにゲームしている自分の隣で話しかけてくれますが、彼が本当に興味あって話しかけているのか、気にかけているのか、それはわかりません。彼が論理的な人間であるからこそ、計算が(気配りが)得意なのは承知の上ですし、自分は正直さを求める人間なので、おそらく自分達は最初から相容れない仲だったのかもしれません。でも彼から学んだ論理的思考は、地獄のような鬱病生活をやり過ごすのに助けになりました。結果、今では乾いた人間になり、他人を気にすることも、取り繕うことも無くなりました。”俺が生きたいように生きる”と最近はそう思っています。もちろんそんな自分勝手な人を好きになる阿呆なんていません。私は今でもぼっちですが、感情が鈍りました。良い変化なのかはわかりませんが、この先ずっとこのような人生が続くと思うと、死ぬのと同じだと毎日思います。"だるい”が口癖になりました。周りから私は、アニオタ、ゲーオタ、なんか知らんがおかしな変態だと思っている(と私は思います)。その度自分は”そうさせたのはあんた達だろう”と言い返したくなりますが、結局自分の妄想の中で起こったものに対して相手に怒ることもできないので、静かに画面を打ってゲームを続けます。何せ他人からのインプットがないので、推測しかできないのです。

なんだかんだ過ごして三年間が過ぎました。私が高校生活で学んだのは、高校生に青春なんてないという事実と、少なくとも自分に親友というものはないということ、そして厳しい社会で生き抜く獰猛な根性と論理で相手を屈服させる話術です。ほら、ここに現実的な冷たい人間がまた一つ出来上がりました。純粋だった高1の馬鹿野郎はとっくに死んでしまったのです。なかなか面白い経験でした。二度と経験したくないような高校生活。卒業できてなによりです。あばよ者ども、あんたらが嫌いだった俺はこれでやっと退場ってわけなのです。

eulenburg.



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