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全力吹奏楽少女にタイムスリップする

中学高校は全力吹奏楽少女でした。打楽器奏者だったから、重たい楽器を解体して、梱包して、トラックに積んで、また組み立てて、ひな壇にあげてセッティングして…を無限にやっていた。

体力と精神力はドウェイン・ジョンソンくらい屈強でした。(ドウェイン・ジョンソン大好き)

そして、その時の自分に戻るような体験をしました。


野球で言うホームグラウンド

のような場所が、多分どの吹奏楽部にもあります。私たちの場合は 市民会館おおみや の大ホール。そのホールが 2022年3月で役目を終えて移転・解体されるとのことで最後に演奏の機会をいただきました。

久しぶりに見た部室、練習に使っていた教室、もちろんホールも全然変わっていなくて、自分だけが少し大人になっていて、本当にタイムスリップみたい。

OBOGと現役高校生が合流して、一度だけリハーサルをしてホールへ。当時からずっと演奏し続けている思い出の曲を演奏させてもらいながら色々なことを思いました。


数ある中でも特別なホール

小さな時からホールというものにはすごく親しんでいて、舞台裏でよく遊んでいました。

3歳か4歳からピアノを始めて毎年発表会をしたし、中学生の時は地元にすごく響きが良いホールがあったからそこで合唱祭や定期演奏会を。

高校生になるとさらに拍車がかかって、埼玉県内あちこちのホールを借りてたくさん練習しました。毎年どこからあのお金をだしていただいていたのか、今思えば信じられないくらいの頻度。本当にありがたかった。

中でも市民会館おおみやは高校から徒歩圏内だったこともあって、何度となく通い、自宅より長くいた時期もある思い出深いホール。

中学生の自分が、初めて母校の先輩の演奏を聴いた場所。絶対にあそこに立つと決めた時に座っていた客席。本当にその舞台を踏む権利を勝ち取り、引退する最後の日もそこで迎えた。場所はずっとスネアドラムの前。みんなが見える一番いい場所でした。


未完了の完了だと思って行った

ホール閉館するけど最後に演奏できるよ!と案内をもらった時、ただ観客として聴きに行こうと思いました。

少し考えるうちに、そこに行ったら思い出せることとか、残してきたから成仏させた方がいい感情があるんじゃないかと思えてきて。いよいよ行かなければ後悔するような気がしたから奏者で参加しました。

吹奏楽部OBの中には、演奏家として活躍する人、市民楽団に入ってまたコンクールに乗る人もたくさんいるけれど私は違います。演奏は何年もしてないし、打楽器だからマイ楽器もない。丸腰でよく行ったと思う。

結果、どうやっても解消できない未完了をまた自覚して、でもそれはちょっと和らいでいて、そして舞台に上がるってめっっっちゃ気持ちいいなという気持ちを思い出した。


盛大な未完了は一生完了できないと思う

完了させるための場所がもうないから。

高校野球で言う甲子園球場が吹奏楽部員にもあって、私たちの時は普門館という黒床のホールです。(今は名古屋だそう)丸の内線の方南町駅にあった5000人くらい入る宇宙みたいな場所。そこで演奏するっていう目標には届きませんでした。

普門館はもう取り壊されてしまったから、誰もあそこで演奏することはできなくて。だからもういいんだって思っていました。全然良くなかったけど。

行けないと決まった時は悔しさで息絶えるかと思ったし、帰り道は今まで見たこともない重すぎる空気。担任の先生やクラスの友達には話しかけられなかったと言われたし、受験勉強で誤魔化して、早く時間が過ぎて忘れればいいって思っていた。本当に、何も良くなかったけど忘れることしかできなかった。今思い出しても悔しくて自分に腹が立つ。

この未完了は完了できないとしても、似た思いを抱えている同期が何人もいます。いまだに夢にでるって笑いながら話せるだけですごく心強い。

それに、市民会館おおみやで最後に演奏できたから新しい未完了を増やさなくて済んだと思います。


血眼の自分を知っていること

高校生の 3年間は本当に必死でした。全国大会に行って、黒い床で演奏して、金賞を取りたい。それだけで生きてました。

会社に行くよりも早く部室に行ったし、昼練をしたいから早弁したし、怒られるギリギリまで夕方も練習したし、休日もほとんど部活に費やして。

練習時間がなくなるから再テストにならないように頑張るし、関東大会と日程が被るから文化祭はほとんど参加しない。(めっちゃ青春イベントだっただろうに!)

他のどんな大会で表彰されても、全国大会にしか興味がないからその布石としか思っていなかったし、勝って当然と位置付けた大会なら多少嬉しくても騒がない。それで喜んでいる暇はないと思って上だけを見ていました。

本当に強烈な目的意識とプライドで生きていたから、ちょっとでも喜んだら張り詰めていたものが切れたと思う。周りの大人もそれを察してくれていた気がします。

そういう、目が血走った脇目をふらない自分を知っていることが、今すごく財産になっています。


今聴いても手に取るようにわかる

課題曲と自由曲、沈黙も含めた 12分にほぼ命を懸けていました。今聴いてもわかる、自分の音に自信があったのか、不安に思いながら一音だしたのか、しくじったと思ったけど後に響かないように必死で持ち堪えていたのか。

打楽器特有の、自分の音は自分しか演奏しない、だれがどう見ても動きと音で「あの子がやってるのね」と常にわかってしまうプレッシャー。引き換えに、上手かった時の拍手も直球で浴びることができる気持ちよさ。

そういう唯一無二感が良かった。中でも、たった一音しか出せないのに、他の楽器と一緒になったら計り知れないくらい生き生きできるスネアドラムが好きでした。だから課題曲がマーチでめちゃくちゃ嬉しかった。

自由曲だったサロメも、いろんな団体の演奏を頭がどうにかなるくらい繰り返し聴いたけど、出だしの打楽器は自分たちの演奏がいっちばん好き。


引退してから数年間この音源を聴けなかったけど、今日は何回も聴きました。
おつかれ、あの時の自分。

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