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日本の歴史を考え直す その3「松前紀行その2」

 松前の観光サイトには「松前は小京都とも称され・・・」というようなことが書いてあって、北前船を通じて西日本の文化が流入していたことや反対に昆布で出汁を取る文化を京に伝えたことなどが紹介されていた。

 実際に松前に行ってみると、下の写真のように江戸風の建物が並んでおりなるほど「小京都」というのも頷ける。だがこのような町並みはごく一部分で、ここを離れて国道に入るとすぐどこか別の場所に行かされてしまう。画像の周辺には車を停めるところもないので、道の駅に駐車して歩いてこなければならない。

派手さを抑えた、やんごとなき色使いの郵便ポスト
瓦葺きのセコマ
銀行も瓦葺き

 京都は盆地だが、松前は海に面した港町で、山沿いに松前城の石垣が作られており砲台跡もある。松前城に住めば往来する貿易船を眺めることができ、城下に不穏な動きがあればすぐに弓や鉄砲で攻撃することができる。

天守閣の高さから海を望む
郵便局にも武田菱があしらわれている
福山波止場

 道の駅の裏側にある福山波止場は、もともと北前船が発着した海岸に松前城が解体された際の石垣を利用して明治8年ごろにかけて作られた明治時代の波止場で、五稜郭を築いた石工が作業に当たったと言われている。

 11時になるとようやく道の駅の食堂がオープンする。空腹だったので開店と同時に本マグロ丼を注文して食べた。2,180円もしたが、きょうび町中ではこれほどちゃんとした海鮮丼を金をだしても食べられなくなってきているので、むしろ安い感じだ。

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