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平出隆『私のティーアガルテン行』を読む(その2)

本書を読み始めて最初に大きな衝撃を受けたのは次の箇所だった。著者が中学二年生のときの思い出である。

学級新聞が出たあと、エッセイの「除夜」を褒めてくれた二人のうち、才気煥発の生意気な文学少女の俤を隠さなかった独身の先生が、今度も授業中に「この詩は素晴らしい」とみんなの前で朗読してくださった。そのとき私が驚いたのは、「この詩は」といわれたからだった。自分には「詩を書いている」という意識が少しもなかったのである。(P42)

著者が書いたのは、ボヤイとロバチェフスキーという数学者へのオマージュだった。中学二年生で数学(というよりも数学史)に夢中になり、19世紀初頭の数学者たちの残した書簡の文体を真似て級友と手紙のやり取りをするという早熟ぶりにも驚くが、詩を書いているつもりではなく書いたものを詩として褒められ、「そこではじめて『詩』というものを意識した。『詩』という形式があることに気づいたし、それをすでに自分が書いてしまっていることを知らされもした」という告白には度肝を抜かれた。

咄嗟に思ったのは、なんと幸福な詩人だろうということだ。普通はその反対だろう。まず他人の詩を読んで、詩というものを意識する。次に自分でも書いてみたいと思って試してみるがうまくいかない。そのあと試行錯誤を繰り返して(運がよければ)初めて自分でも詩が書ける。なかにはその期間が十数年におよぶ気の毒な人もいる(僕です)。それを詩のつもりではなく詩を書いてしまった、などとさらりと言ってのけられては、こっちの立つ瀬がないというものだ。

だが本書を読み続けていると、それが必ずしも幸福とばかりは言えないと分かってくる。むしろそこには宿命、ヘルマン・ヘッセ風の言い方をするならば「額に穿たれた徴」の悲劇性が漂っているようだ。「科学は詩であり、詩は科学である」というテーゼに導かれて、科学の側から詩に歩み入った少年は、終生詩の側に安住することを許されず、詩と非詩なるものの狭間を歩む運命を背負うことになるのだから。

子供のふとした手遊びから「詩」の領域に入りながら、十年もすると詩集を刊行していたが、やがて私は「散文」に眼を凝らすようになった。「散文」を排除することで「詩」を宣言するような詩人たちの虚偽に気づいたからである。「散文」でありながらその中から「詩」が発生することもあり、「詩」でありながら、「散文」の条件を備えているような言語の様態もありうる。(P48)

詩の領域への入り方は著者と正反対だったにも拘らず、僕はこの部分に烈しい共感を覚える。自分の詩を書きあぐねつつ、僕もまたその「虚偽」に気づいていたからだ。当時の(1970年代の終わりから80年代の半ばにかけての頃だ)いわゆる現代詩の世界が、そのような虚偽に席捲されているかに思えて、自分の居場所を見つけることができなかった。結局が僕が本格的に詩を書き始めるのは、日本の外へ出て、いったん「現代詩」の世界から離れた上で、英語を介して書き始めるという回り道を経てからだった。この本を読んだあとで振り返ってみると、そこには「詩」と「散文」(あるいは散文脈)の関係性を模索するという側面があったことに気付かされるのだ。

もっともその関係性の取り方も、著者と僕とではぜんぜん違う。ここでも自分はなんと長い回り道をしてきたのだろうと呆れないではいられない。著者の場合は確固たる方法論に則っている。アプローチが体系化されている印象なのだ。

私は次第に散文形式の詩として「断章」を試しはじめ、行を替えることに疑義を示すかたちでしか行替えをしなくなった。さらに散文詩とみえないほど散文に近づいた作品を書き、やがてエッセイや小説とみなされてもしかたがないものに、自分の詩を込めるようにさえなった。いつしか私は、多くの詩人たちから遠いところへ向っていた。(P48)

僕自身はまず詩の内容において散文的な現実を導入することを試み、金融理論やら中年性やらの題材を手当たり次第試したあげく、次第にそういう詩を書いている自分とそういう現実を生きている自分との関係(というか分裂)を疑い始め、それがやがて言語と現実、あるいは言語と意識といった方向へ捻れてゆき、その途中で(ほとんど気まぐれのように)小説を書き出し、その小説がうまく書けないということを詩に書いて……と迷走に迷走を重ねて現在に至る、という具合なのだ。

にも拘らず、あるいはだからこそと言うべきか、「できることならば、(詩と散文という)異なる領域同士が重なりあう場所にこそ立っていたい(P48)」、「私はといえば、詩を散文と戦わせる方途をとった。詩の集落からどれだけ離れ、遠くへ出かけることができるかを試しはじめた。これはジャンルからはぐれていこうという決意とともにあった(P264)」という言葉を読むと、長い間探していた失くしものをついに見つけたような、救われるような、深い励ましを感じてしまうのだ。

奇しくもこの本を読みながら最後のゲラをチェックしていた僕の最新作は、まさに「詩と散文という異なる領域を重ね合わせる」ことを目指したハイブリッドなテキストであり、おまけに私小説でもある。そして「私小説」という概念は、川崎長太郎を介して本書の重要な要素となっている。いやそれ以前に、回想録という側面を持つ本書そのものが、「私」を虚構化するいわゆるAutofictionの過激な実験にして着実な成果ではないか。

実生活から切断された空間をつくっているような詩作品にみえても、じつはつよく現実の特定の地点に繋留されているような詩的関係を、私は求めてきたようだ。(中略)私は自分の詩に、抽象性と私的な記録性とが乖離しながらも同居することを、同世代にくくられていた他の詩人たちとのちがいとして、はっきりと意識することになった。(P268)

「私小説の可能性を、拡大された詩形式と重ね合わせることで確かめようと」して書かれたのが、前項の冒頭で触れた『猫の客』である。そしてその作品を、自分が二年前の入院中のベッドで読んでいたという事実に、またしても打ち揺さぶられるようなのだ。診断、手術、リハビリ、さらなる治療という一連の実体験を「抽象性と私的な記録性」を織り交ぜるようにして書いたのが、先に述べた最新作『前立腺歌日記』に他ならないのだから。(続く)


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