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小池昌代の〈詩と小説〉: 『赤牛と質量』を読む その4

 あともうひとつだけ、どうしても論じてみたい詩があるとすれば、「釣りをした一日」で、それは詩集の4番目に配されているのだった。困っちゃうな。これじゃきりがないよ。

実際、この詩集の最初の4作品には、異様な力が込められている。登板早々、いきなり連続三振を奪うベテラン投手の迫力である。選手生命を賭けて投げているのだ。『赤牛と質量』は、きっと小池さんの代表作になるだろう。(ここで前言撤回。どうしても論じてみたい詩は、ほかにも表題作の「赤牛と質量」と「黄金週間」などあって、こちらは試合後半、ノーヒットノーランがかかった投球である)。

さて、「釣りをした一日」。平田俊子さんの詩集に『詩七日』というのがあるが、果てしてこれは詩なのだろうか?男二人(夫と息子、だろうか)と釣りに行ったときのことが淡々と描かれているだけの作品である。

「生涯に二度/釣りをした」その二度目のことだそうだが、本人は釣りにまったく興味のないことがひしひしと伝わってくる、そんなあっけらかんとした書き方なのだ。

これがもしも小説だったら、淡々としながらも、どこかに力を矯める箇所が出来るだろう。寂寥にせよ、旧懐にせよ、あるいは日常に潜む不条理にせよ、なにかしら読む者を立ち止まらせ、そこに描かれていない世界の存在を感じさせる仕掛けがあるだろう。

悲しいかな、詩という形式はあまりに短く、素っ気ない。短編小説のあらすじだけを、会話も描写も省いて書きつけたかのようなのだ。唯一話が逸脱するのは、釣りの途中で散歩して、「学校の広い運動場に出た」場面のみ。

サッカーボールが運動場のまんなかに取り残されていて
ボールは自分の意思でころがれない
だから詩に 書きたくなるのだと思った

だがそれだけで、あとはまた釣りの話に戻ってゆく。過去形で並ぶ、剥き出しの行為のリスト。どうして小池さんはこれを小説に肉付けしなかったのだろう、という疑問が湧いてくる。なぜ敢えて詩という形を選んだのか。

最後になってようやく語り手の感慨が表明される。

釣り竿を持っていなければ
わたしたちが
一日 川のほとりで
釣りをしていたなんて誰も思わないだろう
だがほんとうに釣りをしたのか わたしは
釣った一匹は川へかえした

要するに、何も後に残らない、空白の一日だったわけだ。そのことを語り手は次の三行で念押しするが、この部分はちょっと弱いかなと思う。

進歩もなく
退行もなく
世界が不思議な足踏みをしていたあの日

とくに「不思議な」が余計だな。だがそれに続く最後の部分を読んだとき、そんな細かいことは吹っ飛んでしまう。はっと息を呑んで、胸がいっぱいになる。

それでも
わたしは釣りに行ってきましたよ

誰かに話してみたいような一日だった

その瞬間、それまで読んできた「行為のリスト」が裏返るのだ。ひっくり返って、それこそ「不思議な」光に照らし出される。

どんな描写も、会話も、思想の力も借りずに、無為の一日が、永遠の相を与えられる。そしてそういう一日を、本来は日常的な世間には属さず、むしろ永遠の方を向いている詩人が自ら進んで「生きた」ということ。それを後悔するでも自嘲するでもなく、無邪気に「誰かに話してみたいような」と語る口調に、なんとも言えない健気さと儚さ、乾いた悲しみを感じるのだ。

(蛇足ながら、先に引用したボールの三行が、ようやくここで活きてくる。三人で釣りをして、一日を地上の生活に捧げはするものの、語り手の心はともすれば川辺を離れ、もっとも親密な人間たちからも離れて、置き去りにされたボールの方へ引き寄せられてゆく。そういう女の口から呟かれるからこそ、最後の4行が光るのだ。)

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