平成の詩 ふたつ: 西日本新聞篇
今年に入って、平成の詩を二篇書いた。最初は西日本新聞からの依頼で、これは「平成ララバイ」という企画の一環だった。平成を回顧するシリーズの合間に毎月ひとつずつ詩を挟んでゆくという。第一回目の詩は1月に松本圭二。2月が僕で、3月には三角みづ紀が書いている。令和の時代が始まるまで、あとひと月は続くのだろう。誰が書くことになるのか、楽しみだ。
僕の書いた詩は次のようなものだ。
平成を脱ぎ捨てて
平成が始まった時
父は五十六歳、僕は二十九歳
僕らは平成を象徴するもう一組の父子と
ちょうど半年違いなのだった
父と母は恋愛結婚でテニスもしたのだそうだ
そんな家族は日本中にいただろうけど
「世紀のご成婚」「ミッチー・ブーム」の
庶民的模倣と言えなくもない
子供の頃お前は皇太子と同い年だと言われて
くすぐったいような鬱陶しいような
妙な気持ちだったものだ
自分が彼のコピーだとは思わなかったが
母は平成を知らない 昭和の終焉に
先立つこと十年でこの世を去ったから
かく云う僕も三十三年前に
海外へ出たきりで平成日本を生きてはいない
父だけが平成を生き抜いた
二度目の妻と両親と愛犬ヒナを
相次いで失った後 一人遺された父にとって
平成とはどんな時代だったのだろう?
*
壁が崩れて冷戦が終わった
アメリカ発の資本主義が一人勝ちして
終身雇用や郵便局や憲法九条がぐらついた
テロと地震と原発事故があった
などという公けの平成の背後には
無数の私的な平成が犇めいているに違いない
つまりそれが個々の人生という訳だが
時代と違って人生は年表から溢れてしまう
ある日街角からゴミ箱が姿を消して
人々はマスクを被って抗菌スリッパを履いた
誰もが規則と忖度で雁字搦めに縛られて
笑顔と憎悪が混ざり合う
たまに帰国する僕の目に平成の世は
あまりに窮屈で息苦しく映るのだけれど
その根っこを探ってゆけば
案外自分の心の奥に辿りつくのかもしれない
時代と個人の共犯関係を見抜こうとすると
下水の中の鼠の群れが浮かび上がる
闇雲に崖ぶちへと走りながらも
自分だけは解脱したいと夢見ているのだ
*
年号の更新が個人の死を必要としないのは
結構なことだ だが個人の生を
更新するにはどうすればよいのだろう
願わくば死を介さずに
平成の王と王子が生きた三十年と
父と僕が(離れ離れに)生きた三十年とが
風に吹かれて縺れあい
ほどけ散って
どんな命名も跳ね返す今の浜辺に
僕らは打ち上げられる
玉手箱の代わりに 思い出だけを抱えて
米寿と還暦のウラシマタロウ
夥しい貝殻と朽ち果てた流木めがけて
時代の波が押し寄せてくる
足跡ひとつない濡れた砂の上を
ヤドカリが這ってゆく
平成のシャツを脱ぎ捨て
太陽の永遠に素肌を晒しながら
僕らは水平線の弓の
彼方を見つめる
(この項続く)
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