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#イールの千字百本ノック 50日目 労働と日々、そして障害


 この千字百本ノックも、ついに50日目に到達した。それにちなんで、今日は5000字書こうと思う。おもに、49日目の失敗したアルバイトの後に、2回成功したアルバイトのことについて書いていく。当然ながら、いつもの1000字が5倍になるだけであって、意味のあることは書かない。わたしの人生に、意味はないからである。

労働1

 失敗したアルバイトの後、ペナルティポイントを7ポイントいただいた。リベンジのバイトに選んだのは、柏市にある佐川急便の倉庫での「お米の梱包作業」だった。5キロの米を運ぶ作業らしい。9時間拘束で実労働時間は8時間。これで9000円もらえる。悪くない。この労働にしよう、選べるほど贅沢ではないからな、と思って、エイヤと申し込んだ。

 全く眠れない夜だった。ドキドキとした。今回は絶対に失敗するわけにはいかない。何個もアラームをかけて、眠れない夜を過ごした。

 そうして、朝が来た。出勤の朝である。非常に憂鬱だったが、仕方がない。体に鞭を打ち、家を出た。

 TXに揺られた後、倉庫行きのバスに乗る。意外と人々はふつうの人間ばかりで、安心した。近くに美しい女子大学生もいて、少し興奮した。ちなみに、この人と同じ労働先ではなかった。

 入り口で名前を書き、休憩室で待機する。休憩室は広く快適で、さすがは大手の物流会社だと感心した。倉庫にはコンビニエンスストアも完備されており、労働環境は抜群に優れていた。空調もよく効いており(むろん、汗はかく)、労働の辛さを除けば、非常にいい空間であった。パワハラもなかったし。

 勤務開始の9時が来た。休憩室に次々と社員が訪れて、奴隷たちを呼び出していく。勤務同意とタイムカードを兼ねたQRコードを読み取り、バカみたいに広い倉庫を案内される。

 勤務する倉庫に着く。倉庫は迷路そのもので、とても入り組んでいた。実際、何度か迷子になった。

 倉庫には山のように米が積まれており、あとは段ボールがあった。今日の仕事は、どうやらこの米を段ボールに詰め込む作業らしい。作業の説明を受け、各々の位置に配置され、労働が始まった。

 わたしが初めにやった作業は、段ボール作りであった。束になっている段ボールを運び、組み立て、テープを貼る。これを無限に繰り返す。

 最初はうまくいかなかったのだが、熟練のプロ・アルバイターさんのアドバイスもあり、1時間もすると、作業に慣れてきた。

 しかしこの作業、非常に単調である。時間が経過しない。何個作っても作っても、次の段ボールがあるし、次の米がある。さながら終わらないわんこそばのようであって、かなり苦しかった。

 労働の構成は以下のようになっていた。手動の小さなライン(小さい頃によく滑った、ローラー滑り台のようなラインである。)の上流では、ひたすらに段ボールが作られる。作られた段ボールは下流に流され、米が入れられていく。米の入れられた段ボールは次々とパレットに積まれて、できたものからラッピングされ、トラックに積まれる。

 わたしは午前中の全てと、午後の半分は段ボール作りに配置された。午後の半分以降からは米を入れる作業に従事した。

 力仕事であることから、水分補給は自由にできたし、労働条件には記載されていない10分間の小休憩も2回設けられていた。そのため、60+15分の規定されている休憩に加えて、10+10分の小休憩があり、実際は95分間の休憩が取れた。

 1回目の小休憩は、とてつもない喜びがあった。

 男だらけの職場という要因と、皆が同じ作業で疲労しているという謎の団結感も相まって、一期一会とは思えないほどに、他の人と仲良くなれた。

 予想とは外れて、いろいろな人がいた。職場の休み中にお小遣い稼ぎに来ているおじさん。わたしと同じように金のない大学生。何度も同じ現場に来ている伍長勤務上等兵。さまざまな生活があり、さまざまな理由があって働いていた。

 職場は、社員さん→ベテランアルバイター→新人の序列で構成されていた。ベテランの人は、社員さんの補助についたり、細々とした指示を出していた。社員さんとも顔馴染みのようで、社員さんに文句を言うこともできたようだ。

 わたしはこの構造を軍隊そのものだと感じた。小隊を指揮する下士官→下士官を補佐する伍長勤務上等兵→新米の一等兵・二等兵、である。伍長勤務(伍勤)というのは、正規の下士官ではないものの、下士官に準ずる勤務をする兵のことである。わたしは伍勤から顔を覚えられた。「また米を運びに来いよ!」と言われた。わたしは、どうやら無能ではなかったようだ。ひどく安心した。しかし、力仕事が男なのにできないという理由で、おじいさんが死ぬほど伍勤から詰められていた。かなしいことである。

 と、このようなことを考えながら、ただひたすらに、時が経つのを待ち続けた。意外にも考えることはたくさんあって、思考材料には尽きなかった。

 お昼休憩になる。99%の労働者が、休憩所に併設されたコンビニエンスストアで、たくさんの食べ物を買っていた。お弁当など、誰も持ってきてさえいなかった。これでは、お金が貯まるはずもない。いわゆる「底辺」の生活を垣間見た気分であった。

 わたしは大学生である。どうひっくり返っても、このような肉体労働に落ちることはない。そう思うと、複雑な気分であった。肉体労働は、文字通り体を酷使する。それで、たくさん食べたくなるのである。このどうしようもない構造に飲み込まれていくと、お金が貯まらない。家に帰ったら、疲れ果てて寝るしかないので、お弁当など作れない。わたしは、この構造に気がついている。一方で、気が付かぬまま、搾取され続ける人々もいる。これは一体、どういう差異なのだろうか。

 わたしは他にもアルバイトをしている。時給1300,1700円の塾講師である。クーラーの効いた涼しい教室で、わたしからすると常識のようなことを1時間教える。すると、1300円以上手に入る。汗は1粒もかかない。対して、汗を流して筋肉を酷使する単発バイトは、1時間に1000円しか稼げない。わたしからすると、後者の単発バイトにこそ高い給料が払われるべきだと思う。世の中とは、ヘンテコだ。

 筋肉に1000円支払われるのはよく理解できる。労働した実感が確かにある。しかし、塾講師は汗をかかないし、頭もさして使わない。労働の実感がない。何にお金が動いているのか、全く見えない。思いつくとすれば、わたしの(意味のない)空虚な学歴—しかも、東大京大医学部のように、意味のあるものではない—に、か。

 素人の、しかも教職課程さえ取っていない大学生の、インディーズの教育に、大金を注ぎ込む親御さんの気持ちを思うと、涙が出る。塾ではもちろん真面目に勤務しているのだが、どうも脳裏には、この良心の呵責がよぎるのだ。

 しかし、塾講師の方が快適で高収入なので、ありがたい。その一方で、肉体を酷使する単発バイトの方が、喜びに満ち溢れている。

 第三次産業の虚空とは、このようなものであったのだ。

 最近受け持った生徒は、ある大学を志望している。しかし、その学力は、大学には程遠いものなのだ。面談して、どうにか合格させるプランを組んだ。それでも、合格させられる気がしない。

 それでも、時給は1700円になる。重い責任を感じる。ひとの人生を背負う重みである。

 わたしが受験生の時は、買いもしなかった赤本を買って、問題を研究している。

 これぐらいしかできないし、これぐらいはしたい。せめてもの、誠実さを、祈りを込めている。

 くるしいのである。わたしは、低レベルとはいえ、進学校に通い、環境のおかげで、準難関大学の合格を勝ち取った。その一方で、環境のない子は、苦難を強いられている。ほんとうに、胸が痛い。

 社会はほんとうに厳しい。わたしのような若造でもわかるくらいには。その痛みを乗り越えられるおとなに、なれる気がしない。ドロップアウトぐらいさせてくれ、と思ってしまう。しかし、ドロップアウトできないくらいには、努力も時間も費やしてきた、そう自負しているわたしもいるのだ。

 と、偉そうに上から目線で物を語る。そのような意味で、一生交わることのない場所を知る単発バイトは、お金以上の深みがある。社会科見学にふさわしいものだった。

 休憩を終え、午後の勤務に移る。また、辛く苦しい単調作業が再開した。再開すると、こんな複雑なことは、全く考えられなくなった。ただ、作業する機械として、黙々と、段ボールを、手に豆ができるまで作り続けた。発狂しそうにもなった。

 そうこうしていると、労働は終了した。

 帰宅して、寝そべって、板のように寝た。

障害者の人生

 と、ここまではよかったのである。この初勤務の後に、2回ほど勤務した。特筆するべき事象はないので、何も書かない。だが、4回目の勤務を、寝坊してしまった。無断欠勤である。当然タイミーからは追放され、無事、無職に戻った。

 いかにも障害者らしい人生である。このようなことばかりが、延々と続く。むろん、障害は理由にならない。わたしは怠惰で、アホで、バカで、どうしようもない人間にすぎない。

 タイマーに負けて、いや、タイマーに気がつくこともなく、寝ていた。こんなことで、社会に出られるはずもない。はやく、もう、全てをやめてしまいたい。

 3回きりの勤務では、さまざまな人に話しかけて、いろいろを聞いて回っていたのだ。当然ながら、わたしの身分を答えることもある。学生だと答えると、大半の人から、羨望を向けられた。

 われわれは、社会から期待されているがゆえに、4年間の自由を許されているのであった。

 しかしながら、わたしは、それなりの準難関大学に入っているというだけの人間であって、なんの役にも立たない無能である。この矛盾を、どう扱えばいいのかわからない。

 ベテランのおじいさんに、「人とは違う道を行くのだから。」という言葉を投げられた。よく引っかかる言葉だった。学生、とくに大学は、非常な特権であった。

 有能になる気はない。なれないからである。だからといって、無能でいていいわけでもないのである。有用たれ、と、誰ともなく、わたしに語りかけてくる何かがある。これは空虚な、実態を伴わないエリート意識であって、なんの意味もない。

 大学は、有用に向かって駆けて行く場所である。皆がインターンに夢中になり、アルバイトをして、ガクチカに励み、そうして優秀な人間となって行く。わたしは、なにもできないし、なにもしていない。

 根本的に、意味のない人生であった。意味もないし、やることもないので、デエビゴばかり飲んでいる。意識が、とてつもなく苦痛だからだ。

 それでも、自由に終わりはやってくる。否応なくキャリアに追い込まれて行く。受け入れられたものだけが大人である。受け入れられない敗者、子供のままの幼稚さでいる人間は、自主的に退場する。

 わたしの人生は、どこへ向かって行くのだろうか。

夏休み

 もうすぐ夏休みが終わる。去年の夏休みは、死ぬほど遊んだ。今年の夏休みは、なにもせず、ただ時間が過ぎることだけを待っていた。意味のない話である。

 やはり、お金は大切なのだ。お金が全てを決めている。わたしにはお金がない。それで、苦しいのである。

 海外にも1回ぐらいは行ってみたい。パスポートがないのでくるしい。なにをするにも、お金お金、なのだ。

 今年の夏は、労働の夏だった。

 ほぼ確実に転落することのない、「下層」と交わり、わたしがいかに恵まれているかを学んだのであった。

 恵まれている人間が、金をふんだんに使って遊ぶ横で、今日もだれかが、1万円のためだけに1日を奪われている。そのことに気がつけたのは、とても良いことだと思う。

 その一方で、観察というのは、下品極まりないことでもある。上から目線で物を語り、何かわかった気分になっていては、いけない。

 哲学の意味も、もはや見出せそうにない。

 哲学なんて、なに一つ不自由のないエリートたちが、娯楽のために、意味のない思考を巡らせているだけではないか?と思う。実際に、そうである気もする。

 すべてが、バカバカしい。

 虚無主義の誤謬に陥っている。

 このような駄文を記し、50日目の締めくくりとする。

 読んでくださっている方、いつもありがとうございます。

(5015字)

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