亀霊ブックジャケット

ジャンル横断「日本語詩歌人」三宅勇介インタビュー:嘱目・幻視・詩の過去と未来について(Part2)

――三宅さんの短歌や俳句を読んでいると、その場の光景がまざまざと眼に浮かんでくることがしばしばです。

女僅かに背中開ければ刺青は下方の昏きまで続くなり
諦念の一本のごとく寝そべりて炎昼の底やり過ごす犬
鎌を上げそのまま路に死す蟷螂の征服せざるものは秋なり
バス停で女が女の肩を抱き抱きたる方はますぐな目をせり
塾講師咳込みチョーク折れるかな
モスクワの地下鉄車内雪降れり雪の来歴問ひてはならぬ
角砂糖流星のごとく放りこみ光芒失ふまでかき混ぜる

――これらはいわゆる「嘱目」ですよね。どれも実際に三宅さんが遭遇した光景を詠まれたものですか?

俳諧における「嘱目」、(指定された題でなく即興的に目に触れたものを詠む事)、と四元さんに感じていただけた事は大変嬉しいです。それだけリアリティがある、と評価いただけた訳で。これらの歌は、目で見た事が題材にはなっている事が大半ですが、少し誇張したり、(刺青、蟷螂、モスクワの歌など)、想像した事も含まれています。例えば、1首目の歌は、フランス人女性で、実際は二人きりの場面ではなく、飲み会の場でしたし、ほんの上しか披露されていなく下の方まで見せてもらった訳ではないんですが、ただ、本当の事を描くと、少しエロスは減るかもしれませんね。蟷螂も実際はペッチャンコになっていたものだったと思います、それを鎌だけ上げちゃいました(笑)。 塾講師の歌は、友人なんですが、完全に想像です。角砂糖の歌も……。

短歌や俳句の結社によっては、見たことそのままではなく、話を盛ったり、誇張したりする事を今でも嫌うところはありそうですね。リアリズム重視の意味で……。でも今はあまりそこにこだわりすぎる結社は逆に少数派ではないでしょうか。とはいえ、例えば短歌の世界でアララギ全盛の近代短歌時代は歌を「盛る」事は許されなかったみたいですね。北杜夫さんの『茂吉晩年』の中のエピソードで、茂吉の弟子の板垣家子夫さんが、茂吉に詰問される場面があります。板垣さんの歌、

照りわたる月の光に靄の上の雪山並は低くなりてみゆ

を、「君、こりゃあ、本当のことを詠んだんがっす」と。今読むとリアリズムそのままの歌ですが……。板垣さんは、本当の事だ、と釈明すると、では実際にその歌を詠んだところに連れていけ、と、凄い執念です(笑)。実際、連れて行ってもらい、最後は納得するのですが……。今の時代でも茂吉の信念は通ずるとこはあると思いますが、そこまでストイックにやるところは今はあまりないかもしれません。それにそういう茂吉こそ、幻想的な秀歌を沢山ものしておりますが……。

――嘱目の歌はそれを見た瞬間反射的に現れるのでしょうか、それともワーズワースが述べているように「静かなる回想」のなかから立ち昇ってくる?

そうですね、どちらからかというと、後から思い出して作る事が多いと思います。よく言われるように、記憶とはフィクションであり、記憶に立ち上がってきた時には、すでに無意識に、情景に「盛っちゃって」いるかもしれません。

――自分が耳よりも舌よりも肌よりも鼻よりも、眼の詩人だと思われますか?

実にぼくの本質を鋭く突いている質問だと思います。そう言われると、やはり、「目の詩人」かな、と思います。

――その一方で次のような作品には危うい幻視性が感じられます。

空蝉の裂けたる背中の内部より眩しき空の光漏れたり(=蝉の殻内部に眩しき空のあり)
骸骨にいと近き人飛び込みてプールの水は矩形に凹む
春の雪てのひらに落ち握りしめふたたび開ければ刀創のあり
ただならぬ目つきの男と擦れ違ひたりひとすぢの刀疵わが背中に現る
電子本開きてわれは見逃さぬ電気で出来たる紙魚の走るを
われ見たり二匹の大熊猫じゃれ合ひて黒き斑点取り換へにけり
つまりありもしない/大きな緑色の唾の幻影に/ヒョイと首をすくめたのである(詩「激怒」より)

――これらは実際に見た「嘱目」の変形ですか、それとも純粋なる想像力の産物でしょうか?

やはり、純粋にイマジネーションなんですが、とっかかりは、やはり言葉だと思います。核となる言葉から、その言葉をどういう風にしたら、面白い情景になるかな、という事を無意識に考えているのではないでしょうか。この中でいうと、紙魚、大熊猫、唾、骸骨、空蝉、など……。そういう意味では、一人で、題詠しているのかもしれません。

――このような幻視を得られるのはどんな時と場所が多いですか?たとえば勤務中に突然天から降りてきたりするのでしょうか。

やはり、地上が多いですね(笑)。散歩したり、ジョギングしてたりする時も貴重です。読書中も言葉に反応してできることもあります。

――行わけの詩や長歌の場合、「嘱目」にせよ「幻視」にせよ、ビジュアルの要素だけで作品を作るのは難しい気がします。短歌や俳句ならば不要でも、長い詩になると必要になってくる要素って何なのでしょう?

これも実に鋭い質問だと思います。「私は短歌に於いて『瞬間』と『断片』とに殆ど最高の意味を置いて考えている」といったのは歌人の佐藤佐太郎だったと思いますが、含蓄深い言葉だと思います。そういう意味では、ビジュアルの「瞬間」や「断片」だけで、(他の要素でもいいと思いますが)、短歌や俳句が出来うると私も信じております。ただ、長い詩になってくると、確かにそれ以外の要素が必要になってきそうですね。ストーリーや、伏線、様々なしかけ。

村野四郎の詩「さんたんたる鮟鱇」と、加藤楸邨の句「鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる」を、詩人の中村稔さんが比較した文章をどっかで読んだ記憶があります。中村さんは、たしか、楸邨の句の方に軍配を挙げていたような気がしますが、勝ち負けはともかく、その辺りも詩と短歌や俳句のジャンル特性の違いによるものかもしれませんね。楸邨の句の、「瞬間」をググッと圧縮したような、鮟鱇の存在感を際立たせる俳句特性、村野四郎のひょうひょうとした語り口ながら、鮟鱇の存在というものに徐々に迫っていく詩の特性、ぼくはどちらも素晴らしいと思います。

――新詩集『亀霊』には同じ主題、同じ表現を短歌と俳句、そして行わけの詩に跨って「使い回す」例が多く見られますね。

大蕪をヨハネの首のごとく提げ農家の婆は妖艶に笑ふ=大蕪をヨハネの首のごとく提げ
印象の大なる黒き瞳には釜揚げしらすのそれを挙げたし=邪気のなき釜揚げしらすまなこかな
ラグビーの選手敵から身を躱し走り出すとき方位の生れぬ=ラガーマン走れば方位生れしかな
串飲みて鮎は魂取り戻し尾を打ち炎二つに分けつ=串打ちて鮎魂を取戻し
赤蜻蛉静止する間は錆びてゐる釘になるまで念ずるごとく=赤蜻蛉静止する間は錆びてゐる
手に取れば文旦大いに輝きて指入るることしばし躊躇ふ=文旦の指いれ難く輝きぬ
多喜二忌に蟹足砕くためだけの器具を片手で鳴らす男あり=多喜二忌や蟹足砕くための器具
蟋蟀は暗黒物質(ダークマター)で出来てゐるわが庭侵すものどもの声=蟋蟀は暗黒物質(ダークマター)で出来てゐる

――このようにジャンルを横断する「使い回し」によって、どんな効果あるいは実験を意図しているのですか?

そうですね、この辺り、色々批判もありそうですが、「一粒で三度美味しい」みたいなところから始まったかもしれませんね。つまり、ある面白い着想なり、場面を得たとします。そうすると、俳句だけで、あるいは短歌だけで、終わらせたらもったいないというか。他の俳人や歌人に後ろからハリセンでぶったたかれそうな発言ですが。昔、寺山修司が、草田男の俳句から着想を得て、短歌に作り変えた事件とかありましたよね。あれは他人の作品なので少しまずいですが、自分の作品なら問題ないか、と(笑)。 俳句でしか言えないことを俳句にするのだ、そうでなけでれば俳句でない、とか、短歌でしか言えないことを短歌にするのだ、そうでなければ短歌でない、という批判も聞こえてきそうですが、そこまでストイックにする事もないかな、と。例えば、蟋蟀は、の短歌と俳句なんですが、これなんかは典型的に批判にさらされそうなパターンですね。つまり、俳句に77つけただけじゃないか、という。でもそういう批判は覚悟の上であえてやっちゃう(笑)。 でも結果的に、そうすることで、歌集の中で、歌と俳句と詩のつながりが出来たというか、重層的になったかな、というのが自分の中での収穫でした。

――『亀霊』には、また、フランス語の対訳による俳句も含まれていますね。

井の頭通りも下る驟雨かな
Une averse
descendant la rue Inokashira

――フランス語訳は自分でなさったのですか?

そうですね、まず、自分で作ってみて、それをもう15年以上昔からの知り合いの田谷先生という方に見てもらいました。だいぶ直されましたけど。田谷先生は詩歌をされているわけではないので、ぼくの詩のニュアンスを反映しているかな、というのはまた自分で見直してみて。フランス語はほぼ独学というか、まあ、そんなに高いレベルではありません。短歌を始めた三十歳くらいから、カルチャーセンターや、大学の通信教育などで少しやって、あとは、フランス語の原書を辞書を片手にゴリゴリ読む、というスタイルで付き合っているような感じです。フランス語を登場させたのは第1歌集の「勝負の終わりの終わり」という短歌の連作からなのですが、これは、ベケットの「勝負の終わり」を原書で読んだ時に感動して、登場人物の仏語のセリフをもとに題詠した、というものです。日本語と仏語のセリフを並べた時に、思わぬ視覚的効果がある、とある歌人から言われて、ああ、そういう効果もあるかも、と一人で悦にいったものです(笑)。

――それがフランス語訳を添える主たる理由であると?

そうですね、そうした視覚的効果はやはりあると思います。一冊の歌集の中で、アクセントになるというか。でも、こんな声が聞こえてきそうなのは自分でも承知してます。つまり、椎名誠風に言えば、「ケっ!俳句の横にフランス語をつけたからといって一体どうだというのだ!え!どーだ、どーだ!」と。そんな時には、ぼくはこんなエピソードを時々思い浮かべているのですが……。昔、塚本邦雄が寺山修司がホテルに缶詰めになって仕事をしている、と聞いて、塚本が寺山に「君、よくホテルなんかで仕事できるね。第一、仕事に必要な資料などなにもないではないか」と言ったら、「でも、かっこいいじゃないですか」と答えたという。なんか寺山らしくて、ぼくなんかそれ聞いて「お、かっこいいなあ」と思うんですが。だから、「短歌や俳句の横にフランス語なんかくっつけやがって、三宅ってダサ!」と思われたらぼくの負けで、「ふーん、まあなんだかわからないけど、いけてるんちゃうん?」と思われたらまあよしとしよう、と。

――『亀霊』では長歌と詩が区別されています。フランス語に訳したらその区分はなくなってしまうのでしょうか?それでもなお、ふたつは別物だと思われますか?

これも鋭いツッコミですね!今回は、その区別をつけた試みはできなかったのですが、面白い試みになると思います、でも、そのためには、フランス語のシラブルなどに精通しなくてはならないし、今の実力では、ぼくにはその二つを区別させることは出来ないです(笑)。 でも可能だと思います。逆に、アレクサンドラン格でつくる短歌や長歌も面白いかもしれません。

――『亀霊』の「あとがき」で三宅さんは次のように書かれています。

「前二作は歌集であったが、今回は短歌、長歌、旋頭歌、俳句、詩を含む広い意味での詩集を目指した。だが、本書の目的は、ただ、多ジャンルに跨ること、ではない。人工知能の発達する二一世紀において、改めて詩歌を創作するという行為の意味を、言語の過去に遡ることによって考察したいと思ったのである」

――この詩集を作られたことによって、三宅さんにとっての「詩歌を創作するという行為の意味」にどんな変化が生じましたか。

第2歌集を作った後に、つまり、自分なりに、口語長歌というものに挑戦した後に、次に自分が行くべき道は、縦に行く方向、つまり、時代をさらに遡って行く方向と、横に拡大して行く方向、つまり、ジャンルを跨って行く方向、両方を拡大しようと思ったんです。そこで、ぼくの頭に受かんだのが、寺山修司の『われに五月を』です。あれも、ジャンルをまたがった傑作でした。いわば、中年版『われの五月』を志向したのです。ただ、それでは横への拡大だけで、縦への志向になってなかったのです。縦への突破口は、まだ模索中なんですが、今回の詩集でそのイメージだけ少し得ただけで、明確化はされていないのが現状です。でもそういう方向を詩歌の創作において模索していきたいな、と。人工知能の問題も、論理的には説明できないのですが、何か繋がっている気がしております。

――『亀霊』とセットになっている『歌論』に次のような記述があります。

現代の歌人たちは、過去を志向しない、あるのは真空だけである。(「現代短歌にとってルネサンスとは何か」)

――この指摘は現代詩人に対してもいっそう当てはまります。短歌の側からご覧になって、現代詩にとってのルネサンスとは何だと思われますか?

これもまた難問ですね(笑)。 現代詩史にそれほど通じているわけではないのですが、やはり現代詩のルネサンスは、個人的には、戦後から1970年代というのですか、素晴らしい詩人がいっぱいいましたね、その頃を漠然と思い浮かべますが (小田久郎さんの『戦後詩壇私史』の頃でしょうか)。その辺りの時期が黄金期になるのでしょうか。朔太郎、賢治の戦前の時代も巨匠がいっぱいいますが。短歌のルネサンスを近代以降に限って言えば、茂吉や牧水が活躍した、明治から大正にかけてに時期と、戦後の前衛短歌、邦雄や修司の二つの時期とをピークとするなら、奇妙にというか、必然というか、現代詩のピークもその辺りに二つのピークをもつのではないか、と。

――『歌論』には、もうひとつ、びっくりするようなことが書かれていますね。

「また、短歌に詩的要素が必要なのかどうか、ということもまた別の話になるだろう」(「詩的要件としての確定条件」)


――短歌は詩的要素がなくても成立するのでしょうか?!

これも茂吉の例で行きますと、茂吉の有名歌で、

家いでてわれは来しとき渋谷川に卵のからがながれ居にけり

これなんかも不思議な歌です。本当にリアリズムなんですが、それをはみ出す何かがあるというか。どこに詩的要素があるのか、といわれても難しいですよね。でもなんか面白い歌です。茂吉の歌だから、面白いんだ、と言われればそれまでなんですが。

同じ茂吉の歌で、これも有名な歌ですが、

数学のつもりになりて考えしに五目並べに勝ちにけるかも

という名歌(迷歌?)があります。佐藤春夫が、茂吉の歌じゃなかったら、おふざけでないよ、というところだ、と述べたいわくつきの歌です。佐藤春夫は、茂吉の人間性を知ったのちにこの歌を評価したのですが。つまり誰かが言ったように、短歌は歌人の名前と一緒になって一つの作品になっている部分もあったりして……。この歌に詩的要素はゼロで、無名の人が作ったら、あっと言う間に消えていきそうな作品なんですが。短歌の不思議な一面でもあります。

――次のような歌を詠む三宅勇介にとって「詩心」とは、そして「詩」とは何なのですか?

鳥類にあらねど鳥肌持つごとく詩人にあらねど詩心持ちたり

一言で、「詩」とは何か、と聞かれたら、私は「ユーモア」と思っています。

――最後の質問です。『亀霊』って、どう読むのですか?

ぼくの中では、「きれい」もしくは「きりょう」ですが、どのように読んでいただいても構いません。最初、綺麗、とかけて、そう読ませようかな、と思ったんですが、まあ、あまり面白くないかな、と。なので、なんでも。もともと、私、歌集や詩集のタイトルをつける時には、中身と関係なくつけているのですが、よく日本史にでてくる、霊亀という元号の言葉が好きで、それをひっくり返し返して見たら、なんか面白そうだな、と。亀の霊ってなんかユーモラスで。亀卜もなんか暗示させそうで。古代につながるかな、と。最初、ミシュランのビバンダム君を亀にしたような、そして、それが半分消えかかって霊になっているようなイメージが浮かび、よし、それをマスコットにしよう、と。そのイメージを漫画でもあるしろうべえさんにはなしたら、詩集の最後に載っている絵にしてくれました。

「霊」がつく、歌集名で、傑作歌集も多く、たとえば、塚本邦雄の、『日本人霊歌』や、葛原妙子『朱霊』などがあり、それにあやかろうという気もありましたね(笑)。

三宅勇介:Yusuke Miyake 1969年東京生まれ。

『亀霊』しろうべえ書房
http://shirobeeshobo.wixsite.com/home1/hon

『棟梁』本阿弥書店
http://store-tsutaya.tsite.jp/item/sell_book/9784776806462.html

『える―三宅勇介歌集』
http://sunagoya.com/shop/products/detail.php?product_id=436

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