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僕が思う「生きる使命」

みなさんこんにちは。しんちゃんです。今日は「自分の人生に与えられた使命を探すお話」について書いていこうと思います。

では、はじまります。

先々月、自己分析合宿という機会をいただきました。どういうわけか会社にそういう制度があり、今回は箱根の方で温泉にでも浸かりながら、忙殺される日々の業務から距離をおいて、自分を見つめ直してきました。

どんな意思決定軸を持って行動してきたんだろうと振り返ると、根幹にあるのは「自分が生まれてきた意味」を探すために生きてるんだと気づきました。いわゆるZ世代と名つけられた僕たちの世代は、贅沢なことにこういうことを考える「余白」があるんだろうなあとも思うし、それはそれで大きな悩みでもあります。


一体全体、自分が生まれてきた意味ってなんだろう。与えられた使命とは?自分じゃなきゃダメな理由とは?やらされ仕事で時を過ごし、富や名声を手に入れたとて、果たしてそれは幸せなのかなあと悩む日々です。


周りを見渡せば、自分より遥かに出来のいい大人たちがひしめき合っていて、自分なんてと悲観的に走る時間も少なくありません。なかなかしんどいものです。


人それぞれ幸せはあるとは思うのですが、今回自分が辿り着いたこれかなあと思う幸せは、「新宅らしさ(ユニークさ)が存分に出せている状態で、人に驚きや感動を与えること」だと気づきました。


これまで、他人にベクトルが向いているビジョンを掲げてはいましたが、実は実は呆れるほどの自己中心的な思考をしていました。残念で恥ずかしい気持ちと同時に、どこかしっくりくる自己分析でした。


僕たちに与えられている使命なんてものは、そんな大それたものじゃないのかもしれません。ただそれがどうしようもなくつまらないものだと悲しい気もします。人間は自分が経験してきた範囲でしか価値提供ができないとすると、少しでも大それた使命にするために、できないことへ挑戦しているのかもしれません。


日々の業務に戻り、やはり辛いなあとか逃げ出したいなあという思いもあります。

「甘えすぎるとこうなっちゃうけどな」

そんな時、脳裏に浮かぶのはあの日のおじさんの言葉です。



あれは小学生の時。
いつものように友達とカードゲームをして遊んだ帰り道、ふと家に帰るのを躊躇ったことがある。
元気にしていた太陽が力をなくし、山の向こうへ消える姿を見て不思議に思い、追いかけてみようと思ったのだ。


僕の家は階段を登った上にある団地だったから、その道ではなく山の中につながる急な坂道を登って行った。
暫くして街の音は消え、鳥の囀りや蝉の鳴く声が周りを包み込む。吹いてくる風も先程までの生温かさはなく、肌の上を涼しく撫でて通りすぎる。
その素晴らしい心地よさに、暫く足を止めていた。

気がつくとあたりは少しずつ暗くなっていった。カラスの姿も夕闇に溶け込んで見えづらくなっていた。どうやら追いかけていたはずの太陽は、僕には何も言わず、先に沈んでしまったらしい。


目的を見失ってしまった僕は、これ以上前に進む意味もないと思い、引き返そうとする。
しかし、そこでまた足が止まる。来た道とは思えないほど見たことない風景になっていたからだ。
もう15年以上前のことなのに、今でも鮮明に思い出す。


進めば進むほど、自分の行先に自信が持てない。子供ながらにも事態の深刻さを感じ取る。先程までの心地よかった風が、妙な肌寒さを与える。下り坂のはずなのに、息が上がる。上を見上げると、細かい雲をかき分けた月がくっきりと見えていた。

しばらくの間、月を眺め続けていた。

ああ、このまま戻れないかもしれない。


「おーーーい、そんなとこで何しとんじゃー」

山の中から声がした。聞いたことのある声だった。声のする方を見る。自分より一回りもふた回りも大きい小太りのおじさんだ。全身グレーの作業着みたいなものを着ている。片手にはワンカップの日本酒を持っている。近所に住む独身の酒好きなおじさんだ。


僕は安心感からか、先程まで溜めていた涙を一斉に外へ流す。自らおじさんの太ももへ、声を出しながらしがみついた。


「そんな泣かれてしもうたら、わしがなんかしたみたいじゃろうが。ええけ、下まで一緒に降りようや。」


おじさんの声にコクリと頷く。


山の麓を目指し、おじさんと手を繋ぎながら歩いた。なんでこんなところにおったん?とか、何してたん?とか色んなことを聞かれたが、涙が止まらなくて声を出せなかったので、おじさんは諦めて、右手に持っている安上がりのカップ酒を自分の口にくいっとやった。


暫くして落ち着いたので、先程の質問に答えていった。おじさんは大きな口を開けて僕を笑った。僕はそれに少しムカついたので、おじさんの太ももを殴った。それでもおじさんは笑っていた。


「やりたいように、生きりゃあええ。進みたい道を進めばええ。子供の特権だ。」

「子供だけなの?」
おじさんの言葉に少し引っかかりを覚えたので、僕は聞いた。

「うーーーん、大人になるとやりたくてもできんことが増えるけぇね。『責任』ちゅうもんが纏わりつくんや。それから、、」

その後、おじさんから難しい話が続いた。難しすぎて覚えていない。

だけど、あの言葉は鮮明に覚えている。

「一度きりの人生、自分が主役、ヒーローじゃ。母さんや父さんに怒られても、友達にバカにされても、決して自分を嫌いになるな。それがこの世に命を生まれ持った者の使命じゃ」

なびく木々。散らばる木の葉。カラスの鳴き声。その日、その言葉を聞いた、その瞬間を、僕は忘れないだろう。

「まあ、甘えすぎるとこうなっちゃうけどな」

おじさんは手元にあった空の瓶を頬に持ってきて、ニコッと笑って見せた。

その後、おじさんが家まで連れて帰ってくれ、ことなきを得た。その夜は父さんと母さんにこっぴどく叱られた記憶もある。子供ながらに自分がしてしまったことの重大さと後悔を感じた。



しかし、今、社会人になって振り返ると、好奇心に抗わず生きていた自分を、羨ましくも懐かしくも思いますし、後悔なんてしていません。

あの時のあのおじさんの言葉は、今でも忘れません。

自分の進むと決めた道を信じる。そして、その自分をとことん肯定する。自己中でいいんです。

そしてそれこそが、使命なんだとおじさんは教えてくれました。

今日は普段飲まないカップ酒を1人で飲みながら、筆を執ってみました。

僕たちの世代は、ほんの少し、優しすぎるのかもしれません。

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