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ソ連崩壊に学ぶ体制転換の教訓

 ソヴィエト連邦の崩壊と社会主義経済から市場経済への移行があったということは誰でも知っている。また、ペレストロイカ以降の改革もむなしく1991年12月にソ連崩壊を迎え、IMFやら何やら西側の資本が入ってきて1990年代は実に酷い時代だったということもよく知られている。
 
 1992年から社会主義経済を急激に市場経済化するために「ショック療法」として、第一副首相エゴール・ガイダルのもと①価格の全面自由化②賃金及び所得の凍結③補助金の削減④増税と財政赤字の削減⑤中央銀行の創設⑥世界経済への門戸開放、という政策が急進的に実施された。国家によって過剰に保護されてきた経済がこうしたショックに耐えられるはずもなく、ハイパーインフレ、企業倒産、農業・工業生産の大幅な落ち込み、国民生活の破綻をもたらした。統計としては年率2,510%のインフレ率が記録されているが、実際にはさらに酷いものだったろうし、強盗や窃盗、殺人などの治安の悪化も伴っていた。

 ソ連時代には企業はすべて国有化されていた上に、国民はすべて国家公務員という扱いだったため、破産や解雇に関する法整備がなされておらず、企業が不渡りを出しても西側のように処理されず、ただただ未払いの債務として残り続けていた。潰れた状態の企業でも従業員を解雇するという手続きができないので、従業員たちもただもらえない給与が積み上がっていくだけだ。こうした状況では経済主体間での信用など生まれようはずがなく、北斗の拳みたいな万人の万人に対する闘争状態 bellum omnium contra omnes となってしまった。こうした原始的な自然状態から、解消不能となった矛盾を暴力的に解決するために国家が生まれ、やがてプロレタリアの覚醒からブルジョワ革命と共産主義革命という二つの革命により、社会主義を経て共産主義社会に進歩するのが歴史的必然であると言ったのがマルクスだった。そんなものはウソだと誰の目にも明らかになった。

 そもそも歴史に発展法則があり一方向にしか進歩しないという愚かな考えを広めたのはヘーゲルで・・・ということも書きたいのだが、今回はもう少し実用的な話で、じつはソ連の市場経済移行にはいろいろと別の案があったのだということを記すために書いている。特に有名なのはレオニード・アバルキンによって作られたアバルキン案である。

 1985年3月にゴルバチョフ政権が成立後、ソ連最後の五カ年計画である第12次五カ年計画(1986-1990)が始まった。1987年にはすべての主要指標で目標未達となり、計画経済の失敗が明白になると1989年の夏に経済改革国家委員会が設立され、アバルキンが副議長となった。彼の案は1990年から10年間かけて徐々に計画経済をやめて市場経済に完全移行していくというもので、後知恵ではあるが「ショック療法」に比べればずっとソ連の実情に合った現実的な案だった。しかしこのほかにもルイシコフ案や500日計画など、市場経済への移行に関する案が次々出され、硬直化したソ連の意思決定プロセスのもとではどの案で行くにしろ実行に至る決断が下されることはなく、そうこうしているうちに1991年8月のクーデターが勃発、12月にはソ連が崩壊してしまった。

 そこにIMFが乗り込んできて、資金援助の条件として主に緊縮財政・インフレの抑制を要求することになった。このときに西側が掲げていたワシントン・コンセンサスは、市場原理主義に凝り固まって規制緩和や民営化、外資解禁、財政赤字縮小などを謳っていたが、旧ソ連圏の資産を強奪するためのデタラメだ。

 IMFからの支援を受けるために90年代のロシア政府は財政面でも金融面でも厳しい緊縮策を実施し、とくにマネーサプライの収縮に努めた。1996年のマネーサプライの対GDP比率(マーシャルのk)を比較すると、米国59%、日本112%、ドイツ67%、イギリス92%、フランス69%、中国104%という中で、ロシアだけ12%と著しく低くなっている。

 これがロシア経済に大幅なキャッシュ不足をもたらし、企業間の取引では信用取引・バーター取引が多くなった。また非貨幣取引では税金も取れないので、税収不足と軍人・公務員給与の遅配、年金の未払いをもたらした。さらに経済の10%でしかルーブルで決済されておらず、90%は代用通貨によって決済されているということが1996年10月19日のイズベスチヤ紙によって報じられた。当時のロシアでは闇市や賄賂が蔓延り、それがあたかもロシアの悪さや恐ろしさのように言われるが、こうしたマクロ経済的状況からすればそういう形で取引が行われるようになるのは経済の原理から言って当然の話だ。マルクスのいう歴史的必然なんかよりよっぽど強い論理だ。

 さて、現在進行している単極から多極化の流れは、以上のロシア市場経済化の教訓を踏まえているように見える。つまり一般人に分からないように、混乱や反発を引き起こさないように進めているということだ。一般人のうちあまりにもわからなすぎるものは間引かれる。急激な体制の変化は、人々に認知的不協和による体制自体への不信を引き起こし、支配に関するコストを高めてしまう。90年代のIMF、西側のシステムや金融資本に対する不満をうまく吸収して支持につなげているのがプーチン政権だ。ベンジャミン・フルフォードがgovernmentとはgovern mindだと言っているが、まさにその通りであり統治とは人々が考えている以上に心理的・精神的なものだ。今日もマスクをする日本人の明日はどっちだ(笑)


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