「古事記から探る日本人の古層」第1回(2)対句で書かれる序文

今回は、『古事記』の序文は対句で書かれているというお話をします。「それがどうした」といいたくなるような話ですが(笑)、…ということは、これは中国の古典の文体を模した書き方だということです。修辞的な書き方です。まずはその美しさをご覧ください。

さて、ではいよいよこれから『古事記』を読んでいこうと思っていますが、その前に2つほど前提となるお話をしておきます。

●日本に神話はない
ひとつは、日本には純粋な意味での「神話」はないということです。

この講座でも「神話」という言葉を使いますが、正確には日本には神話はありません。「神話」というのは明治以降できた言葉です。いわゆる「日本神話」というものは、西洋的な神話の概念に日本のものを当てはめたもので、『古事記』の物語が神話かどうかというのは難しい。一応「神話」という言葉は使いますが、『古事記』は厳密な意味の神話ではない、そのことを頭の片隅に入れておいてください。

●今回の講座で扱うのは上巻が中心
『古事記』は上つ巻・中つ巻・下つ巻という三巻構成になっています。上つ巻は、神様の物語です。中つ巻になると、主人公は人間になります。神様の声は聞こえますが、神様の姿はすでに見えなくなっています。下つ巻になると神様の声すら、ほとんど聞こえなくなります

天岩戸神話とかヤマタノオロチなどの『古事記』の中の有名な物語は、ほとんどが上つ巻に載っています。

今回の講座は全5回なので上つ巻を中心に読んでいこうと思っています。

▼序文は偽書?
さて、いよいよ『古事記』の本文です。

『古事記』は最初に「序文」があります。

「序文なんかいいから早く神話を読みたい」という気持ちもわかりますが、でも、これは大事なところなので、ちょっとおつきあいください(…といっても、今回の部分はパスしても大丈夫です)。

とはいえ、全部を読むと退屈だと思うので、だいたいの流れと、そして大事なところをピックアップしながら読んでいきますね。

あ、またまたその前にね。

「『古事記』は偽書だ」という人がいます。なぜなら昔の本には『古事記』を引用したものがほとんどないからです。たとえば能の中にも神話時代の話はたくさん出て来ますが、すべて『日本書紀』からの引用で、『古事記』からの引用はひとつもありません。だから『古事記』は偽書なんじゃないかということが一時、かなり言われたようです。

この頃は、『古事記』偽書説は下火になってきてはいますが、それでも「序文は偽書じゃないか」という方はまだまだたくさんいらっしゃって、しかもかなり有力です。序文は本文よりも後の時代に書かれたのではないかというわけです。

僕はその正否を云々できる立場ではないので、「そういう説もある」ということをみなさんは覚えておいていただいて、でも、まあ序文を読んでいきましょう。

▼対句が多い
序文は漢文(古代中国語)で書かれていて、角川文庫版では3つの段に分けています。

最初の段には「過去の回顧」という見出しがについています。僕のテキストでは、【天地の始まり】と【天孫降臨】の2つに分けてあります。

最初の段落では『古事記』に描かれている内容の概略が書かれています。ここに書かれていることは『古事記』本文に書かれていることと少し異同があるのですが、そこには深入りせずに、その体裁に注目したいと思います。

まずは原文を見てみましょう。漢字ばかりですので、読めなくても気にしないでください

臣安萬侶言。夫、混元既凝、氣象未效、無名無爲、誰知其形。然、乾坤初分、參神作造化之首、陰陽斯開、二靈爲群品之祖。所以、出入幽顯、日月彰於洗目、浮沈海水、神祇呈於滌身。故、太素杳冥、因本教而識孕土產嶋之時、元始綿邈、頼先聖而察生神立人之世。寔知、懸鏡吐珠而百王相續、喫劒切蛇、以萬神蕃息與。議安河而平天下、論小濱而淸國土。

原文はこのようにすべて漢字です。これは序文だけではありません。『古事記』はすべて漢字で書かれています。まだ、カタカナもひらがなもない時代なので、当たり前ですね。

最初の「臣安萬侶言(臣安萬侶言す)」は、「臣下である太安万侶が申し上げます」という語り出しの言葉なのでちょっと措いておき、次からの文を見てみます。

「夫(それ)」とか「然(しかれども)」のような接続詞を目印にして、その下を並び変えてみると、それらがおのおの対句になっているということがわかります。意味は気にしなくてもいいので、体裁の美しさに注目してみてください。

夫  混元既凝、
   氣象未效、
   無名無爲、
   誰知其形

然  乾坤初分、參神作造化之首、
   陰陽斯開、二靈爲群品之祖

所以 出入幽顯、日月彰於洗目、
   浮沈海水、神祇呈於滌身

故  太素杳冥、因本教而識孕土產嶋之時、
   元始綿邈、頼先聖而察生神立人之世

寔知 懸鏡吐珠、而百王相續、
   喫劒切蛇、以萬神蕃息與。

すべてがきれいな対句になっています。美しいでしょ。

「夫」の下は4文字ずつの対句、「然」の後は4文字7文字、次は4文字6文字などになっていて、序文の最初はすべて対句になっているのがわかると思います。

4文字ずつの対句は『詩経』以来の中国の韻文の伝統です、4文字6文字は漢・魏、唐の時代に流行した四六駢儷体(しろく・べんれいたい)の体裁です。

『古事記』の序文がこのように対句になっているということは、序文が中国の文章を真似してるということです。あるいは文字的な文章であるといってもいいかも知れないし、あるいは中国語の音をベースにした文章だといってもいいでしょうか。

少なくとも日本語をベースに書かれたものではない。

そして、このように書かれた文章の特徴として、事実よりも修辞を大切にするということがあります。だから誇張もあるし、ウソもあります。でも、そこには全く悪気はない。このような文章だから、悪気なく話が大きくなっちゃう。だから、『古事記』の場合、神話どころか序文もそのまま受け取ることはできないかも知れないのです。

最初の段落である「過去の回顧」には、『古事記』時代に起こったさまざまなことが主に書かれています。

▼『古事記』の企画
第二段目は角川文庫版の見出しでは「古事記の企画」となっています。資料では、【天武天皇の賛美】と【天武天皇の詔勅】の2段に分けています。この段落では、天武天皇が『古事記』を企画されたことが書かれます。

【天武天皇の賛美】は、天皇を賛美したあと壬申の乱の話になるので、本当は天武天皇と壬申の乱のこともお話したいのですが、これはまたいつかの機会ということにしますね。

そして次のページを見ていくと【天武天皇の詔勅】があります。これを読んでみましょう。

…講座ではここでみなさんと朗読し、そしてこの文章の意味をみなさんと自由に話し合っていただきます。このような作業を続けていくと、古文や漢文のいつの間にか読めるようになるのです。
「朕(あれ)聞く、諸家(もろもろのいへ)の賷(も)てる帝記(すめらみことのふみ)及び本辞(もとつふみ)、既に正実(まこと)に違(たが)ひ、多く虚偽(いつはり)を加ふと。今の時に當(あ)たりてその失(あやまり)を改めずは、未だ幾年(いくとせ)を経ずしてその旨(むね)滅びなむとす」
はい。では、よろしいでしょうか。

内容を大雑把にいうと、いろんな家がいろんな歴史を伝えていて、その内容に嘘も付け加えはじめている。だから、それを正さなきゃいけないと、そういうことが書いてあります。

これ面白いですね。

歴史を伝える家が幾つか出てきた。本来はひとつだったものが幾つか出てきてしまい、自分の都合のいいように書き直し始めた。しかも、ウソすらも付け加えはじめた。

だから、それをなんとかひとつにしようという意思がここに働くんですね。

じゃあ、どうするのか。それが次に書いてあります(続)。

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yasudanoboru

能楽師(ワキ方下掛宝生流)。『イナンナの冥界下り』

『古事記』から探る日本人の古層

古事記から、日本人の心や身体の古層を読んでいく、隣町珈琲(品川区、荏原中延:平川克美店主)での講座をまとめていきます。イラストは中川学画伯です。