隅田有_クロッシング

隅田有 挿画とともに自作を語る3:「グレッチェン」

『グレッチェン』は『ファウスト』のグレートヒェンを意識してつけたタイトルです。そこにバレエ『ジゼル』のイメージをのせています。村娘ジゼルは身分を偽った貴族の男と恋に落ちますが、男には同じ身分の婚約者が。それを知ったジゼルは、もともと身体が弱いことも災いして、ショックで命を落とします。しかし後半は精霊となって蘇り、悔やむ男を許して、仲間の精霊から殺されそうになる男を助けるというストーリー。ハイネのドイツ旅行の様子からアイデアを得て、ゴーチエが原案を書きました。”グレートヒェン≒ジゼル説”は私が勝手に言い続けているのですが、オペラ『ファウスト』で、ジゼルの2幕そっくりのバレエシーンが挿入されている演出を見たことがあるので、同じような事を考えている人は他にもいるようです。

「グレッチェン」

ホー。
ホー。

村をふるわせる夜の鳥の声を
ヒダで捕らえた刺繍カーテンの内がわ
ホコリっぽい部屋を乾燥させる火の中に
愛しい人
あい次いで現れる虎を砂糖にかえて
その甘味でジャムを煮て
そのジャムを密封して
巻きヅメの棚に陳列して
びっしりと並んだ瓶は賞賛の嵐で
得意になりっぱなしの
わたしを叱りに来て

とめ金を外してガウンを脱ぐと
緞帳の向こう
花壇に咲いたヒナギクの匂い
それは
作り話の匂いであって
ぶあつい指の腹で
つ、とわたしの頸椎がなぜられた
瞬間を保存する陽に焼けた造花の匂い
コスチュームごとギュっと抱きしめられた
春の夕暮れの瞬間を匂いつづける
何度ためしても匂いつづける
でも今夜
寝台は冷えてひとりぼっち

雪に降り込められた村
夜な夜な家畜の排泄を金貨にかえる
愛しい人
柔らかい前髪は書くことでしか触れたことがないけれど
今夜胸に抱きしめて
眠るには十分な量ね
肉離れした腿をかばって
跳躍はもう片方の脚で
寒さに凍る垣根を
ぴょーん、ぴょーん、と飛び越えて
ふいに訪ねて来る
ほら
ふいに訪ねて来こない
ほら
ふいに訪ねて....

隅田有 第一詩集『クロッシング』空とぶキリン社
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