令和元年七月二十二日

ケータイ(スマホ)でnote書くのってなんだか慣れないし違和感あるな、しかも別段書きたいことがあるわけでもないんだけど。
じゃあなんで書くねんってことになるんだけれど、これはいわゆる投薬や治療のようなものだから、書くことそれ自体が大事なのだ。

たぶん、写真でも絵でも音楽でも彫刻でも、ただ手をつけてみる、目的や着地点のなきままに、つらつらと、赴くままに、ってことは意外と大事なんじゃないかなとか、なんで大事なのかはちょっと今は思考力が落ちていて考えられないのだけれど。
そういうときっておっきなモノはできないけれど、メモにはなるんじゃないだろうか。
メモを集めていくと、ばらばらだったものがひとつに見えていく瞬間がありそうじゃない。映像や写真だって、まるで文脈のなさそうなものでも、いくつも連なるとつくり手の意思というか、空気感や雰囲気が伝わってきて映画や展示として成り立つでしょ。文章も同じはず(というかエッセイとかって大体ソレだよな)
だから書くことなくても書きたいって思った以上は、書いていいんだろうなって。

小学生のときノートの隅っこに連ねた落書きみたいなことを、また重ねていきたいなって。

全然関係ないけど、砂肝とか軟骨を噛んでるとストレス減るな。やっぱり噛むって健康にいいのかな。蛇足しちゃった。てへへ

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