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帰省をめぐる想いと、何か恐怖のようなもの

 そう、久しぶりに「家」に帰ったら、そこがふるさとになっていると気がついたのだが、同時にそこは住む場所ではなく、郷愁を感じる場所になってしまっているとも思ったのであった。

 精神座標が、天久保に固定されてしまっていた。

 祝ってもらいたいがために帰省した。もちろん、その目的は完遂され、あたたかい空気の中で、わたしの成人は祝われた。祝ってもらうだけなら、天久保にいる友人たちでいいものを、どうして家族に祝ってほしいと思ったのだろうか。たぶん、血のつながりを求めていたからなのかな。

 思えば家族のわたしに対する態度は幾分やさしくなった。母親はわたしを叱らなくなったし、父親は相変わらずお節介を焼いてくるものの、それでも、そのアドバイスの質が大きく変化していた。人生の話(ここでは、就活とか、終活とかのことを指す)をしてくるようになったのだ。

 わたしの人生は、予想もしないうちに進歩していたらしい。それは、年金事務所から来たありがたくもないメッセージでも裏付けられていた。

 もう怖気付くこともなくタバコが吸えるし、お酒も飲める。もっとも、わたしはお酒に弱いので(どうしてこれがわかるかについては、読者の皆さんの想像に委ねたいと思う)、お酒に溺れることはないのだけれども。しかしそれらの「特典」は、あきらかに、ある責任への裏返しであって、決して、無思慮な解禁ではなかった。なにか、重く苦しい霧が漂っていて、その中で使える松明を授けられたという類の話であった。その黒い霧は、日を追うごとに、年を追うごとに、濃く暗くなっていく。とともに、松明も増えていく。ここでは子供や結婚でもあろうし、有為なる趣味でもあろう。要するに、全てが酔い覚ましであって、責任とは酔いのことである。

 わたしが喫煙者であることに母親はひどくショックを受けていたが、それでも、拒絶はしてこなかった。それが、若気の至りであることを、彼は知っていたからである。父親は、ショックではなく苦笑いのような感情だけを呈していた。ひと通りわたしに吸い方を教えてきて、その上で、手を離したのであった。これが、成人するということらしいのである。

 上に挙げたように、黒い霧と松明があり、娯楽は松明である。黒い霧は、責任ある社会への参画であった。父親はしきりに就職の話をし、わたしはそれに辟易した。しかし、それが残酷な現実なのであった。

 年金保険料は月1万円!もするらしい。空いた口が塞がらないとはまさにこのことであって、わたしには到底支払える額ではなかった。とりあえず、大学の在学中は払わないことにして、モラトリアムを延期した。しかしこのモラトリアムは、あとよくて5年もない。どうするのか。

 首相のことを増税メガネという皮肉がこの頃流行しているのは、事実として知っていた。この言葉が実感としてわたしの中に芽生えたのは、年金保険料の額を知ったときであった。自由の対価として払う税金はあまりにも重く、しかも、年金保険料なんていうのは、その序章の序章にすぎないのである。加えて、わたしが老人になるとして、その時には、年金がもらえるかさえも不透明なのである。高校の頃習った倫理,政治・経済の知識を紐解く。年金制度には賦課方式と積立方式があり、現代の日本が採用しているのは、賦課方式である。これは、若い我々が払っている年金保険料が、今の高齢者の年金になるというやり方である。つまり、我々が高齢者になったときは、その時の若者が、我々の年金を払ってくれる、はず、なのである。いうまでもなく、この超少子高齢社会で、そんなことが成り立つわけもない。それは、この浅学の身であっても、はっきりとわかる。

 この種の絶望感。しかし、いくら抗おうとしても、限界のあるもの。これでは、希望など持てるはずもない。何か考えがあれば良いのだが、そんなことは、霞ヶ関にいる優秀な官僚たちが、いちばん思っているはずである。その結果がこの今の惨憺たる現状なのだから、おそらく解決策はないと言ってよい。

 それでも、日本を脱出する気さえないのだから、これは自己責任である。だから、大人になんて、ほんとうはなりたくもない。でも、時は残酷にも流れていく。だから、なるしかないのだ。なりたくない、ならないではなく、なってしまったものには責任を持たなければならない。

 どうせ、たかだか長くても100年の人生で、人がなせることは少ない。その上で、ただ、死を待つしかないのである。それは諦念ではなく、正しい見方の一つにすぎないと思う。しかし、これも若気の至りでしかないことも、よく知っている。

 逃げたくない。なにからも逃げない。そう決意した。しかし、どうすればいいのか?何もわからないまま、こうして、時だけが逃げていく。漂う紫煙のように。

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