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金継ぎ

「割れた茶碗は元に戻らないのよ!!」

もう10年以上の前の話。夫婦喧嘩で言われた一言。妻の中で崩れた私への信頼感。それは込み上げる怒りの感情とともに、言葉で突如自分に突き刺さった。

それは当時の自分にめずらしく響いた。いつもなら、あーいえばこーいうで言い返せたのにこの言葉ばかりは言い返せなかった。

ラブラブ新婚期を過ぎて、イケイケで仕事をしていた時期。配慮なんてかけらもなく一生懸命必死にそして最高に楽しく仕事をしていた。自分では家族のため、と思って働いていたつもりだった。

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さて現実に時を戻す。冒頭の言葉を思い出したのはなぜかというと、食器片付けをしていたら妻の大切にしている皿を割ってしまったのだ。職人さんが丁寧に作り上げたであろうと、素人の私でもわかるようなきれいな器。作りがいいからか破片もなく綺麗に2つに割れてしまった。

この茶碗を戻すことはできないのか。捨てようか迷った。隠して捨ててしまおう、とも思った。そこで蘇ってきた言葉が、「割れた茶碗は元に戻らないのよ。」というセリフだった。その瞬間、捨てるという選択肢を消した。
「茶碗 割れた 修理」で検索。

検索ヒットしたのは「金継ぎ」の文字。金継ぎ?なんだそれ?

幸いにして、知り合いを介して金継ぎをしている方を紹介してもらった。
「妻の大事にしている器なんです。いくらかかってもいいので、直していただけませんか?」
快く引き受けてくださり、1ヶ月ほどして素敵なメッセージと共に見事なまでに金継ぎがなされて器が返ってきた。

怒られることを覚悟して返すことに。
「ごめん、実は割っちゃったんだ。それで、金継ぎっていうのに出してみて直した。」と伝えると、夫婦共通の知り合いを介して紹介してもらった金継ぎをしている方だったので、先に妻もお世話になっていたのだ。

そしてなんと、以前割れてしまった私の茶碗がまだ残っていることを知る。

その茶碗は、新婚の時にペアで買った茶碗。
京都・清水寺の山門から下ってきて、産寧坂方面に曲がる角のあたりにあった瀬戸物屋さんで買った。ある時割ってしまい、てっきり捨ててしまっていたと思っていた。

さらに驚きだったのは、妻がその割れた茶碗を「金継ぎ」に出したのではなく自分で金継ぎをしていたこと。その先生の元で「金継ぎ」を習い、「金継ぎ」を自分自身のライフワークにしようとしている。

夫婦関係をもうこれ以上、妻に「金継ぎ」させるわけにはいかない。毎日使う茶碗のように、大切にしないといけない。

後から聞いたが、割れて直した部分を金継ぎの世界では「味」と呼ぶらしい。この「味」を茶碗を夫婦関係に例えたら、絆、証、通った道跡、時には溝、なのだろうか。私が「味」を語るのはまだ早そうである。

さて本題の核心にいこう。「割れた茶碗は元に戻らない」のか?いや、戻るのか?それは私にもわからない。でも、割れた部分を繋ぎ、輝きを取り戻すことはできる。いや取り戻すんじゃない。味が加わることで、美しくなり魅力が増していくということ。

だから、時代を超えて使うことができる。魅力は褪せることなく、深みが増していく。器も夫婦関係も同じなのか?

夫婦喧嘩をして後から後悔することがたくさんある。なんでだろう。器ではないが、結局のところ言い放った言葉は消せない。だから、言葉の扱いも大事にしなければいけないし、大事にすることができていたら、言葉にも味が出るのかもしれない。

だから、「割れた茶碗は元に戻らないのよ!」と言われても、「いや、戻る!」と自分は信じています。
でも・・・割れるような状況にならなければ一番ですけどね。

今日も金継ぎ作業に集中している妻。楽しそうだ。
そんな妻の背中をキッチンから見るのがうれしかったりする。
関係にヒビはあるのか? これから先、夫婦という茶碗を継ぐのは誰なんだろう?  

日常にそんなシーンが加わったおかげで、食器洗いが嫌でなくなってきたよ、ありがとう。

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追記

ちょうど、#わたしの舞台裏 という企画がスタート。応募させていただきます。

#わたしの舞台裏  というより、#わたしたちの舞台裏 のほうが相応しいハッシュタグかもしれませんがご容赦ください。#ドラマにできないわたしたちの舞台裏 です。

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