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こんな状況でもフルーツパーラーに行きたくて

先日、息子と2人で日本橋の千疋屋総本店に行って来たのです。
目的はフルーツパーラー
GWどこにも行けないので、せめて息子に楽しい時間を&私にたまの贅沢を、というコンセプト。

千疋屋フルーツパーラーは、夫が単身赴任している頃、よく実母が私達を連れて行ってくれた場所。
実母は山形在住ながら、完全ワンオペ生活で病んで適応障害にまでなった私を心配して、年に数回、連休などを利用して上京してくれていたのです。

母もフルタイムで働いてるのに、30過ぎてもこんなふうに面倒みてもらって申し訳ない…とは思ったものの、当時の私は常に限界で、たまに母が来てくれることが救いだった。
(夫は月に一度1泊で帰ってこれるかこれないかのレベルだった)

そんな時代も過ぎ去り、上京も帰省もままならぬ今、もはや自力で行って来ました。

なるべく人の少ない時にと思い、会社が有休奨励日でお休みの平日を選び、開店と同時入店を狙う。
11:00開店のところ10:30過ぎに到着したら、誰もいなかった 笑
これなら並ぶ必要もないと思ったけれど、1番乗りで入店することに息子が意欲を示したので、そのままお店の前で待機。
それでも10:50頃になると、どこからともなく4〜5組ほどのお客さんが集まってきました。

11:00の開店と共に入店。
テーブルにはアクリル版が置かれ、2名客の場合は4人掛けテーブルに斜めの向かい合わせで座る仕様、5名以上の場合はテーブルを分ける…等々のCOVID-19感染対策がなされていました。

そんな状態でも、迎えてくれた店員さんは私達を、「横並び(に座ること)でよろしいですか?」という言葉と共に4人掛けテーブルに案内し、さりげなく斜め配置のグラス達を横並びに直してくれました。
そうです、仮に社会状況がどうあれ、外食で幼児と向かい合わせの飲食など不可能。
隣同士でないと、はっきり言って危険。

そんな私の思考を読み取ったかのように、横並びで座れるよう計らってくれた千疋屋のホスピタリティー…!

フルーツサンドイッチとパフェ2つをオーダーした後、汗をかいていた息子だけマスクを外させ、お話しする時は小さな声でと釘を刺しつつ待つ。

ふと周りを見渡すと、どのテーブルのお客さんもオーダーが到着するまではマスクを外さずに、小さな声で談笑されていました。
やがてお料理やらデザートやら到着すると、めいめい顔をほころばせ、マスクを外して、美味しそうに召し上がりながらまた小さな声で談笑されているのでした。

それは私達も同じで、オーダーしたサンドイッチとパフェが到着するなり、満面の笑みの息子。
赤ちゃんの頃からのクセで、美味しい時は頬に手を当ててニッコリする息子は、何度もその仕草を繰り返しながら食べ続けました。

かつて満席の店内に響いていたたくさんの笑い声は聞こえないけれど、そこには、この状況下でも感染対策をして千疋屋のフルーツを味わいたい人々の、密やかな幸福感に満ちた空間が確かに存在していました。

医療を、社会を、崩壊させるわけにはいかないので、いろんなことを自制する必要があるというのは大前提として。
それでも、美味しいものを食べたい/食べさせたい、あのお店のあれが食べたい、あのお店で食事がしたい、みたいなことは突き詰めたら不要不急ではなく、私達が生きる上で欠かせない心の栄養のようなものではないかとも思うのです。
だからこうやって、皆対策をしてでも、様々な制限を受け入れてでも、こうやって来店するのではないかと。

過去の歴史も示すように、感染症の流行自体はいつか必ず終息する。
でも、その過程で失われたものは戻らない。
命はもちろんのこと、時間も、そして大好きな場所も。
やっと社会が落ち着いた時に、行きたい場所が失われていたとしたら、それはそれで悲劇だと思う。

COVID-19との戦いが長期戦の様相を呈しているからこそ、感染拡大防止に努めつつも、心の栄養やらささやかな楽しみやら大好きな場所やらを守る努力を惜しまないようにしたいと、千疋屋の美しい空間を見上げながら思いました。

だから、また行こう。


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