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2016年1月11日の話

青山にある「月見ル君想フ」というライブハウスがあることをご存知だろうか?ステージ上の大きな満月をバックに様々なジャンルのライブが楽しめるところなのだが先日ここでNETWORKSを観ることができた。

月見ル君想フは過去に何度も訪れているが弾き語りを聴きに行くことが圧倒的に多いのでどちらかというとあの月はアーティストを優しい光で照らすものとして今までは捉えていた。

ところがNETWORKSの音楽を聴きながらだとなんというか月の誕生を見ているかのような錯覚を何度もおぼえた。無数に散らばっている音の欠片を彼らが互いの重力で引き寄せることで瑞々しい順列が形成されていく。ひいては天地創造の瞬間を目の当たりにしているということだ。

NETWORKSのライブでは全ての意識を聴取に捧げて音楽とのシンクロ率を極限まで高めることに専念しているし、触覚の発動すらうざったいからいつかは全裸で体感したいとすら思っている精神異常者な俺がこの日はずーっと月ばかり見ていた。とても綺麗な月だった。

尋常ではない多幸感の余韻に浸りながら会場を後にして次の目的地に向かう途中でデヴィッド・ボウイの訃報に接した。熱心なファンというわけではないが一瞬にして余韻をかき消してしまうほど暗鬱な感情に支配されてしまった。失礼な話ではあるが自分のなかのイメージとしてのボウイが病死するということが理解できなかった。

たまたま下北沢に寄ったらよく行っていた居酒屋がいつの間にか取り壊されていた。告知はされていたようだが全然知らなかった自分からすればこれもまた突然の出来事でショックを受けた。

感情と折り合いがつかないまま夜は予定通り渋さ知らズのライブを観た。森羅万象すべてを肯定しながら力強く鳴り響く彼らの表現を全身で浴びながらひたすら生きてる喜びに打ち震えた。

俺ごとき存在でも悲しむことや絶望することはある。と同時に身の回りにいる人たちや音楽が好きだから生きてて楽しいとも思う。この日味わった悲喜こもごもに対してどちらの感情を上に取るかなんていう話じゃない。ただ残しておこうと思ってこの文章を書いた。

2016年1月11日の話。

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