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ニンジャスレイヤーファンフィクション再録【マイ・フーリッシュ・ハート】#0


【マイ・フーリッシュ・ハート】♯0

「またね」

 薄手のキモノ一枚を羽織って、彼女は部屋から男を送り出す。豊かな黒い髪を揺らし、目尻のあがった瞳を優しげに細めて。

 彼女はネオサイタマの止まり木。様々な男が彼女で羽を休めて巣へ帰る。帰る巣には、誰かが待つかもしれないし、孤独かもしれない。

 けれど、それは彼女には関係ないことだ。相手が何者で自分が何者かは、この小さな部屋では些細なことだ。やりとりする体温と、少しのセンチメントがあれば相手を暖めるには十分だと、彼女は思っていた。

 彼女はこの部屋にいる間、三つのルールを自らに課している。ひとつ、対価の分だけ仕事をする。ふたつ、詮索しない。みっつ、身の上話をしない。男も、彼女も、そうすることで傷つかないと知っているからだ。

 彼女の名前はノナコ。オイランだ。

 その日も雨だった。飛び込みの男がノナコを買ったとノーティスが入り、ノナコは軽く身支度を整える。ほどなく招き入れた男は、背が高く、精悍な面差しで、鋭いが疲れた目をしていた。久々に好みの男が来たので、いつもより口角がつり上がる。

「ドーモ、初めまして。ノナコです」
「ドーモ。カギ・タナカです」
「よろしくね、タナカ=サン。アタシを選んでくれてアリガト」

 一見客への常套句だったが、嘘はなかった。コートを受け取り、ハンガーにかける。(タナカ=サン、って感じ、あんまりしないなァ。でも、カギ、はワカル。似合ってる)

(――じゃあ、この人には、なんて付けよう)ノナコは考える。彼女は、客を鳥の名前で管理することにしていた。こうしておけば、誰が誰かはノナコにしかわからない。彼女自身の覚えやすさと、客の情報を守ることを兼ねているのだった。

(何がいいかな……イーグル? 違う違う。もっとギリギリで飛んでるアトモスフィア……コウモリは……鳥じゃないし。カラス……うん、カラス)群れを飛び出して、行く当てのないカラス。

 ノナコの目に、男の腰に吊ったカタナが目に入る。ドス・ダガーより長いが、ノナコが見てきたカタナよりは小ぶりだ。「お客さん、ケンドーする人?」「……イアイドーだ」「イアイドー」両者の違いがよくわからないので、とりあえず感心したように微笑んだ。

「カタナが珍しいか」「そういうカタナは初めて見るから」男は彼女がカタナを預かろうした手を無視して、カタナを壁際に立てかけた。(あら、触らせない程の物なの?)ノナコは伸ばした腕を引っ込める。

(大事な物には触らせない人。それでカタナを使うなら、用心棒か、もっとコワイな仕事のどっちかだよね)ならば、不必要に探る必要はない。ノナコはそう決めた。話したい男は自分から話すものだ。そうでないなら、ルールに従うべし。

 ノナコがコワイな仕事、と推察した理由はもう一つある。この男からはある種のサツバツの匂いを感じるのだ。ヤクザの男達とも関わっているノナコは、そうしたサツバツには少し敏感だった。

 彼女はそうした経験に基づく嗅覚や、外見や仕草、些細な会話から相手との距離を測る。そうして探り当てた距離間で、心地良い関係を作る。関係が心地よくなれば長続きし、カネになる。

 それは、さながら初対面の二人で踊るワルツじみたものだと彼女は考えている。相手がリードしたいのか、されたいのか、どう足を運びたいか。それを察しきって、相手を楽しませることがノナコの仕事だ。

 この男はどうだろうか。ノナコは考える。カラスの佇まいは、荒んでいて、乾いていて、少し疲れている。距離を詰めすぎても、離しすぎても逃げられるだろう。それは惜しい。この男を逃がすのはもったいない気がしている。

 そんな風に考えている間にも、ノナコはカラスのタバコに火を点け、灰皿を差し出し、サケは要るか、つまめる物は欲しいかと尋ねては、その反応を見ていた。カラスの言葉には無駄がなく、ノナコのヒントになりそうな物は少なかった。

(いつまでも向こうの一歩を待ってても、しょうがないか)自分で動いて感覚を掴むしかない。「ねぇ、タバコ、消して」対面に立って男のシャツを脱がせると、均整の取れた上半身と、そこに刻まれた幾つかの傷跡。(やっぱり、あのカタナは護身用じゃなくて、お仕事用だ)

 傷跡たちをざっと見渡しながら言う。「お仕事、大変そう」「まァな」「頑張ってるんだ。スゴイね」ノナコは誉めたが、カラスは少し苦い顔をした。(仕事の話はNGね。わかった)ノナコは微笑みの種類を、穏やかな物から挑発的なそれに切り替えた。

「それじゃあ。アタシにまかせる? それとも、あなた?」挑発めかしてみたが、ノナコは内心おっかなびっくりだった。結局、踊りながら探るしか打つ手がなかったことと、相手にそれを見透かされやしないかということで。

   ◆

 不器用なワルツだったと、シーツに沈んだノナコは振り返る。プロムのダンスだって、もう少し上手く踊れた。相手の方が女慣れしている様子で、結局始終リードされっぱなしだった。それが悔しくさえあった。

 そのカラスは今、ノナコに背を向けてベッドに腰掛け、タバコを吸っている。その背にある真新しい引っかき傷は、さっき彼女がつけたものだった。「背中ゴメンね。引っ掻いちゃって」カラスは振り返る。「アー……そんなことしてたか?」ノナコは思わず忍び笑いを漏らした。

「カタナも珍しいけど、それも珍しい」自販機でもなかなか見かけない銘柄だ。「俺はこれなんだ」「そう。こだわりのある男の人、嫌いじゃない」「そりゃドーモ」煙を吸い込み吐き出す所作が、まだ気だるさの残るノナコには魅力的に映った。

「……少し明るい海」タバコを吸っているカラスをぼんやり見つめて、ノナコはつぶやく。「何だ?」「天気の良い日に、海を見たことないなって」カラスの肩口に顎を乗せる。意外にもスキンシップは嫌がらなかったので、ノナコは積極的にカラスに触れることにした。

「ネオサイタマだって、たまには晴れるぞ」カラスの言葉に、ノナコはぷい、と横を向いた。「アタシ雨女なのよ」「へェ」気のない返事。「ネオサイタマの雨は、アタシが降らせてるんだから」「そりゃスゴイ」ノナコのジョークに苦笑いする。

「まぁ、いいわ。今はそれでガマン」ノナコは、カラスから吸いさしのタバコを奪って一口吸い込む。「……ウェー、ゲホゲホ……なにこれ」彼女もたまにタバコを吸うが、ここまでキツイものは吸わない。「俺はこれなんだ」返せ、とノナコからタバコを奪い返す。「さっきも聞いた」

 こんなの吸ってたら体壊すわよ、とは言わなかった。きっと、そういう言葉を聞きたくてノナコを買ったわけではないのだから。

「……悪くないもんだぞ」「何が?」「晴れた日の海な。悪いもんじゃない」「そう。その内見られるかしら」カラスはふっと煙を吐き出して、ノナコを見つめた。来た時より幾分、眼差しが和らいでいるように見えたのは、ノナコの錯覚だろうか。「見られるといいな」

 そして、お互いの心には踏み込まず、つかず離れず。他愛のないやりとりと、体温。傷つかない距離でワルツを踊り出す。

 ノナコは、カラスの止まり木になった。


 【マイ・フーリッシュ・ハート】♯0 終わり 次回へ続く



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 4年前にTwitterで掲載して、現在togetter( https://togetter.com/li/617093 )にまとまっているニンジャスレイヤー二次創作の再まとめです。「スワン・ソング・サング・バイ・ア・フェイデッド・クロウ」のお話になります。4年前の文章で、すごく直したいところもあるけどそのままです。週に1度ぐらいの頻度でまとめ続けてゆければいいなあと思っています。