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ライバル他社はもはや脅威ではない。個がエンパワーメントすると「顧客自身が脅威」になる。

組織の内外から見える景色の違い

様々な企業で経営会議のファシリテーションなどをすることが増えてきた。

この3年くらい、様々な大企業の苦しみとターンアラウンドを見聞きし、経営陣の苦しみに伴走してきたので、外部からの視座を提供することもできているかなと思う。偉そうだけど。

そこでわかるのは、外から見ると俯瞰して見えていることであっても、中から見るとほとんど見えていないという事。努力が足りないとかではなくて、情報とはそういうものなのだ。

だから信長が情報屋としての千利休を重宝したように、様々な種類の情報屋を壁の内部に招き入れ、内部を見せたうえでファシリテーションさせることには意味がある。

例えば、戦場にいて戦っている者には戦局が見えないということと似ているかもしれない。また、たとえ局地的な戦局が見えていても、戦局を見守る第三者を巻き込んだ政局が見えていないというのにも近い。

つまり、立ち位置が違えば見えるものは常に違うのだ。

例えば金融機関の話

金融機関の幹部と話をすると、必ず出てくるのは、金融機関はもう役目を終えたのではないかという話だ。幹部自身が「銀行は要らない」と自らの存在価値を嘲笑する

確かにデジタルネットワークはレガシーな金融インフラにとどめを刺しつつある。その流れはぽつぽつと蒸発するように始まり、大きなうねりとなり、津波となって押し寄せてきてきた。

会社は自らを船体を安定させようともがき、結果として船上の人は波を浴びる。メガバンクは万人単位での人員を削減する。海に放り出さなくても損保ジャパンは4000人を介護事業に転属させるとした(2019/6)。

思えば、その予兆はいくらでもあったのだ。それが外にいると見える。しかし中にいる人は見えなかった。いや見ないふりをした。組織は秩序を保つものだから、自らの浮沈に関わる危機を発するのはタブーとなる

結果、組織は外界の情報に耳をふさぎ、そこにはなんか満たされない感じの妙な安心感が漂う。追い詰められた者の間だけで傷を舐めあえば痛み薄らぐ。本能的な物だがそれは一時的な麻薬でもある。

そして、転覆しそうになってから慌てるのだ。本来ならば飛び出す機会はいくらでもあったのに。例えば石油業界はあと10年で崩壊していくのが目に見えている。ガソリン需要の半減を待つまでもない。

しかし、市場は莫大にでかいから、多くの人はまだまだ食えるだろう。あなたがその縮小均衡の中に居続けたければ頑張ればよい。荒波から首をすくめて船体にしがみついていつづけるのだ。

外から見ればわかる。銀行が要らないという表現は実は正しくない。要らないのはレガシーな仕組みとあなたの存在だ。人々は銀行が提供してきた本質的な価値をまだまだ必要としている。

しかし、ネットワークとモバイルコンピューティングはその人々をエンパワーさせた。個のレベルで圧倒的にできることが増えたのだ。地球の裏側まで光の速度でデータが届くようになった。

つまり、銀行に頼らなくてもできることが増えた

銀行は結果として、顧客であった者たちにその力の殆どを奪われたのだ。いや、ネットワークにより、本来帰る場所に力が帰ったというべきかもしれない。誰でも銀行になれる。誰でも金融機関と同じことができるようになってしまったのだ。

そして、状況は今で止まるわけではない。これからさらに加速して変化する。

例えば耐久消費財の話

自動車や住宅、家具などの耐久消費財にも同じことは起きている。

とある会社で新アイデアをディスカッションしているとき、経営幹部たち自身が「最大の脅威は同業ではなく、顧客そのもの」という事に自ら気づいた時は大きな衝撃だった。会議中に大きな雷が落ちたような衝撃だったのだ。

今までプロしかできなかった設計や部材選択と組立発注等が顧客の側でAIを使って一般レベルで簡単にできるのが現実化しているからだ。しかもスマホで。

一方で、今まで本来の強みであったはずの、顧客タッチポイントとデータポイントを、全く異業種だと思っていたWebプラットフォーマー(例えばアマゾンやリクルート、楽天、Yahoo!、UBER等々)に抑えられている。

売り場の形は数十年変わらず、本来そこにあったはずの顧客と接点とデータポイントは改善をされることはない。店員が自らの経験で接客しプロとしての価値を提供してはいるが、会話がデータ化されることもない。

殆どの情報はスマホでアクセスできるにも関わらず、だ。

Webプラットフォーマーは顧客の情報があらかじめわかっている。何人子供がいて、どんなものが好き?とか、導線から滞在時間まで全てデータがとられていて、実はあなたがそこにアクセスして数クリックした時点で、何を買うかはAIにはすでに分かっているのだ。

しかし、AIは全てわかっていても、それを巧妙に隠すこともする。最終的にはいくつかの選択肢が残り、そこから自分で選択したという満足感を顧客に与える。あなたがポチって満足しているその瞬間、AIはすでに設計を完成し、部材の発注を掛け、下請けを選定している

多くの耐久消費財企業は、昭和に培ったブランドに胡坐をかき、平成の30年間進化せずに同じことをやり続けた。データの価値を軽視し、顧客に武器を渡して育てることもしなかった。そのためデータを握ったWebプラットフォーマーの下請になってしまったという事実。それに自ら気づき愕然とするのだ。


データ文明への転換点にて

もう一度言うが、外から見ると俯瞰して見えていることであっても、中から見るとほとんど見えていないという事がものすごく多い。

今はデータ駆動型の文明へと人類全体が移行している時代、実はそこまで理解しないと打ち手が広がらないというのも事実であり、近日中に多くの企業はデータセントリックな経営体制に激変する必要性に駆られるであろう。

一方で、その新たな戦場で戦える武将と部隊が社内にいないという現実的な課題がある。しかし課題が分かればやり方はあるのだ。もうあらゆる組織の形は変わらなければいけないのだから、何やったらわからないというステージは早く抜け出して、じゃあどうするかを具体的に議論するステージであるようにも思う。


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