恋・愛・論
意味のない話であると思う。
そもそも、わたしの「恋愛」というものは、誰かのことを追いかける営みである。追いかけているうちに、人間が、かみさまになる。偶像、アイドルになってしまうのである。
ところで、かみさまの話は、なるべくしないほうがいいらしい。わたしはかみさまのはなしが好きなのだ。かみさまをまだ好きであるから、である。
まだ好きというのは正確には嘘である。というのも、「いつかの夏、あなたと見た幻影」で、はっきりと、感情を清算したのだ。もうなにも、心残りはない。すくなくとも、理性を持つ部分のわたしは、そうだと感じている。
いまは、わたしのなかにかみさまがいない。それで、あらたなる神を求めて奔走してしまう。
2つのサークルを辞めてしまったわたしに、出会いは存在しない。Twitterにいる女性たちには、すべてに男がついている。わたしが入り込む余地はどこにもない。
それで始めたのはマッチングアプリだった。しかしながら、サークルを2つも辞めた男が勝てる場所ではなかった。むろん、全敗したわけではなく、幾人かの女性とはおでかけした。それでも、すべてのおでかけは1回こっきりになった。つまり、わたしには、人間としての魅力が著しく欠如している。そのことだけが、はっきりと理解できた。それでいて、マッチングアプリの利用料は、ひどく高い。わたしの財布を傷つける。それで、この方法は辞めざるを得なくなった。そんなところに無駄金を割いている余裕がない。
寒くなってきた。寒くなったら人肌が恋しくなるなんて、甚だ馬鹿馬鹿しいこと極まりないのである。そんなことは、言わずとも知っている。それでも人体は素直なもので、なんとなく人間を求めてしまう。
ひとりぐらしの6畳間は、全てに満足がいくのだが、なんとなく苦しい。
こう、労働の意味だとか、結婚の意味だとかが、身にしみてくる。20代でこれなのだから、30代はもっと苦しいのだと思う。だからこそ大人にはお酒が許されている。それだけの苦しみがあるからね。
わたしはひとりである。好きな人もいない。彼女は、できたことさえない。このまま歳だけを食っていって、汚い中年になってしまったらどうしよう。そうなったら、人生に引導を渡すしかない。わたしは綺麗なまま死にたい。中年独身おじさんになってまで、生き続けようとは思えない。全てに対する意志が弱いのである。これでは、誰もおれを愛しようとはしない。
すべての答えが見つかり、すべての罪が許されるその時まで、おれは修行し続ける。(1049字)
※結局千字百本ノックになってしまった。
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