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もうクリエイターじゃない、はずだった。

昨年からジョインしているオンラインポートフォリオサービス【foriioの累計登録クリエイター数が10,000人を突破しました。このnoteは、foriioに登録してくれている方、foriioを応援してくれている方、これからforiioを知るかもしれない方へ、個人的な想いをつらつら書いたものです。
あーでもないこーでもないとここ2週間ほどnoteを書いては直し、書いては直していたものの、私が言いたいことは、先日のアカデミー賞受賞式のこのスピーチに全て集約されていたので、まずは紹介させてください。

「パラサイト 半地下の家族」で監督賞を受賞したポン・ジュノ監督のスピーチ。その中で紹介されていたマーティン・スコセッシ監督の言葉です。

“最も個人的なことが、最もクリエイティブなことだ”


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foriioは、「クリエイターのためのポートフォリオサービス」です。よく聞かれるのが「私もクリエイターですか?」「だれがクリエイターですか?」。デザイナーさん、イラストレーターさん、映像ディレクターさん、フォトグラファーさん…様々なクリエイティブな職業がありますね。私も「プロデューサー」「プランナー」「ディレクター」あたりの肩書で2年間コンテンツを作っていて、その頃は自分が「クリエイター」だと思っていました。企画考えるし、脚本も読むし、劇中歌作ったし、キャッチコピーとかプロモ動画も作りました。
でも、「私より凄いクリエイターはたくさんいるし、私は素敵なクリエイティブを埋もれさせたくない。私が1つの作品を作りだす間に埋もれていくかもしれない100、1000の作品が、世に出て知られるチャンスを作りたい」というもともとあった気持ちが強くなっていき、心のどこかでクリエイターとしての道から方向転換する思いで昨年6月にforiioに転職しました。

その頃に観た「トイ・ストーリー4」の感想に、こんなことを書いています。(ネタバレを含みます)

移動遊園地のテキヤで子供たちがおもちゃを手に入れられるようにサポートするその姿からは、「多くの子供たちと、最愛の存在になるであろうおもちゃとの出会いを作る」という事へ自身の役割を変化させていったように感じました。
「旅に出る」ということが単なる自由の獲得という意味ではなく、そうした広い世界の中でなら、自身の誇りや信念を「1対1」ではなく「n対n」という形に置き換えて貢献できる事に気づいての行動なのではないかなと。
そのウッディの選択に、私は涙を禁じえませんでした。

「アンディのおもちゃ」という役割から、より広く「子供とおもちゃの出会いを作る」という役割へと自身の立ち位置をスライドさせていったウッディの決断は、「1つの作品を作る」ことから「作品を作るクリエイターの無数の出会いと機会を作る」ことへと仕事を変えたタイミングだった私にはグサグサに刺さる内容だったのをとてもよく覚えています。作品自体賛否両論が巻き起こり、「ひとりの子供に寄り添うのがおもちゃたるもの。ウッディはもう違う」などと否定派の意見が目に入るたびに、全然関係のないところで寂しくなったものです。アンディ同様、「自分ももうクリエイターだと名乗るタイミングはなさそうだな」と。

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foriioに入り、まずは自分のポートフォリオを作りました。その後、そこに並べた作品たちを眺めながら様々なことを考え、時に作品を追加し、時に制作ノートを書きながら、早いもので7カ月が過ぎ今年の年明けを迎えました。その時掲げた目標を晒します。

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「素晴らしいもの・サービス・作品・人を埋もれさせない」「それらが生まれる原体験の深堀りと物語の発見、広まっていくエコシステムの構築」。これは、私がただただ個人的にやりたいこと。foriioに転職した理由とも結びついているのは、幸せなことだと思っています。

この目標を決めた背景をお話すると、これまでずっと「他者からの承認」がなくては幸せを感じることができない、「他者との比較」でしか自分の成功を感じることが出来ない性格を恨めしく思っていました。「他者」の重要度が高く、無意識に価値観をコントロールされた状態はやっぱり不健康で不健全。もっと、自分で自分をマネジメントしたいなと解決策を探っている時に、「そもそも自分の中の評価軸がない」という問題にぶちあたったんです。

私の成功は、私が決めたい。
でも、私の成功の定義ってなんだ???


「前年対比で売上120%」みたいな数字で示される会社の目標設定に盾突いていた昔の私の違和感は、スタートアップという環境に飛び込み、「ビジョン・ミッション」という存在と出会ってふっと消え去りました。そう、売上・数字は手段。その手段をとることで成し遂げたいものがあるはず。
それは個人においても同じで、世の中の「フォロワー数が最大の評価軸」にも「年収がその人のステータス」にもしっくりきていませんでした。そこから「だったら、今の会社みたいに自分用のビジョン・ミッションを決めちゃえばいいじゃん!」と思い立って出来上がったのがこの目標です。

ちなみに「素晴らしいもの・サービス・作品・人」とは、私が独断と偏見で個人的に「いい!」と思ったものを指すとしていて、それらにどんな共通点があるのかはまだまだ観察中。ただひとつ言えるのは、それらは全て私に刺激を与えてくれる存在だということ。その刺激を作り出している要素の中から何か一つを「表現」にして、社会との接触点を作るお手伝いをしたいんです。

1月は、とりあえずやれることからやってみることにしました。映像ディレクターの知人の会社のキャッチコピー?ステイトメント?的なものを作りました。これは3月頃に出せるはず。昨年foriioで行ったイベント「#私はこんな仕事がしたい展」のトークセッションレポートも8本書きました。bosyuで応募してくれた方の他己紹介記事も個人マガジン「Letter for XXX」として少しづつ書いています。モデレーターではないけれど、明日MarkeTreeのLTでお話させて頂くチャンスも頂きました。


不思議なことに、「クリエイター」としての道を逸れて、こうして個人的にやりたいことを追いかけ始めてからの方が、自分が取り組むことに対して「クリエイティブでありたい」という想いが強くなっていることを感じています。

“最も個人的なことが、最もクリエイティブなことだ”


そう、「クリエイター」かどうかなんて、誰かの決めた定義の中で考えなくてもよかったんですよね。「最も個人的なことを形にしようと真剣に取り組む時、人は皆クリエイター」なのではないでしょうか。スキルも、ノウハウも、様々なツールがある現在、どうにでもなります。“個人的なこと”と向き合うあなたの想いは、きっと社会のどこかと、誰かと繋がっている。まずは、あなたの中にある、あなたにとって大切なことを、自分自身を知ることを、はじめることが第一歩。

foriioに登録した当時、私はあまりそんなつもりはなく、「扱うサービスを知るところから始めよう」というまあ一般的な感じでした。でも、これまでを棚卸ししていたら、やってきたことをまとめる本拠地ができて、そこにこれから並べていきたいものを考えていたら、それがすこしづつ形になってきました。

もうクリエイターじゃない、はずだったのに。
クリエイター然とすることを脇に置いたところから、少しづつ自分なりのクリエイター像に向けて歩み始めたみたいです。

これからforiioにどんな作品を追加していけるだろう。


foriioは、これからも個のクリエイターをエンパワーメントしていきます。

※個人の考えです。


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