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新企画 10分間フリートーク(テーマ あなたの推しは?)(stand.fm)

アイドルにハマったことがない!

第1回のテーマは、あなたのおしは何か?ということなんですけど、僕の人生を振り返ってみて、アイドルにハマったことがないなってことに気づきました。

僕は元々、田舎に住んでて祖父祖母と一緒に居たんです。だから、祖父祖母とテレビとかも一緒に見てたんですけど、歌番組も確かに見てたんですよ。

でもアイドルにいいなーとか思ったことって一回もないし。

小学生になった頃におニャン子クラブみたいなのが出てきて、田舎だったんですけど、夕焼けニャンニャンみたいな番組は確かにあったんですけどね。それを確かに見てた記憶はあるんですけど、おニャン子クラブはまってないなーと。

とんねるずが暴れ回ったりしてるの面白かったですけどね、タイマンテレフォンみたいなのが。

その後、高校、大学ぐらいに、モーニング娘。とかチェキッ娘とかできたのかな?ちょっとこれ時系列おかしいかもしれませんけどね、詳しい人にとっては・・・。

歌も聴きましたけど、アイドルだったのかよくわかんないですけどね。

仕事とかし始める頃にAKBができたのかな。AKB総選挙の投票券付きCDを一人で何百万とか一千万とか買ったとか言うのをテレビでやってたんですけどね。バカじゃないの?と思いながら見てましたけどね(笑)。

本当にあの系のものは買ったことないですね。

推しはアントニオ猪木

推しのアイドルはいないって話ばっかりしましたけど、じゃあお前の推しなんだって言ったら、これはもう一つですね。アントニオ猪木ですね。僕が3歳ぐらいの時にタイガーマスクが出たんですよ。田舎でも、リアルタイムじゃなかったんですけど、田舎だったんで。東京では金曜日夜8時に新日本プロレスの生放送があってたみたいですけど、それの一週遅れか二週遅れで、土曜の夕方4時にあったんですよ。

それを見て、プロレスっていうものに見てドハマりしたんですよね。タイガーマスク見た、アントニオ猪木見た。

そうなると次にどうするかっていうと、子供用のプロレス大百科みたいな文庫本を買ってきて、レスラーのプロフィール、身長、体重、出身地みたいなのを、あの頃200人ぐらい覚えてたのかなと思うんですけどね。アントニオ猪木イ、身長191cm、体重105kgみたいなの。本当に見て、誰にもなんかクイズも試験もなされないように覚えてましたよね。

で、こういう幼稚園児がプロレスにハマると、どういう弊害があるかって話なんですけど、はっきり言って話し相手がいません(笑)。

幼稚園に行ってて、例えばこのアニメ見たとか、このテレビ見たって言うけど、この試合見たって言っても誰も見てないわけですよ、プロレスの試合なんか。

タイガーマスク対小林邦彦の試合なんか言っても誰も聞いてくれないわけですよね。

最初にファンになったレスラーは、僕はアントニオ猪木の前に小林邦彦ですけど、タイガーマスクのマスクを剥ぐシーンとかすっごい興奮しましたけどね。

いまだに当時から思ったのは、なんでマスクを破ったら反則なんだって理由がわかんないですけどね。おかしいじゃないですか。マスクをかぶっている方がマスクを破られたら、マスクを破った方が反則っていうのはちょっとおかしいし、じゃあ最初から素顔を晒している相手はそういう反則が一個ないわけですよね(笑)。その相手から見れば。ハンデじゃねえかって思ったこともありましたけど、まあそれはいいとして・・・

アントニオ猪木さん、亡くなりましたけどね、去年10月1日だったかな。ショックでしたね。本当にショックでした。

亡くなった後の週末の日本テレビの夜やっているスポーツニュースで、くりぃむしちゅーの上田晋也が言ってましたね。

「僕はアントニオ猪木から自立することは一生ありません」と・・・それ聞いて、やっぱり天才だなって思ったんですよ。

なんでこの言葉が出たかというと、アントニオ猪木さんが引退試合をやったのが、今から25年前の1998年の4月4日の東京ドームだったんですよね。東京ドームで猪木さんがドン・フライとの引退試合をやって、最後にそこで実況をやった古舘伊知郎アナウンサーが、言ったんですよ。

「我々はアントニオ猪木から自立をしなければいけません」

って言ったんですよね。でも、引退して亡くなって亡くなった後でも、僕は一生アントニオ猪木から自立することはできないと思います。っていうことを聞いて、やっぱ天才だなって思ったんですよね。その通りだと。多分、死ぬまで僕もアントニオ猪木から自立できないですよね。それくらい好きです。

じゃあ、アントニオ猪木以外のレスラーに推しはいないのかって言われたら、いるはいるんですよ。アントニオ猪木が一番です。で、二番目は三沢光晴です。このトップ2は変わらないです。僕の中では。どっちも亡くなっちゃったんですけど。このトップ2は変わらないですね。

もし自分の葬式があって、わがままを言えるんだったら、僕は火葬場まで行くときに音楽でスパルタンXを流してほしいです。これは三沢光晴の入場曲ですけど、一番かっこいいプロレスの入場曲だと思います。これ調べて聞いてもらえればいいですね。

推しの競走馬

で、プロレスが好きなんですけど、次にプロレス以外の推しはいないのかって言ったら、僕が好きなのがプロレスと競馬で、じゃあ競走場で推しはいないのかって言うと、最近ウマ娘とか出てきましたけど、残念ながらまだウマ娘化してない馬なんですけど、ステイゴールドですね。

この馬は、僕くらいの年の人、40から50くらいの人だったら、競馬やってる人は知ってると思うんですけど、この馬は超人気馬でした。なのに、大事なところはいつも勝てないんですよね。どの距離でもそれなりに強いと。G12着何回あるんだっけ?4回か5回だと思うんですけど、G1も2着、3着がすごい多い。3着が多いからブロンズコレクターなんて言われましたけどね。

だけど、最後の最後、引退するっていうレースが通算50レース目だったんですけど、それが香港で、香港ヴァースっていうレースでG1レースでした。乗ってる騎手は武豊です。最後のレースは香港かと思って、テレビ見たんですけど、競馬って最後直線なんですけど、4コーナー回って直線で、1番手のウマに、あの時5馬身くらい離されて、やっぱダメなんだなと。最後の最後ダメかと思って、ちょっと紡いで顔を上げたら、追いついてるんですよ。

あんな末脚は僕見たことないですね。追い込み馬ではないはずなんですけど、末脚とか。あんな末脚だったんだと思って、最後の最後、差して50レース目でG1勝つんですね。一番興奮したレースでしたね。馬券も買ってないのに。あのレースが一番興奮しました、人生で。

G1馬になれたからって思うんですけど、雄馬だったんで、種付け馬っていうか、子供を残すための馬になるんですけど、G1勝ってなかったら多分いい馬は揃わないんですよ。そういうことはG1勝ってないと、種付け馬に慣れているかどうかもかなり怪しい所なんですけど・・・

実際ね、雄馬でね、G1勝ってなかったら、種付け馬になれているかどうかもかなり怪しい所なんですけど、あの勝利がなかったら、そうですね、その後のステイゴールドから生まれたオルフェーブルとか、ドリームジャーニーとか、その辺の馬は多分生まれなかったんでしょうね。いやー、あれは本当に貴重な貴重な一勝だったし、感動しました。

そんな10分間フリートークしようと思って、今時計見たら残り7秒ですね。だいたい10分間行きましたね。今日はこの辺で終わりたいと思います。ご視聴ありがとうございました。失礼いたします。ご視聴ありがとうございました。

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