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ものごとはシンプルでいい

 先日本屋で土井善晴『一汁一菜でよいという提案』を立ち読みして以来、毎日とまではいかなくとも結構頻繁にみそ汁を作るようになった。作るといっても具材を煮込んだところにパックのダシと味噌を溶くだけで、具材も適当に食べたいものを入れればいい。大根や小カブが多いが、魚介とか、豚肉とゴボウを入れて豚汁風にしても良いだろう。ご飯は白米よりも玄米の方にハマっている。チンするパックのもので十分おいしい。梅干しと、沖縄の海塩を振りかけるのもよい。

 同著にも書かれているとおり、料理は本来そんなに面倒だったり手間だったりするわけがない。素材を切って煮込んだり焼いたりする程度で、煩雑な下ごしらえや調理法・調味料などいらないはずなのだ。もともと人間はその辺に生えている植物とか野菜とか動物とかを採って食べていたはずで、調理と言っても煮るか焼くかくらいしかなかっただろう。それくらい手軽にものを食べて、それを自分の栄養に変えられるのでなければもっと早く人類は飢餓によって絶滅していただろうし、それで大丈夫なように進化してきた消化系や免疫系が人間には備わっている。

 料理以外でも、ものごとは本来非常にシンプルで、馬鹿馬鹿しいほど単純な原理でできているものだ。それを無駄に複雑化してその幻想を振りまくのが現代の雇用創出策だったわけだが、それも不換紙幣の時代の終焉とともに消え去っていく。近現代のいろいろな言説や理論が、砂上の楼閣というか基板の上の電子に過ぎなかったことが明らかになっていき、もっと実感のあるものを求めて昔ながらのスタイルに回帰していく。こういうことに多くの人が気づくのには時間がかかるし、認知的不協和による抵抗も激しいから、5年10年といった単位で時間をかけてゆっくりと進展していくのだろう。


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