ホテル開放病棟入院日記・2

超ゴージャスなホテルの様な開放病棟での入院日記の1の続きです。入院生活にも慣れて来て1か月が経つ頃、悲しい事が。しかしその後は仲いい人達が増えて、ある意味合宿の様な生活をしばし送る事となります。限られた空間で、限られた人が集まる入院生活は一体どんな感じか、「愉快な仲間たち?編」続けます。

12月前半に入院した私。年末が近づいてきました。私もほとんどの人も年末年始は実家に帰る人が多かったです。でも一人暮らしのMちゃんはそのまま病院に残ると言っていました。一人暮らしの彼女。働いてはいない。多分親からの少しの金銭的援助と障害年金で暮らしているのだろうなと推測しました。なんだかんだで親から援助を受けられるのはうらやましいとは思いましたが。私はもし実家を出るなら、親は金銭的援助はしてくれない状況だったので。その他当然病状から外出禁止の人もいました。

Mちゃんからショックな話を聞いたのは、実家に戻る前か後か忘れましたが。ある時「実は、私あと数日で退院するんだ。」と打ち明けられました。退院!もちろん嬉しいことです。でも私としたら話せる人がいなくなってしまって、とても寂しくてショックでした。私の様子を見て「ごめんね。元気出してね。」と言ってくれました。彼女は新年あけて割とすぐに退院して行きました。

ただ、Mちゃんの退院と前後して、私も次第に入院患者と打ち解けて行っていました。入院初日には大テーブルで盛り上がっていたグループが少しうらやましかったですが、いつしか同じ場所で私含むグループが大騒ぎするようになっていました笑。この時中心にいた男女は後から話すようになったのですが、兄弟とのことでした!まあ兄弟そろって精神科の同じ病棟に入院ってどうなの?と思ったり思わなかったりではありますが。この兄弟もMちゃんと同時期に退院していきました。そう、大テーブルの大グループは患者の入退院で、中心人物が代わる感じでした。

患者は普段作業療法以外の時間だったり、またプログラムには参加しなくてもいいので、空き時間はカフェの様なテーブルでそれぞれ好きに過ごしていました。ある男性はいつも絵を描いていました。で、その時私も絵を描いていたのでしょうか。何か言葉を交わして、私はエヴァンゲリオンの綾波レイのイラストをさっと描いて彼に見せました。私はこういうマンガ絵が描けます。すると「いいね!俺綾波ファンなんだ!」と笑顔に。こうして私は彼、あだ名J君と親しくなりました。彼は趣味でイラストを描いていて、街中で売ったりしているそうです。ちなみに消防士さんだそう。やっぱり厳しい世界らしく、いじめやパワハラは日常的にあったそうです。

J君と同世代でいつも笑顔を絶やさず優しい男性がいました。その佇まいは当時冬ソナが大流行した後で、ヨン様を彷彿とさせたので、自然と患者たちから「S様」と呼ばれるようになっていました。そして彼は私が当時夢中だった?あるアスリートにアスリートに似ていたのです。私はそういうファン心理を持ってS君と接するようになりました笑。

まだ20代ながら既婚者のRちゃんは、話を聞くと私と同じ大学卒の女の子。でも校舎は別でした。思春期ケア病棟でもあるので10代の子(やはり女子が多かった。摂食障害の子が多い)もたくさんいましたが、その中では特にMちゃんも一緒に行動していました。一人年齢層は高かったGさんは渋い男性。最初は人を避けている感じでしたが、いつしか私達グループ仲間となりました。

このメンバーで毎晩歓談室でトランプの「大富豪」をするようになりました。その時のカードで大富豪になったり大貧民になったり。よく飽きないなと思うくらい毎晩みんなで楽しみました。もちろん具合が悪くて、とか気分がすぐれずに欠席のメンバーがいたりもします。

朝の作業療法は「朝の体操」から始まります。朝食とどちらが先だったか忘れましたが、みんなで円になって体操したり、ぐるぐる回って眠そうな顔しながら運動をして一日が始まります。「絵画」のプログラムは前回も取っていました。講師の先生は教えられる人には教えていましたが、私は基本的なデッサンとかは描けるので、いつも作品を提出すると「うまいね」と褒めてくれました。患者が描いた作品は病棟の壁に張り出されたりしました。まあ学校とほぼ同じですね。

一人暮らしを余儀なくされる人も多いものです。そんな人のために「料理講座」もありました。私ももし一人暮らししたら料理出来ないなと思ったのですが、その時は刃物を使う気力がなかったので、これは受けませんでした。私は若干先端恐怖症の気があります。

人気のプログラムの一つはやはり「カラオケ」。前回も書きましたが、精神科通院患者だからって、みんな暗い訳じゃないです。楽しめることは楽しむし普通に大笑いもします。許可が出たら近隣に外出は出来たので、上記の「愉快な?仲間達」と近くのカラオケ屋に行って歌ったりもしました。

別の時には私とJ君とS君と3人でカラオケに行きました。このエピソードでもわかるように、私は入院患者の中ではかなりJ君に近い位置にいたと思います。近いというか仲良くしていたというか。

S君に関して私はアスリートへのラブな気持ちを、そっくりな彼にも投影したのか、淡い気持ちを持っていました。それで思い切ってラブレター、じゃないけど、もっと仲良くなりたい的な手紙を書いてみました。返事には「僕は宗教を信じていて、その決まりで同じ宗教の人としかお付き合い出来ないし、結婚も出来ない。」という内容が書かれていました。ああ、宗教か。それならどうにもならないなと、その後は友達としてノーマルにお付き合いしました。

しかし微笑みの貴公子S様だってやはり心の病気です。ある時「最近買い物しまくっている」という話を聞きました。結構な頻度と額だったので、心配して「躁状態なのでは?」と言うと、彼は激怒してしまいました。しばらく口を聞いてくれなくなりました。その態度の急変もまた躁うつ病患者っぽいのですが、彼はきっと自分はうつ病であり、躁うつ病ではないという認識だったから怒ったのかもしれません。そのかっとなる怒りの衝動と攻撃性こそ、躁っぽいのですけどね。

Rちゃんは普段明るくて笑顔が多い子でした。旦那さんもしょっちゅうお見舞いに来ていて、いい夫婦だと感じました。しかしRちゃんはGさんと相性が良かったのか、仲間内でいても二人はとても仲良くしていました。彼女も調子悪いと、自室でOD未遂をしたりと、感情の起伏は激しかったです。そういう時もGさんがなだめたりしていたっぽいです。病棟は男女は別の階の部屋割りです。まあこれもありがちですが、たまに男性が禁止されているのに、夜中女性の部屋に入ったとか噂では聞いたことはありました。でもやはり病気が病気だし、病院側も厳しく監視はしていたと思います。

しかしある時大騒動が起きました。なんと夜にRちゃんがGさんの部屋にいたことが発覚しました。二人の仲が男女の関係なのかはわかりません。だって旦那さんとRちゃんとGさんが3人で話している姿は、すでにこの病棟内でも公然の事実として知れ渡っていたので。この時は私ももうすぐ入院期限の3ケ月を向かえようとしていたので、このゴタゴタがどうなったのかはわかりません。

私はというと入院しているけど、なかなか吐き気は良くならず、もしこのまま退院したとして、体調は悪いまま。仕事は出来ないけどお金もない。かといってニートみたいな生き方はしたくない。それで3ケ月が近づくと、悩むようになりました。

この「愉快な?仲間達」の他にも名物?患者はたくさんいました。彼らの姿については、次回書きます(続く)




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pessimis

そんなに私(オレ)が悪いのか?

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