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成人式、人生の答え合わせ

 結論から言うと、わたしは成人式にも同窓会にも出席しない。言い訳を少ししておくならば、とても重要なライブがあるからである。しかし、それは本当に言い訳でしかない。なくても行ったのか?と指摘されると、胸が苦しくなる。

 散々言われているように、この種のイベントは、単なる人生の答え合わせでしかない。行きたくなるような人生を送った勝者と、行きなくないような人生を送った敗者。ただそのふたつがあるだけである。そして、わたしは敗者であった。

 行かなかったことは、正解だと思う。だって、思い出したくもないけれども、高校の卒業式で、わたしは、一言も言葉を発さなかったからである。同窓会に行ったところで状況は変わらない。成人式だってそうである。連絡先を持っている地元の人間なんてひとりたりともいないし、どうせわたしの顔を覚えている人間なんて、いない。

 そうだ、わたしの悲惨な卒業式の話でもしよう。前置いておくが、これは単なる自己責任の範疇でしかない。何もしなかったオタクが、何も得られなかった。それだけの話である。

 当日、酷くメランコリーな気分を抱えて登校した。ふつうに、結末は分かり切っていたからである。自分の席につく、当然ながら、誰もがお互いの卒業を祝っていた。わたしだけがひとり、孤独だった。そのまま、一言たりとも言葉を発することなく、何時間も黒板を凝視し、式は滞りなく終わり、誰とも話すことなくいち早く教室を去った。

 書いていて、情けなさしか浮かんでこなかった。そういう人生なのである。

 というような諸般の事情を鑑みて、結局どちらも欠席したのだが、それは単なる逃亡であった。あなた方は、わたしのことを思う存分笑えばいい。もっとも、思考の上に上がることさえ、ないのだけれども。

 すべてに挑まずに、ただ敗北するのみを選んできた人生の帰結。それが、この「答え合わせ」の一点に集結していた。

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