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いぬのこと

14年前の夏、その白い生き物はやってきた。子犬と呼ぶには大きいその生き物は、柴犬を欲していた父がペットショップから連れ帰ってきた、白柴であった。彼はあるバスケットボール選手に因んだ名を付けられたが、私はもっぱら略していた。言いにくかったからだ。

彼との接点はあまりなかった。父がえらい可愛がっていたのでそっとしておいたら、一緒に遊んだり散歩したりできなかったのだ。腕白な子で、しょっちゅう首輪から脱走しては走っていたらしい。そして「取り返しがつかなくなる前にハーネスを導入すべき」という提案が許可されぬまま、柴さまはついに我が家から走って出て行ってしまった。

動ける者が総出で探し、保健所に連絡し、見つかったのは数日後、家からだいぶ離れた民家の車庫。母と私で迎えに行き、その足で医者へ向かう。母が運転するので私が彼を抱えた。抱き上げると痛がり、呼吸の様子もおかしい。ただならぬ怪我をしていることは明らかで、謝りながら病院へ担ぎ込んだ。即日入院である。

強い衝撃による脊椎の損傷、肋骨の骨折、その骨が肺に刺さったことによる気胸。入院手術が必要であると言われた。何らかの車両に接触したのでは、ということだった。

気胸の症状が落ち着いてから紹介された都内の病院に半日かけて向かい、手術に立ち会った。脊椎をボルトで固定すればいずれ歩けるようになるとの医師の言葉通り、彼は何ヶ月かでゆっくり歩けるようになり、背中を痛がらなくなり、ハーネスに切り替え、小走りになり、いつの間にか全速力で走ることができていた。広い場所でハーネスを外しても、名前を呼ぶと止まるようになった。

学校や仕事が休みの時、他の家族が不在の時にわたしが散歩に出るようになったのはこの頃からだ。車の入れない道で雪を掻き分け泳ぐようにダッシュしていくのをモソモソ追いかけたり、炎天下をどこまでも歩くのに付き合ったり、必死で四肢をつっぱり抵抗する柴さまを引きずるように予防接種したり、彼なりに元気よく動き回ってくれることがとても嬉しかった。

ごはんは鶏胸肉を茹でたものとキャベツを混ぜて軽くあたためたところにドライフードをちょっと入れる。最近鶏胸肉はやめたらしいけれど、彼のごはんの為に冷凍された鶏胸肉は、たまにわたしの昼飯になったりした。雷が苦手で、雷雨の時には人のいる部屋のドアを前脚で引っ掻く。気付いて部屋に通すと、親のどちらかが戻るまで、すみっこで置物めいて座っている。打ち上げ花火の時も同じような感じだ。

実家に旦那さんを連れて行くと、私よりも旦那さんに懐きやがった。今年の夏もそうだった。わたしは彼に覚えられてはいるもののヒエラルキーは低いままなんだろう。

もうすっかりおじいちゃんなのでたっぷり眠ることが増えた。激動の半生だったので、老境にあってはのんびり過ごしてほしい。