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もはや東京と地方では文明レベルでの分断が起きている

テクノロジーの進歩のスピードが以前にもまして速くなってきていることを感じています。

かつてないスピードで進むテクノロジーは時間が経つごとにさらに加速度を増し進化のスピードを上げているのです。

そのスピードは世界の新興都市において顕著であり、日本においては東京だけがこのスピードについて行っているといえるでしょう。

残念ながら日本の地方は1990年代でその進化が停滞し、テクノロジーによる生活の変化を共有することはしていません。

例えば中国の深センやドバイに行ってみるとわかるのですが、そのスピードは圧倒的です。

世界各地で1000万人を超える都市がわずか十数年でゼロから設立されるようなことが起きています。

これらの都市に共通して特徴的なのは、人々がテクノロジーを使いこなし、その恩恵を得ていることです。

例えば、自動車は殆どが電気自動車であり、買い物をする際に現金を使うことはありません。無人の店舗が数多くできており、自動化が進んでいる。

これらの街はカメラが多く設置された監視社会である一方、そのメリットも計り知れず、街は非常に安全でありゴミひとつ落ちておらず、子供が伸び伸びと安全に遊ぶことができます。

このような計画的に作られた街は非常に住みやすく綺麗であることが特徴です。

<写真>発展が進む深センの前海地区、高層ビルを10本以上建築中

世界は確実に進化しているのに、わが国を見たとき、停滞してこの30年間一切進化していない物が数多くあります。

特に地方においては、かつて最適だと思われていた高度経済成長期の「古い仕組みにとらわれている」というのが事実でしょう。

なぜならその古い仕組みが正しいものだと思い込み、価値観は変容しているにもかかわらず「変化することが無理だと思い込んでいる」からであります。

今、わが国の中で最もスピードが速いと思われる東京ですら世界のスピードと比べると非常に遅いと言わざるを得ない状況です。

東京では、今、山手線が自動運転化の実験を行っています。2020年に予定されている山手線の新駅(高輪ゲートウェイ駅)では全く新しい街がゼロから作られようとしてます。

しかし、そのスピードですら深センやインドやその他の国と比べると圧倒的に遅いと言わざるを得ません。

それらの国ではゼロから100万人単位の街を何百箇所と作り上げ、そして人を呼び込んでいます。

その世界から見ても遅い東京のスピードですが、それですら、地方から見ると文化的・文明的に全く違うものになってしまったと言わざるを得ないでしょう。

なぜなら、東京はゆっくりでありながらも世界の大都市として進化を続けておりますが、日本の地方における生活はこの30年間一切進化していないからです。

他者が急速に前進しているのに、我々が同じ場所に停滞し続けたならば、それは、急激な後退を意味します。

残念ながら、日本の地方都市は急速に後退しています。

その差はさらに急激に開いていきます。

世界は今、情報コミュニケーションにより繋がり、インターネットを利用し、AIを駆使して「新たな文明の黎明期」に突入しています。

かつて文字が発明されたとき、蒸気機関が発明されたとき、それを受け入れた文明とそうではない文明の間には100年以上にわたる劇的な差が生まれました。それと同じことがまさに起きてきています。

世界がインターネットに適応し、ロボティクスにより新たなテクノロジー加速の時代を迎え、AI後の世界を創造し始めている中、日本の地方は明らかに、前の文明の時代に取り残されています。

なぜなら、我々は変化が無理なものだと思い込み、そして補助金や助成金といった天から降ってくるものに自らの運命をゆだねてしまっているからです。

我々は、今、自助努力をすることを忘れています。

変革ができない理由が少子高齢化や景気の悪化のせいであるというまやかしと言い訳に終始しているのです。

<写真>中国武漢の高鉄車両基地(左)と大井町新幹線車両基地(右)

今、多くの都市が、消滅可能性都市と言われています。

明らかにこれはピンチですが、だからこそ起こせるチャンスというものがあると考えています。

たとえば、何もない街、何もない所だからこそ、新しい文明への適応が進むという事例は世界に数多くあります。

石川県の加賀市は市長が2019年の年始に、消滅可能性都市ではなく「挑戦可能性都市」になるという大きな目標を掲げました。素晴らしいことです。

多くの地方都市がこのような気概を持ってもらうことを期待します。

加賀市の場合も、加賀市に人や資本を引き付ける力、加賀市を良くする力、というものは加賀市にいる人々そのもので無くてはなりません。

このままいくと地方の後退スピードは加速します。

残念ながら20年後の2040年を持たずとして2030年頃には多くの地方において、街の形がなくなっていくでしょう。

そのスピードは気づかないうちに加速度を増し、ポツポツと蒸発するように町はなくなり、村はなくなり、人はいなくなり、人は移動することもできなくなって、さらに深い補助金や助成金にタカるしかなくなります。

地方自治体も疲弊し、財政は破綻します。そのようなことになる前に動かなければなりません。これは、頑張ってもどうにかなる問題ではありません。

むしろ頑張る必要はなく、今までの意識を根底から変えることから始まります。

今からの5年から10年、これをどう過ごすかが非常に重要です。汗と涙を流すのではなく、頭を使うのです。

苦しむ必要はなく楽しめばよいのです。

ピンチはチャンスになりえます。だからこそ今、地方は、「挑戦可能性都市」を掲げ、国に大企業に頼るのではなく、自助自立して変革を成し遂げていく気概が必要でしょう。

もはや失われた30年の文明停滞からの復興こそ、我が国として成し遂げないことではないでしょうか。

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