呪いの知識がなくてよかった。ディズニー社を呪っているところだった

というお話。マジで、マジでマジでマジで、あの会社が嫌い。創作物も、オリエンタルランドが運営するテーマパークも、好きなものは色々ある。でもあの会社の体制というか、とにかく感情に任せて文字を書くので、感情に任せてなんとなくで読んでほしい。先に言っておくけど、好きな人を敵に回すつもりはないし、馬鹿にするつもりはないし、私の味方を増やす目的もない。ただの愚痴だけど、吐き出さずにはいられない……これはそういう呪いなのだ。

まず、奴らが何をしたか。ディズニー社といちいち書くのも面倒なので、ここから先「奴ら」と言ったらD社を指すものとする。奴らは私の思い出を汚した。それだけなら「あぁただの思い出レイプか」で終わるんだけど、思い出に泥を塗って死体蹴りまで始めたので、私の落ち着いていた怒りが再燃してきた。

そもそも私は奴らに対して敵対感情など持っていなかった。いや、むしろよくやってたとすら思う。コンスタントに創作物を発表し、楽曲をたくさん生み出し、そのコンテンツを使って利益を上げ、しかも時代に合わせてシフトしていった。その手腕にはあっぱれという他はない。奴らは良いキャラクターもたくさん生み出した。その中には、それまであった物語のキャラクターに対するイメージを固定してしまうほど影響力を持つものもあった。早い話が、「不思議の国のアリス」に登場する、金髪と水色のエプロンドレスの少女、というやつだ。あれは完全に奴らの生み出したイメージだし、その後数多くの創作物に影響を与えている。既存の物語を使ってそのキャラクターイメージを塗り替えるなんて、そうそうできるものじゃない。マジで拍手喝采だと思う。

だがそれは一方で、イメージの破壊も意味する。あのアニメを見る前にアリスに抱いていたイメージはもう想像もできないし、将来このイメージを塗り替えるやつは存在しないかもしれない。それほどまでに強烈で、影響力の強い存在なのだ、奴らは。

で、そんな奴らが何をしたかというと、私の思い出に根強く残る最高の映画「トイ・ストーリー」を破壊した。もう粉砕した。ミキサーだかなんだかにかけて粉々に砕いたあと、その破片をウンコの形した型に流し込んで、ウンコ作るならまだしも、精製に失敗してゴミみたいなオブジェが完成し、それを「これが完成した芸術です」と展示して、奴らのブランドイメージだけで拍手喝采を受けたあと、その展示されていたゴミを海に捨てたのだ。許されざる愚行である。これほど私が憤る理由を詳しく話すと長くなるが、ぜひこの怒りを共有してほしいので書くことにする。お付き合いください。

トイ・ストーリーは3で完成した。正直、1で十分面白かったし、2にも拍手したし、もうこれで満足したと思ったら3で最高のエンディングを用意してくれた。私は泣きながら感謝した。ありがとうトイ・ストーリー。ありがとう。だがどうだろう。4を作るという知らせがTwitterから入ってくる。私は心配した。4だと……?あれだけクオリティの高いエンディングを3で見せつけてくれたあとで、それを超えるなんて不可能だとすら感じる。このトイ・ストーリー大好きの私ですら、そもそもどう物語を始めたらいいのかわからない。そんな中で4を作る?正気の沙汰じゃない。絶対駄作になるに決まっている。思い出が汚されるのはわかっている。それでも映画館まで足を運ぶことは、速報を見た時から決まっていた。なぜなら、私はトイ・ストーリーが大好きだから。

ここから先はトイ・ストーリー4のネタバレと、それを貶しまくる内容に満ちています。ご注意ください。

トイ・ストーリー4の出だしは最高だった。思い出の中で生き生きと遊ばれ、そして逆に遊ばれない現在の対比。あれだけ「お気に入り」として活躍していたウッディはそのラインから離れてしまう。当然だ、人が変われば推しだって変わる。そこにウッディが苛立ちを感じるのも無理はない。とはいえ、彼ほどの人格者が苛立ちをあらわにする……いや、彼は割と情動的で後先考えずに動くタイプだ。1からそのことは証明されている。良しとしよう。私が彼を神聖視しすぎているだけなのだ。

そんな日々の中、持ち主の女の子(もう名前すら思い出せない。ボニーだっけ?)は初めて通う学校に馴染めずにいた。そこで生み出したのがお友達のフォーキー。ゴミみたいな材料から生み出した文字通りゴミなのだが、彼女にとって初めての創作物であり、愛着も沸いてしまうのも頷ける。その日からフォーキーは彼女の一番のお気に入りになるのも当然といえば当然だ。しかし悲しいかな、フォーキーはただのゴミ。なのでゴミ箱に向かってしまう。だがお気に入りになってしまった以上、彼はボニーのおもちゃである宿命を背負わされてしまった。このゴミ箱に逃げるフォーキーと、おもちゃであることを強要するウッディの対比、普通の人であれば「子育てみたいで大変だよな、わかるわかる」みたいな感想を抱くのであろう。私はただただ殺意しか湧かなかった。フォーキー捨てちまえ。なんでそんなにこだわるんだ。私だってそりゃあお気に入りのおもちゃがなくなったら悲しいけど、なかったらなかったで数日泣き喚いた後には別なおもちゃで遊んでいるような年頃だ。そこまで「おもちゃであること」を強要して固執するウッディに、半ば狂気を感じた。まぁ、1ではバズにも似たようなことしてたけど……でもバズは実際におもちゃだったし、それを自覚させることは物語上重要だった。フォーキーは違う。ゴミだ。そもそも命宿るな。

物語は進み、クソガキ一家はキャンピングカーで旅行に行くことに。その途中、フォーキーが自ら身投げしてしまう。連れ戻しに追いかけに行くウッディ。そう、ここまで「フォーキーとウッディのやりとり」だけでほぼ成立してしまう内容なのだ。相棒のバズは、スリンキーは、レックスは、ボニーが最初から持ってたおもちゃたちは。もう全部が存在する意味がない。唯一ジェシーが少し意味あったか?という程度で、マジでバズがこの物語に必要ない。それを感じさせるワンシーンが、「心の声に従うんだよ」というウッディとバズのやりとり。お前どうしてそんなに頑張れるんだ、というバズの、お前前回スペイン語にリセットされた時に人情全部置いてきたんか?と感じる疑問に、ウッディは「迷ったら心の声に従え」みたいなことを言う。だけ。二人の意味ありげな会話はこれだけで、しかもこれも最悪の事態で後程展開される事になる。

さて、話を戻そう。ウッディはフォーキーを捕獲、その先でヤバげなアンティークショップを発見する。このアンティークショップを支配しているギャビーギャビーは物語のヴィランにしてキーキャラクター。彼女は「一度でいいからおもちゃとして遊ばれたい」という心から、そのアンティークショップで選ばれるようおもちゃたちを牛耳っているのだ。そうとは知らずフォーキーを追いかけて乗り込んだ店内で助けてくれたのは、他ならぬボー・ピープ。しかも人格にだいぶバフがかかっている。具体的に言うと、ポリコレの方々が好きそうな強いタイプの女性に。ちゃうやろ、ボー・ピープは可憐さと可愛さと憧れの象徴みたいなところがあって、かつ彼女は陶器のランプ。アイデンティティ全部捨ててる。バービー人形かなんかかと思ってんのかスタッフ。この辺で私の懐疑心は怒りへと変化していく。

その後いろいろあるのだが、重要なシーンは少ない。正直、全部思い出して語ってもいいけど、重要なシーンは三つだけ。まずはバズが道に迷うとき。どうすべきか、という大事なところで、内蔵されたスピーカーシステムの声に従うのだ。心の声ってそういうことじゃないし、何よりその後バズはことあるごとにこれを活用して物語を進んでいく。本人の意思ゼロである。スタッフ、もしかしてバズがどんな人か知らないんじゃ?と思う、というより確信してしまう。もしかしてトイ・ストーリー見たことないんじゃないか?

次の問題のシーンはクライマックス近く、ウッディはギャビーギャビーに自分のスピーカーを渡してしまう。ウッディの優しさ尊いね、じゃないんだよ。おもちゃとしてのアイデンティティだろうが。その瞬間からギャビーギャビーは少し性格を変える。ずっと手に取って欲しかった女の子に拒絶されたし、もうやる気がなくなったのもわかる。そんな彼女に手を差し伸べて、一緒に行こうと誘うウッディ。ここまでは従来のトイ・ストーリーの流れだ。よかった、スタッフちゃんとわかってたんだ。前作のリスペクトもできないから新キャラでゴリ押しして、従来のファンには過去作のキャラを出しておけば気に入ってもらえるだろ、みたいな安い打算的な考えで作ってたわけじゃないんだ。一瞬期待した私が愚かだった。

ギャビーギャビーはその後、道中親とはぐれてしまった女の子を元気づけるために自ら彼女に拾われる。良い展開だと思う。でもスピーカー返せ。もっとも、バズがアンティークショップに来ていることからわかる通り、クソガキファミリーは近くまで来てるし、もう出発まで時間がないから急いでいるのだ。スピーカーが返却できないのは、展開上しょうがないのかもしれない。それは百歩譲って良いとしよう。だが問題はまだあるのだ。具体的にはでかい問題が一つと、小さい問題が一つ。

でかい問題から行こう。ウッディは最終的におもちゃとしてキャンピングカーには帰らず、ボー・ピープと一緒に放浪の旅へと出る。おい、ばか、おい。古来からカウボーイは女を置いて街を去るのが決まりだろ。何女とってんだお前。ってか相棒のスペースレンジャーを置いていくんじゃねぇ。コンビ解散させる=もうトイ・ストーリーは作らないよ宣言か。3であれだけ綺麗に「みんなで帰ろう」みたいな終わり方しといてそれはないだろ。でもこれは映画の演出と理由付けで説明できるのだ。スピーカーは、実はウッディたち音を出すおもちゃにとっての心なのだ。だからこそ「心の声に従う」というバズの行動がスピーカーの音声に従うことになったし、ギャビーギャビーが女の子を助けたいという優しさを見せたし、ウッディも遊ばれるおもちゃではない選択をした。わかる。納得はできない。過去作でも今作でもずっと「遊ばれることがおもちゃにとっての幸せ」みたいなこと言ってたのに、いざ自分が選ぶ番になったら遊ばれない方を選ぶんだ?みたいな。

小さい問題は、おもちゃたちが人間に対して迷惑をかけすぎ、という点である。もちろん過去にも勝手に車パクって運転したり、車の行き交う道路を封鎖して事故を起こしたりはした。でもそれは「人に見られないこと」を前提とした行いだった。今回はアンティークショップでの大暴れといい、移動遊園地にキャンピングカーを突っ込ませる行為といい、その前にはキャンピングカーを移動できないようパンクさせたりと、人目を忍ぶということをほぼ無視した行動をしているのだ。おもちゃだろ、忍者じゃないだろお前ら。

こうして4のせいで、私のトイ・ストーリーに抱いていた感情は木っ端微塵に砕かれた。ここまでなら単純にワンケースでの思い出クラッシャーだが、問題はまだまだあるのだ。

ディズニーはピクサーの買収から始まり、さまざまな会社とIPを吸収してきた。元々他人の創作物をアレンジして展開させるのがうまいので、それはわからないわけじゃない。でもスターウォーズの改悪(具体的にはエピソード8の大ゴケ)や、MARVELとの問題(スパイダーマンまわりの利権問題)で、私の疑いはヘイトへと変わっていった。好きなIPをこうして3つも汚されたのだ。スターウォーズ、MCU、そしてトイ・ストーリー。元々「モアナ」とか「アナ雪」とか「ベイマックス」と、割と奴らは嘘をつく。ローカライズとは聞こえがいいが、日本版のポスターや予告編を見ただけじゃどれもクソ熱い内容の物語だとは想像できない。なんだったらベイマックスなんてMARVELのビッグヒーロー6だしな。

で、そうした作品を「ディズニープラス入れば見放題ですよ」と言ってくる。横暴か?人気作品集合、じゃねぇんだよ。マンダロリアン見ろ、お前何ヨーダをかわいいだけのマスコットキャラにしてんだ。可愛いの出しておけばグッズが売れるとでも思ってんだろ。マジで許せない。MCUはフェーズ3で終わったよ。その後の展開なんて知らん。ワンダビジョンとかなんだお前。いや、あれはそこそこ好評か?スタートが遅いとはいえ、悪くないか。じゃあアニメシリーズのWhat if?あれはNetflixでもできたじゃん。多分同じくらいよくできたじゃん。忘れちゃいけない、ハン・ソロの物語「SOLO」。駄作。スターウォーズじゃなくてもいいじゃん。

そう、この言葉。「〇〇じゃなくてもいいじゃん」が、ディズニーは多い。トイ・ストーリー4もギャビーギャビーまわりの話は面白いんだから、オリジナルキャラばかりにして「トイ・ストーリー」と呼んだり、わざわざウッディたちを出さず、完全オリジナルスピンオフです、って言ったら私の評価は違っていた気がする。マンダロリアンもベビーヨーダなんていうファンサービスにもなっていない余計なことしなければ、普通に新しいSFものです、で通用したと思う。この「わざわざ人気だからって既存のIP使っていくぞ」の姿勢が非常に、非常によろしくない。それを私みたいな厄介なファンは期待してしまうので、評価が辛口になる。

駄作を作ったら今度はグッズを展開する。それも大量に展開する。わーベビーヨーダかわいいーとか甲高い声でほざく女子や、トイストーリー面白かったねーとほざく1を人生で1回くらいしか見たことなパパが子供連れてキャッキャしてんのを見ると、ちゃうやろ……と思ってしまう。いや、何も違くはない。ターゲットは今を生きる人たちなのだ。私のようにゴミ箱に捨てられた古いおもちゃはターゲットではない。寝てろ、ということだ。

さて、私の怒りがゆっくり収まりつつある本日、Twitterでは「奴らがバズ・ライトイヤーを使った完全新作を出す」という話題になっている。

なんで???????

死体蹴りじゃんそんなの。これ以上ぶっ壊そうってのかよ私の思い出を。そうだよ私は思い出を啜って生きてるゾンビだよ。だったらゾンビに向けてじゃなく、今の子供達に向けて新しいIPを紹介してやれよ。ズートピア使えよ、あれよかったじゃん。カーズはもう甘い汁啜り切ったからポイか?MARVELだって今展開してんだから、どんどん使っていけばいいじゃん。

これ以上私をいじめないでくれ。

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