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小池昌代の〈詩と小説〉: 『赤牛と質量』を読む その1

小池さんの最新詩集『赤牛と質量』の特徴は、自由自在な重層性だ。

冒頭に置かれた「とぎ汁」を見てみよう。

死ぬときも
こぎれいにしておかなくちゃいけない なんて言って
ハサミ、シャキシャキ
せっせと他人の
髪の毛を切ったり 顔を剃ったり
(中国では みみたぶにも剃刀をあてるの)
そして百二歳まで生きた
胡同(ふーとん)の床屋さん

出だしの部分だが、いわゆる口語自由詩の典型的なスタイルだ。カッコのなかの言葉が、ちょっと異質な声を予感させるけれど、ふつう「詩」と聞いた時、たいていの人が思い浮かべる語り口がこれだろう。明治の文明開化から百年以上かかってようやく辿り着いた言文一致の書き言葉。一見話し言葉をそのまま書き付けているように見えるけど、よく見れば巧妙に書き言葉への変換処理が施された擬似的話し言葉のスタイルだ。

その直後に、カギ括弧付きのセリフが登場する。

「知り合いだったんです、映画にもなったんですよ、演じたのは役者だけど
初めて出会ったとき、今日は誕生日だからいっしょに夕ごはんを食べようって
そのときはまだ九十八だった。死んだんです。会いに行きたい」

こう喋っているのが誰だか、読んでいる方には分からない。そういえば、最初の数行を書き付けているのが誰かも、定かじゃない。二つの発話というか発語そのものが、宙空に放り出されている感じ?その主体を見極めようと先へ進むと、いきなりこんな二行が待ち受けている。

山の稚児が背負う星
花の時は花のもの

これはまた、なんていうか、歌の言葉だ。と思った途端、改めて思い出す。いま読んでいるものそれ自体が「詩」だったのだと。つまりこの二行は、詩の中に組み込まれた歌ということになる。

自由詩という珍奇な形式が西洋から輸入され、そこに言文一致が加わって、いわゆる口語自由詩なるものが出来上がるまでは、冒頭のような疑似話し言葉でだらだら書いたり、その次のセリフみたいに話し言葉をそのまま引用する詩は存在しなかった。詩といえば、漢詩や和歌の違いはあれど、要するに詩歌であり、韻文すなわちヴァースであり、つまり多かれ少なかれすべての詩的テキストは、「山の稚児が背負う星/花の時は花のもの」だったのだ。

それがいまや見開きのページに少なくとも三層の語り口が同居している。思えば遠く来たもんだ、である。

このあと冒頭部分の話者である「わたし」と、カギ括弧のなかのセリフの話者である「彼女」(どうやら中国のひとのようだ)が現れ、ふたりが向かい合っている「アークヒルズの37階」という空間も明らかになる。なんとなく話が見えてきて、さて102歳で死んだ中国の床屋さんの物語が始まるのかと思いきや、「わたし」はあっさりとアークヒルズの窓から夕暮れの彼方に飛び出してゆく。ひとりで宇宙の闇に漂いながら、「もうアンケートに答えなくてもいいし/出欠ハガキを出す必要もない世界」などとモノローグな思いに耽っている。

そして唐突に詩は終わる。「食べ残しの皿からまだ湯気が立ち上がっていた」床屋の爺さんの死のように。

なんという自在さ。なんという融通無碍。口語自由詩の〈自由たる〉所以はこれだったのかと、額を叩きたくなるような一篇なのだ。






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