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デジタル時代の終焉

 すべてのモノは、巨大に成長すると自らの重みによって内部から瓦解するようにできている。惑星然り、大企業然り、絶対的権力然り。

 数年前にオバマがしゃべっているディープフェイクの映像を初めて見たとき、「インターネットってこういうふうに終わっていくのでは」と思った。つまり、インターネットの終焉は、通信障害やら基地局の破壊やらといったSF的な崩壊ではなく、ネット上に溢れる情報の真偽がもはや誰にも判定できなくなり、元来の実物資産や紙やハンコや現地や、結局そういうリアルなものがないと経済社会の信用が成り立たなくなる形で起こるのではないか、ということだ。デジタルの技術が進歩しすぎて、人間社会を成立させるのに足る十分な真偽の塩梅を超えてオリジナルもコピーもなくなり、社会のインフラとして自壊するという流れである。いまディープフェイクもさらに進化し、手元のスマホでも簡単に偽動画を作れるようになったし、テキストではchatGPTが世の中を席巻している。ネット上の情報の真偽の判定が極めて難しくなってしまっている。

 一部ではブロックチェーンを使えばいいとかいろいろ代替的な認証システムや技術に関する話もあるが、使われる技術の問題ではなく、デジタルという複製が無限に可能なシミュラークルの世界では本質的に解決不能な問題だろう。シミュラークルとは『消費社会の神話と構造』で何度か紹介しているジャン・ボードリヤールが用いている用語で、コトバンクの説明がわかりやすかったのでそのまま引用する。

 シミュラークル(simulacre、フランス語)
 現実との対応関係から解放され、もはや現実を反映する必要のない純粋な記号としての「もの」やイメージまたはそれらのシステムを意味する(原語はフランス語だが、特定の訳語はない)。
 語源的には「表象、イメージ」を意味するラテン語シミュラークルムsimulacrumに由来し、歴史的には主にキリスト教からみた「異教の偶像」を指して用いられたが、この語にまったく新しい現代的な意味作用を与えたのはフランスの社会学者ジャン・ボードリヤールである。彼は『象徴交換と死』L'Échange symbolique et la mort(1975)で、シミュラークルの展開を、(1)ルネサンスから産業革命までの「模造」(オリジナルの価値に依存するコピー)、(2)産業革命と機械制大工業時代の「生産」(機械によって大量生産されるオリジナルと等価な複製)、(3)生産が差異のコードによって支配される現段階の「シミュレーション」(差異の変調を指示するコードにしたがって生み出されるオリジナル不在の記号)に分類した。近代以降の世界では、(2)はワルター・ベンヤミンが1930年代に提唱した複製技術時代の複製概念であり、(3)が現代的な意味のシミュラークルである。
 ボードリヤールはさらに進んで、『シミュラークルとシミュレーション』Simulacres et simulation(1981)では、現実とそのイメージの関係を、(1)現実の忠実な反映としてのイメージ、(2)現実を歪めるイメージ、(3)現実の不在を隠すイメージ、(4)いかなる現実とも無関係なイメージに区別し、(4)をオリジナルとコピーの二項対立を超越した純粋なシミュラークルと呼んでいる。そして、現実と記号の等価性の原則から出発する表象(リプレゼンテーション)とは異なり、もはや客観的現実を必要としないこのシミュラークルの産出過程をシミュレーションと名づけるのである。このような思想の前提には、あらゆる財とサービスが情報メディアのネットワーク上で差異表示記号として機能する現代消費社会では、現実と記号の関係が逆転し、現実世界自体が記号化されてしまったという認識がある。ボードリヤールのシミュレーション論がスーパーリアリズム(ハイパーリアリズム)など現代美術に大きな響を与えたのはそのためである。
 シミュラークルの実例は、コンピュータ・グラフィクスやホログラム(三次元写真)などからディズニーランド型のテーマパークまでじつに多様であり、20世紀末以降は高度消費社会そのものがシミュラークル化しつつある。

シミュラークル、太字は引用者

 思想は思想そのものというよりも支配者の計画や展望を記したものでもあるから、ボードリヤールの書いたとおりに現実社会が進展しているのも驚くには当たらない。
 洗脳された愚民どもならいざ知らず、まっとうな頭を持った人間なら過度なデジタル依存からは離れていくという流れのなかにすでにある。物理的に実体をもった、カウンターパーティリスクのない実物資産に回帰したり、自然の中で身体を動かしたり身体性を回復しようという人たちが多くいる。ネットはネットで、どんなデマやフェイクが出回っているのかを見て楽しむというようなものになりつつある。疫病や宇の国の報道で、いかに情報が捏造されデタラメがばらまかれるのかということを多くの人が強く実体験したことだろう。シミュラークルとしてのデジタルの世界から目を覚まして、古代や中世のような、アナログで実感の伴った生活に回帰していく人がこれからもっと増えていく。インフレと愚民化で、紙に字を書くことが高貴なる特殊能力と見なされるような時代がまたやってくるかもしれない。アインシュタインが核兵器の次の武器は何かと聞かれて棍棒だと答えたとかいう逸話があるが、そんな感じだ。


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