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小池昌代の〈詩と小説〉: 『影を歩く』を読む その3

『影を歩く』では、小説と小説の間に詩が挿入され、小説の中にも詩があるのだが、その一方、詩の中に小説の素が編み込まれてもいる。たとえば第二章の冒頭に置かれた「二重婚」という詩(それにしてもすごいタイトルをつけたものです)のこんな一節。

すでに十分老いたあなたは
新しいことができなくなった
しかしかすかに残る
性欲をもえたたせ
小鳥とともに歌う
タクトを振り
あの第二バイオリンの若い女を
欲しいと思う

ここにはどんな物語が隠されているのだろう?小説と違って、詩の中の物語には筋書きも結末もない。でもそれだけに、物語の息づきみたいなものが迫ってくる。そしてここでも唐突に「脱出」が語られる。けれどそれは「生活」からではなく、「夢」からの脱出だ。

わたしは鳥の影より速い
誰よりも先に
夢を脱出し
もう二度と
ここへは帰って来ない

詩のなかに入った途端、現実と夢は逆転するのだろうか。合わせ鏡のような、詩と小説の関係。

ところで第二章の「傷とレモン」という小説のなかで、小池さんはさりげなく恐ろしい告白をしている。

「禁欲」とは、欲望とりわけ性欲などを捨てることでなく、それを上回る欲望によって、現世でのあらゆる欲望が色褪せてしまうことだと書いている。(阿部謹也『ヨーロッパを見る視角』)わたしにとっての詩を書くことがまさにそうだ。詩を書きあらわすことや、詩的現象の発見が、この世でのあらゆる欲望を凌駕する。

ぼくは思わず唸ってしまう。ぼくだって自分のことを「詩に罹ったヒト」と称したりしたが、詩への欲望が「この世でのあらゆる欲望を凌駕する」と言い切れるかどうか。だめだ、言えない。いや、本当はそうなのかもしれないのだけれど、詩はぼくの内部に宿っている。対して現実は目の前を通り過ぎてゆく。それもすごい速度で。詩はいつまでも待っていてくれるが、現実はこの刹那にしか触れられない。だからとりあえず、僕は現実への欲望を優先してしまう。詩は、現実(それが自然であれ、人であれ)への欲望を満たし、次の欲望が生まれるまでの束の間を縫って書きつけるのだ。ぼくが詩への欲望に心から身を浸せるのは、現世の彼方においてでしかないんじゃないか、などと思いながら。

実は小池ワールドには、〈詩〉と〈小説〉というふたつのほかに、もうひとつ大切な要素がある。そしてそれが、〈詩〉と〈小説〉を繋ぎ合わせる蝶番のような働きを果たしている。その第三の要素とは〈哲学〉だ。

カントやヘーゲルのような、学問として学ぶべき哲学ではない。知識や理論ではなく、自分の頭と心だけを頼りに物事の本質を見据えようとする、いわば「一人称の哲学」である。小池さんの初期の詩を特徴づけていたものは、そんな哲学性と詩的感受性との美しい融合だった。

『影を歩く』でも、この哲学性が随所に光っている。まるで迷いやすい森の小径に点々と置かれた道標の小石のように。たとえば「清水さんは、許さない」のなかのこんな一節。

以来、「人とすれ違う」という行為の意味が変わった。すれ違うとは刺し違えるに等しい、どこか常に緊張を伴うものになった。

これは作者自身が若い頃「すれ違いざまの痴漢にあった」ことを思い出しての考察である。「清水さん」は映画『櫻の園』の主人公だが、彼女もまた小学生の頃、同級生の男子に生理ナプキンをとりあげられ、皆の前でからかわれたというトラウマを持っている。「わたし、一生、許さないの」と言う清水さんに向って、同級生の杉山さんが言う。「許さなくっていいんですよ、清水さんは」。その一言を聴いて、小池さんのなかの哲学者は次のように考呟くのだ。

杉山さんの「許さなくていい」という言い方は、非常にぶっきらぼうだが、底のほうには慈愛のようなものがあり、観ている者の胸に広がる。

言うまでもなく、この「慈愛」は、加害者の「男」に対してではなく、「清水さん」に対してであり、かつての小池さんに対してであり、男によって傷つけられたすべての「女」に対して向けられたものだ。

哲学は、しばしば対話の形をとって思考される。小池哲学もその例外ではない。だからこそ『影と歩く』の最初に「対話」が置かれ、最後も、ちょっととぼけた「亀」とのやり取りで締めくくられているのだろう。

月の光が
海を照らす
波の底までしずかに照らす
海のなかにも空があった
海と空とはひとつだった
船でいく
このわたしのわびしさよ
ああ
ひさかたの
空を漕ぎ渡っていくようだ

これは第三章の短編「水鏡」に出てくる貫之の「影見れば波の底なるひさかたの空漕ぎわたるわれぞわびしき」の小池版現代訳。海と空の二項律は、現実と詩の関係にも、詩と小説の関係にも重なる。そしてそのふたつを貫く「月の光」が、小池さんの哲学なのだ。

(この項、(ひとまず)終わる)



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