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断捨離が完了しない理由を探る

私は、新しいモノやコトをどんどん増やしたくなってしまう癖があるなーとずっと思っていました。気づいたら増やす方・足す方へ引っ張られている自覚がずっとあります。

2021年の抱負としてこんなことを書いたり決めたりしていたのに!2022年になってもまだ引きずっているんです。

今見ると結構できた。最後のやつ以外。
わかっているんだけどね…。


ということで、今日この話をテーマにコーチングをしていただいたので、セッション中に出てきたことを書いてみます。


増やす自分

何かを増やしちゃおうかな?と計画している時、私には新しいモノ、コトへの好奇心が溢れています。「それいい〜!」「めっちゃかわいい」「シンプルで好き」「面白そう」「気になる、もっと知りたい」みたいなワクワクした気持ちを持っている。RPGでアイテム見つけてどんどん拾いにいくとか、マリオカートでめっちゃコイン取っている時みたいな。

増やし方としては、今持っているモノ・コトの上位互換を探している感じ。必要なものはもうわかっているけど、同じ役割でもより見た目が好きだったり、いくつかあるモノを集約できたり、今ある知識にそれが加わったらもっと深まりそうだと考えている。機能美、合理の美みたいなものを追求したいところもある気がします。

好奇心まみれな自分を側から見ていると、一度見つけたらずーーーっと気になり続けているのがわかります。何度もクチコミを調べたり、SNSのタグ検索を繰り返したりしている。我慢して気持ちを押し殺し続けるより、その「気になりコスト」の削減も兼ねて好奇心のまま手に入れてみるのが健全だと思う気持ちもあります。

なお、特に増やしてしまうのは本と服とガジェットかなぁ。ほぼ本、というか情報な気もします。


増やした後の自分

好奇心が満たせた後は少し重たい気持ちになっていて、自分の身の回りが何かで溢れかえっている感じ。その何かのおかげで視界がごちゃごちゃしていて、ずっと頭の片隅で容量を使い続けている感じ。

自分で管理できるキャパを超えていて、そのモノ・コトの本来のポテンシャルを使いきれない、生かしきれない。キャパ自体は無理すれば増やせるのかもしれないけれど、疲れたくないからモノ・コトの方を減らしていきたいなと思っている。このごちゃごちゃな視界をクリアにしたいと思っている。思ってるんだけど・・・というところですね。

ごちゃごちゃな感覚の真逆って何?という問いはもう少し持ち続けたいです。


手放せない自分

ごちゃごちゃなとき、まず総量を減らしていく発想はもちろんあります。総量が多い状態で綺麗に並べても必ずまた散らかるし、整理整頓は適量になってからというのは重々承知。

だから、引っ越すたびにかなり断捨離してきたし、いらないデータはすぐに消す。それいらないよね、買っても使いきれないよね、前無駄にしちゃったよね、とはっきり思える自分もいる。(今もずっと私にターゲティング広告を打ってくる韓国語の教材を買わずにいるしw)

でも未だに断捨離が完了したとは思えない。まだまだモノが多い気がしていて、多いとわかっているのに手放しにくい気持ちがあります。どこかもったいないと感じてしまう。


もったいない気持ちとは

これを少し掘っていくと、まだ使いきれていないと思う気持ちや、せっかく手に入れたものを思い出せなくなるのを惜しむ気持ちがありました。

「思い出せなくなる」とは知識や思い出のことを指しています。私は自分の記憶力をあまり信じていなくて、モノが残っていれば思い出すきっかけになるとどこかで考えています。それを手放したら二度と思い出せないかもしれない、悲しい…という惜しむ気持ちです。

もったいないというより、自分の元に呼び寄せたり、何か偶然きてくれたモノ・コトを大切にしたい気持ちなのかもしれません。


モノとの関わりを再考する

今はこの「もったいながりな自分」が身の回りの滞留を生んでいる気がしています。もっとすっきりしたい、できると思う。より少なく、より満足した状態がある気がするので、こんな問いを持って少し過ごしてみたいと思いました。

・何かを大切にしたい気持ちが満たしきれていないのか?
・全て手放してゼロから好きな状態を作れるとしたらどうするか?
・この先のモノやコトとどう関わっていきたいのか?


今日はそんな感じです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。!

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