猫田珠美

ねこがすきな、あらふぃふ女子。 ことばがつくり出す世界がすき。 日々、 感じたこと、感…

猫田珠美

ねこがすきな、あらふぃふ女子。 ことばがつくり出す世界がすき。 日々、 感じたこと、感じていること、感じたままに…。

最近の記事

賢明と聡明の間で

入社して1年目が一番ひどかった。 何をしても失敗。 ミスの連発。 上司からの怒鳴り声。 自分でも、なぜこんなにも繰り返してしまうのかが分からない。 負のループにはまり込んでしまった、という感じの毎日だった。 「お客様に領収書、送っておいてもらえる?」 上司にそう頼まれて、送付手配をした数日後、お客様から「領収書、すでにもらっているんだけど?」とクレームの電話。 送付済みのチェックが抜けており、ダブって発行していたのである。 「今日の集計、本店にファックスして

    • 人生、「予感」でできている。

      毎朝、出勤前にすること。 それは、今日の運勢チェックである。 お気に入りの占いサイトから送られてくる、その日の運勢。 自分の生年月日を入力しておくと、それに合わせた占いを送ってくれる。 『きょうは、スッキリと気持ちのいい運気の日。たくさんのことを一気にこなせる日』 などの記事を読むと、 「お、仕事、はかどりそう!」 と、ちょっとすてきな、いちにちのイメージが浮かぶ。 しかし、占いサイトによっては、星座ごとのランキング……なんてものもあり、 自分の星座が最下位

      • 他人が家にあがってくるとき、どれくらい片付けますか?

        他人の家にあがらせていただく仕事をして、10年以上がたった。 はじめたころは、たいして何も感じていなかったが、反対の立場になって考えてみると、確かに特殊な仕事ではある。 「反対」というのは、「他人が家にあがりこんでくる」という立場である。 日々の暮らしをふり返ってみると、確かに、他人は、そんなに頻繁には、家にあがりこんでは来ないのだ。 ガスの点検の人が、たまに。 祖母がいたころは、ホームヘルパーの人が週一回。 お盆には、お坊さんが数分間。 ヤクルトやダスキンのお

        • 右手左手物語

          「お姉ちゃんって、左利きに敏感よね」 あるとき、妹にそう指摘されるまで、全く自覚はなかった。 料理番組を見ていても「あ、あの人、左手で包丁を使っているね」 スポーツ観戦をしていても「卓球って、左利きだと有利だったりするのかな」 初対面の人に向かって、「へぇ! 左利きなんですね~!」 自分の言動を振り返ってみると、確かに、これは、敏感の域に入っている。 なぜなのだろう。 左利きの人から、「左利きあるある」を聞くのも好きだ。 「小学校の頃、書道教室で無理やり右利きに

        賢明と聡明の間で

          「毒」という名の特効薬

          「毒」 と聞いて、なにを思いうかべるだろうか。 「毒」というプレートをかかげて、道を走っているトラックは、なんだか近づきがたい。 ひとの悪口ばかり言って、毒づいているひととは、距離をおきたくなる。 食べすぎてしまった日には「これはからだに毒だな」などと思ってしまう。 いいことは、ひとつも思いうかばない。 逆に「毒のない状態」はどうだろう。 それは、一点のくもりもなく、まっさらで透明なイメージが思いうかぶ。 理想的。 そんな状態の自分で、いつもいられたらいいなと思

          「毒」という名の特効薬

          「生まれ変わったら、なにになりたい?」

          そのことついては、まだまだ書くに至らない。 そう思って、ずっと避けてきた。 実際のところ、勉強中であるし、いまだに分からないことも多い。 何より、そのことについて書くなど、おそれ多い。 そのこと、というよりは、彼ら、と言った方がいい。 わたしにはできないことを、彼らはいとも簡単にやってのける。 どんなにマネしようとがんばってみても、決してその域に到達することはない。 永遠のあこがれ。 しかし、彼らについて書かれた本は、とにかく多い。 時代を超えて名を馳せる文豪が、彼らに

          「生まれ変わったら、なにになりたい?」

          「美化委員会、辞めます」

          いまのスマホを使いだして、はや3年。 「最近、充電がすぐ切れるなぁ……。そろそろ買いかえようかな」 ふらっと携帯ショップに立ち寄ってみる。 「乗り換え、お考えですか?」 いきなり、店員さんにつかまる。 「いや、ちょっと……その、充電が……」 もじもじしているうちに、商品や料金プランの説明がつぎつぎとはじまり、気がついた時には、おおよそ1時間は経過していた。 「最後に、先ほどお話していたカメラ機能、お見せしておきますね」 「別にいらないのだけれど……」そう思って

          「美化委員会、辞めます」

          幻想劇場、ただいま改装中。

          小学生のころ、毎日の通学は徒歩50分。 しかも片道、である。 当時のわたしにとっては、あたり前だったが、大人になってからその話をすると、おどろかれる率はかなり高い。 通学路は、ほぼ田んぼ道で、まわりに家など1軒もない。 いまでこそ、変質者がいて物騒だとか、あぶないとか言われてバスでの通学に変わっているが、当時はおかまいなし。 飛ぶ虫を追いかけたり、道端の水路に浸かったり。 かなり自由に、のびのびと、その50分を楽しんでいたように思う。 そんな、学校からの帰り道。 わ

          幻想劇場、ただいま改装中。

          間質性膀胱炎とわたし vol.2

          約15年間のつきあいになる「間質性膀胱炎」について書いています。 ◆どういう病気なのか、それについて書くまでの葛藤などは、 「間質性膀胱炎とわたしvol.1 」にて読んでいただけるとさいわいです。 ______________________________

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          間質性膀胱炎とわたし vol.2

          シャボン玉に触れたくて

          最近、どうも、あいづちが気になる。 誰かと誰かの会話を耳にしていても、話の内容よりも、そのあい間に聞こえてくる「ふんふん」「へぇ~」「あ、そう」などのあいづちが気になって仕方ないのだ。 先日、電車に乗っていた時のこと。 よくしゃべるおばちゃんと、あまりしゃべらないおばちゃん2人の、何気ない会話が聞こえてきた。 しゃべるおばちゃんは、自分の息子の話なのだろうか、子どもの頃はどんな子だったとか、今はどこにいて、どんな仕事をしているとか、そんな類の話をペラペラとしていた。 しゃ

          シャボン玉に触れたくて

          ガリガリさんのためのぽっちゃり本

          今から、世の中の多くの女性が、腹の立つことを言います。 「私は細くて、やせています」 「どれだけ食べても太れません」 「ダイエット? したことありませんし、やろうと思ったこともありません」 どうでしょうか? 腹が立ったでしょうか? しかし、その、腹の立つ理由って、一体なんなのでしょうか? 私は、子どもの頃から痩せていて、いつも周りからは「ガリガリ」「骨が痛々しい」「ご飯ちゃんと食べてる?」そんな風に言われて育ってきた。そんな言葉は、大人になった今でも変わらず、浴び続けて

          ガリガリさんのためのぽっちゃり本

          間質性膀胱炎とわたし vol.1

          膀胱炎、と聞くと、「尿の中に菌が発生して、膀胱が痛くなる症状」と、認識する人がほとんどだろう。 しかし、お腹が痛くなり、病院で膀胱炎の疑いが出て、尿検査をしても、まったく菌が見つからない、そんな膀胱炎もあるのだ。 わたしが、この間質性膀胱炎を発病したのは約15年前。 今まで、この病気について書いたことは、一度もない。 「病は気から」などと言われ、からだとこころのつながりは密接であることは、だれもが感じていることである。 だからなのか、どうなのか、よく分からないが、

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          たった5円を使わない解放感

          あなたは、いま、解放されたいものはあるだろうか? 子育てでいそがしい毎日? テスト前の勉強? 住宅ローン? 元彼への未練? 試合前の減量? どんなものであれ、なにかに縛られた状態からの解放感たるや、たまらないものがある。 徹夜の仕事を終えた、なん時に起きたっていい朝。 なにを食べたっていい、制限のない食事。 あたらしい恋人との、あたらしい時間。 長距離を歩いたあとの、靴をぬぐ瞬間。 たまらない。 解放されるたびに、ひとつの扉が開くような感覚。 そしてまた別のあたらし

          たった5円を使わない解放感

          「ズレ」た人生、生きています

          2018年、わたしは3回も、くるまをぶつけている。 1回目は、自宅の壁に、ガリガリ。 2回目は、ほそい路地を通りぬけようとして、石垣にガリガリ。 3回目は、縁石ブロックにのりあげ、ガリガリ。 1回目は、言うまでもなく、落ちこんだ。 2回目、あきれた。 3回目になると、笑いがでてきてしまった。 「おいおい、わたし。なにをしているのだい?」 くるまの運転は、得意ではないが下手でもない、と自分では思っている。 しかし、これだけ続くと、疑わざるをえない。 自分のどんくささを。

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          いつもの「いつも」は 変えられる

          毎日の通勤には車を使っている。 片道40分。 毎日、同じ時間帯に、同じ通勤路。 目に入ってくるのは同じ景色。 おおよそ、すれ違う人も同じ人。 同じ時間に、いつものおじさんが、いつもの犬の散歩をしながら、いつもの横断歩道を渡っている。 いつも曲がる交差点の角にある車の修理屋さんでは、おなじみの整備士が、いつもと同じ体勢で、今日も車の整備をしている。 時刻表通りに走る電車に、いつものように踏切でひっかかり、車を一旦停止させて、車窓を眺めながらそれが走り過ぎるのを待つ。 何なら

          いつもの「いつも」は 変えられる

          「好きな映画、ある?」

          「好きな映画、ある?」 そう聞かれると、必ず答えてきたのが『男はつらいよ』である。 学生時代からだから、もう20年くらい言い続けている。 まわりの女子が『タイタニック』とか、『ブリジットジョーンズの日記』と答えている中での、このセレクトは、必ず「しぶいね~」と言われ、かなりのおっさん扱いをされてきた。普通だったら、その答えの後に盛り上がるはずの映画の話も、おおよそ興味を持ってもらえない。 確かに古い映画ではある。 シリーズ全48作(特別編を含むと49作)あるうち、第1作目

          「好きな映画、ある?」