10年間の親友だったベンチ

行きつけのカフェの一番端の席、昔よく遊んだ駐車場、家の近くの芝生、海が見える屋上。見渡してみれば、誰にでもお気に入りの場所はあるのかもしれない。

家の近くにある大きな公園。そこの砂場に一番近いベンチが僕にとっての特別な場所だ。このベンチに腰を掛けるときはいつも夜だった。夜空を見上げながら、時にカップラーメンをすすりながら沢山の感情を共にした。なんだかんだこのベンチとは中学3年生から今までの10年の付き合いだ。もう親友。

22時まで勉強して、まだ何だか家に帰りたくなくて寄り道して座っていた14歳の頃。家族や周囲の人間が期待する志望高校に合格できるか不安だった。そんな時、誰もいない公園で夜空を見ていたら、モヤモヤしていた気持ちが拭い去られた。なんだか冬のオリオン座と開放的な公園を自分が独り占めしてるみたい。よし、明日も塾が終わったらここに来よう。今日の復習も今日中にしちゃおう。14歳の僕にとって空を見上げるって、つまりそういうことなんだなと思った。

高3の文化祭、クラス打ち上げの帰り道。楽しかった時間の余韻に浸りたかった。だから、寄り道をしていつものベンチに腰掛けた。馬鹿だけど居心地の良いこの高校生活が一生続けばいいな、早くクラスラインのアルバムに写真が追加されないかなと心待ちしていた。その時、14歳の頃の自分に言ってやりたかった。お前は志望校に合格して最高の高校生活を送ってるぞって。泣き出したい気持ちでこのベンチ来なくていいぞって。

リュックサックに大量に詰め込んだテキスト。赤本が重い。1年間予備校に籠り、2回目の大学受験で結果を出せなかったらと怖くなった。だから浪人生になってもベンチで夜空を見上げた。なんだか、高校受験の頃みたいに開放的な気分にさせてくれると思ったから。だけど、この時は焦りの方が勝っていた。あぁ、去年このベンチには幸せな気持ちで座っていたな。大学生になった友達は今頃飲み会とか楽しんでいるのかな。お酒ってうまいのかな。また受験落ちたら、父さん母さん悲しむのかな。

千鳥足で缶ビール片手の大学1年。まだまだ話足りなく、帰りたくない。友達と電話しよう。家だとうるさいし。だからベンチに腰掛けた。生意気にも飲み会になれてきた。おい、浪人の自分。お酒はおいしいぞ。行きたい大学に行けて良かったな。バイト代貯めて親においしいご飯でも食べさせてあげろよ。高3の自分へ。大学生活も悪くないぞ。学園祭はもっと規模がでかいんだ。だけど、高校生って貴重な時間だったと思うわ。残りの高校生活大切にな。


昨日の昼間、自宅待機の気晴らしに公園に散歩に向かった。

いつの間にか僕のお気に入りのベンチが新しくなっていた。

結構ショックだった。

その新しいベンチに座ってみた。当たり前だけど、そこから見える景色は一緒。でも昼間に座ったことが無かったので、子供が視界に入るのは初めてだった。

この先僕は今座っている新しいベンチに座りに来るのだろうか。夜にこの新しいベンチに腰を掛けて星を見上げたら、胸の奥のほろ苦かったりワクワクしてた感情は浮き上がってくるのだろうか。

そんなことを思って、ノスタルジーに駆られた。

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