無題18

派遣神様・後

・前編はこちら 

 結局、俺の家に突然上がり込んだ(はずの)神様を自称するおかしな二人は、俺がいろいろと考え込んでいる間に姿をくらましてしまっていた。
 まるでおかしな夢を見たようで両親に話をする気にもならず、俺は大学時代の友人にラインの返事だけして早めに休んだ。
 もしかしたら暑気にやられたのかもしれない。うん、きっとそうだ。


 いつものまどろみの中に僅かな違和感を覚えて、俺は意識を取り戻した。枕元のスマートフォンの画面を見ると、おおよそここ最近の起床時間である。
 虫の鳴き声がやかましいのはもう慣れたが、慣れない違和感の正体が掴めず俺はゆっくりとベッドの上で身体を起こした。
 スマートフォンの画面を再び確認する。
「あれっ……ロック画面……勝手に変わってんな」
 俺が見たこともない、どこかの店のケーキのような写真に変わっている。白い生クリームがもりもりになった甘そうなそれ。
 対して気にも止めずにそれを再び枕へ放ると、俺は汗でベタついた首元をかいた。
 すると、おかしな違和感がいよいよ鮮明になって、俺はベッドを転がり落ちた。
「なんだ……なんだ、この髪!?」
 慌てて部屋を見渡すものの、俺が高校時代まで使っていた殺風景な部屋に鏡なんて洒落たものがあるはずもない。仕方なく俺はスマートフォンのロックを解除し、カメラを起動させる。
「自撮りモードなんて……使ったこともねーけど……確かあったはず……」
 すると、モードを変更させるでもなく起動したスマートフォンの画面いっぱいに、全く知らない顔をした女が現れた。
「う、うわっ!!!!」
 俺は心臓が潰れるほどに驚いて、思わずスマートフォンを畳に投げ付けていた。
「なんなんだよ、これ!」
 あらん限りの声で以って絶叫して、俺はそっとそれを掴んだ。肩にばさばさと掛かる長い髪はひどく暑苦しい。俺は自分じゃ見たことも――もちろん履いた覚えもない、フリフリしてすべすべした素材で出来た淡い色のトランクスみたいなショート丈のパンツをはいている。
 というか、全身に鳥肌が立っているがどうにもその身体そのものがおかしい。ショートパンツから覗いた太ももは夕べベッドに入る前に見たそれより明らかに細くて毛が少ないし、それよりなにより、さっきからぽにょぽにょ揺れているこの胸のこれは一体……
「こ、こんな映画があったぞ……そうだ、確か夢の中で女と男が入れ替わるとかそういう……」
 俺が身に覚えもまったくないそれにそっと自分の手のひらを重ねた瞬間、荒々しい足音が聞こえて勢い良く部屋の戸が開いた。
「ちょおおおおっと! 一子!! 穀潰しがいつまで寝てんだい! 夏休みじゃないだろ、あんたは!!!」
 それはいつもの母の怒鳴り声だったけれども、彼女にはよっぽど俺が奇異なる姿に見えたことだろう。
 俺はわずかに背中を丸めて、そっと自分の胸を―—つまり、大きく丸く膨らんだ自分のおっぱいとやらに手を這わせる俺の姿を目の当たりにしたのだから。
「きゅ、急に部屋を開けるなって何度も言ってんじゃねえか!」
「無職の居候が何様だい。さっさと仕事探しなさいよ。まったく……東京なんか行くから婚期も逃しちまって……山脇さんのところの幸子ちゃんなんかはね、もう二人目が産まれたんだって話だよ!? あんただって聞いただろ?」
「はあ?」
 だ、誰のことだ……「幸子ちゃん」というのは。山脇、という家については俺も知っているが、幸子なんて人間は知らない。俺が知っているのは“山脇幸助”という名前の、対して仲良くもない幼馴染だ。
「あんたは古いのなんのって言うけど、やっぱり女ってのはね、いい旦那さんのところに嫁に行って子宝に恵まれるってのが一番だよ。いい男がいそうな職場を見つけな!」
 わけのわからない話をひとしきり勝手に喋り終えると、母は持っていた洗濯物を置いて、去って行った。
「なんなんだよ、一体……」
 呆然と立ち尽くしていると、見慣れない物が視界に飛び込んできて俺はフラフラと近寄った。
 それは背の高い錆びた銀色のロッカー。辞めた会社の事務所にも同じような物が置かれていた。女子社員が中に制服や私物を入れていた気がする。
 ロッカーの扉には鍵が挿しっぱなしになっており、ちょうど俺の目線の高さくらいの扉部分に名札が付いていた。カタカナで《ジーン》。
「……ジーン、て……まさかこれ、俺のこと? ジン?」
 ともかく、昨夜自分がベッドに入るまではこんなものは部屋になかったし、先程ここへやって来た母も何も言わなかった。
 わけもわからずロッカーの扉を開けてみる。
 すると、扉の内側に付けられていた小さな鏡に、見知らぬ女が映り込んで俺は食い入るようにそれを見つめた。
「や、やっぱり……さっきの……」
 俺の携帯電話の自撮りカメラに写り込んだ知らない女!!
 茶色い髪の毛に、見たこともない色の瞳。顔の造作はそれほど彫りが深くはないけれど、日本人には見えないし、じゃあ何系と聞かれてもパッとは出てこない。
 それなりには美人と思う見た目だけれども、それは俺の身内の女どもより目鼻立ちがくっきりしているせいかもしれない。とにかく、これは全く俺の知らない赤の他人の顔だ。 
 俺はなんだか頭がくらくらしてきて、額に手をやった。鏡の中の女もマネをする。
「あ、悪夢でも見てんのか俺は……」
 そうして俺がロッカーの中へ目をやったその刹那、俺はぐらりと僅かに体勢を崩した。頭がくらくらしていたせいかもしれないし、ロッカーの扉に背中を押されたからかもしれない。
 ともかく、俺はそのロッカーの中に広がる深い深い闇をしかとこの目に焼き付けた瞬間、悲鳴を上げる間もなくその闇の中に吸い込まれて行った。

 俺が放り出されるようにして転がり落ちたのは、ちくちくした芝生のような地面の上だった。突然視界が明るく開けて、俺は恐る恐る目を開ける。
「いたた……ほんとにもう……なんなんだよ」
「やったあ! 初出社おめでとおおおおーう!!」
 クラッカーの弾ける音がして、俺は降ってくる紙吹雪を一つ拾い上げた。
「ジーンちゃん、おはよう。記念すべき出社初日ね!」
 そう言って俺の顔を覗き込んできたそいつは見覚えがある。
 そう……昨日うちの実家に乗り込んできた謎の二人組!
「……これは……どういうことですか。何が何だか……わけがわからないんですけど」
「あら、わからないことなんてないじゃない? ジーンちゃん、きのう神様のアシスタントの仕事やってみたいって言ってたから速攻で採用になったのよ」
「そうそう、即採用。中々こんなことはあるもんじゃねえぜ」
 ほら、と言って四角いものを手渡してきたこいつも俺は見覚えがある。謎の二人組の片割れ、フォルテ。
 俺は手渡されたそれを見つめた。ちょっと硬めの素材の紙材で出来た見慣れたフォルム。
「……タイムカード……」
「ほらほら、早く打刻して! 出社したらまずこいつを打刻するの」
 そう言ってサンガツが取り出したのは丸い水晶のような物体だ。水晶の中でゆらゆらとゆらめいている謎の記号は、デジタル表示された今の時刻……なのかもしれない。ただの俺の推測だけれども。
 サンガツはぼやぼやしている俺からタイムカードを奪うと、水晶の中にそれを突っ込んだ。「がしょん」という音がしてタイムカードは全て水晶の中に消えてしまう。
「ね? わかった?」
「……わからない!! わかりませんよ! これは一体どういうことなんですか」
 俺はその場に勢い良く立ち上がって気がついた。
 いつの間にかまったく身に覚えのない服を着ている。目の前のサンガツのそれともよく似た服装だが、どうも下半身がすーすーする。
「ジーンちゃんのところに制服のロッカーが支給されていたでしょ? あそこがうちの事務所と繋がってるの。今日は初出社だから現場へ直行してもらったのよ」
「現場って……」
 そう呟いて俺はサンガツがひるがえした掌の先を眺める。
 目の前に広がるのは見たこともない景色。
 そこは、俺が知らない異世界だった。
「ここはあたしが管理を任されている人外地の一つで、第四十二ペトルシアンという世界なの。あんたのところと同じ《ペトルシアンシリーズ》の人外地で、所有者税金未納のために只今中央政府が差し押さえ中」
 地上には透き通る青い海がどこまでもどこまでも広がり、水面を大きな生き物が盛んに飛びはねている。 
 空には虹色の雲が立ち込めていた。その分厚い雲の天蓋を突き刺すように針のような建造物が青い水面に向かって無数に伸びている。
「本当に……異世界に……来ちまった」
「便利だろう? ドアtoドアで通勤時間1分もかからねえ。ギリギリまで寝てたってあのロッカーくぐりゃあ一発で身支度も完了よ」
 フォルテが指した先には簡易更衣室のようなものがしつらえてある。記号のような模様で埋め尽くされた不気味な正方形のラグの上に遮光カーテンでぐるっと丸く囲っているだけというスペースだけれども。
「それよりもあの……この……格好は……」
 俺は自分の身体を指してフォルテに尋ねた。全身の姿を未だきちんとは見ていないことがせめてもの救いかも知れない。まあ……それでも大体のイメージは出来るけれども。
「……なんなんすかね? 起きたら知らない人間になってたんですけど……」
「制服よ、制服! なかなかいいんじゃない? 似合ってる似合ってる」
「制服?」
「昨日の内にお前のアシスタント採用許可が下りたもんだから、支給品としてロッカーと一緒に届いたんだろ。着任届もちゃあんと俺のところに届いてる」
 俺が「理解しがたい」という顔をしていたのがわかったのか、サンガツが言った。
「あんたねえ、神様のアシスタントとして働こうってのに、まさか土民のままの肉体でやるつもりだったわけ? そんなの無理に決まってんじゃない。あたし達はスキル持ちの神様だからあんたたち土民がいうところの魔法みたいなやつをいろいろと使えるのよ。制服があればあんたにだって多少はそういうことも出来るようになるわ」
「これはつまり……ま、魔女っ子みたいに……これに変身して仕事するってこと……ですか?」
「そうね! そういう感じ。仕事が終われば元に戻るわよ」
 そういうことは出来れば働く前に言ってもらいたかった。
 ……というよりもこの場合、細かな勤務条件や勤務内容をきちんと把握しないままに「いいかもしんないそれ」とかうっかり零してしまった自分の方に非があるのかも……しれないけれども。
「だ、だけど……慣れないよなあ……出来れば男の制服をいただきたいんですけど……」
「本来はちゃんとお前の身体を採寸してお前にあったサイズの制服が支給されるはずだけど、今回は大急ぎだったからそんなことしてるヒマがなかったんだよ。だから適当に事務所に余ってるやつをよこしたんだ」
「支社長ってば女好きだから、余ってる制服が女物しかなかったのよ」
「ええ……?」
 俺は腹の底から呻きのような声が漏れた。
「当然だろ、サンガツ。どうせ神に仕えるならハゲたひげもじゃの爺より肌がすべすべの女神がいいね、俺は」
「まあ……そういうわけだから、支社長にはいちおう注意してね。改めてよろしく!」
 もしかして……うちって女だらけの職場なんだろうか。女神さまの同僚ばっかり!? 一昔前のナースステーションみたいな職場を想像したらなんだか今から胃に穴が空きそうだ。
「あまりものにしてはなかなか似合ってるから大丈夫だぞ。いい感じじゃねえか、なあ? わざととっておきのやつを残しておいたのかもしれねえ」
 何が大丈夫なんだ……エロ漫画みたくある日突然見たこともない女の姿に、身体にされてるこっちの身にもなれってんだ。
 すると、俺はまた一人見知らぬ人間がいることに気が付いて固まった。まるまると太って目つきの細い、男か女かもよくわからない不思議な人。
「あなたが……ジーンさん?」
「そ、そうです……神です……ジン」
「わたし、中央属領公社・東部外域第三支部・人事課のニモツと申します」
 ニモツは本当に頭だけを軽く下げて言った。
「中央属領公社は、勿体なくも御領主直轄の公社にあたり、例えあなたのような末端の臨時補佐執政官であろうとも、その責務の重さについては重々ご理解いただく必要があります。つきましては、後ほど研修用の資料についても支給いたしますので、仕事を終えられてもしっかりそちらで座学に励んでいただくことを希望します。本来であれば二ヶ月の研修期間と然るべき実技研修会を経ての正式着任となるスケジュールですので」
「は、はあ……」
 俺はニモツが差し出したそれを受け取って開いてみた。固い表紙で出来たバインダーの中に書類が二枚入っている。
「な、なんすかこれ……」
「雇用契約書です。見ての通りですよ」
「こ、雇用契約書? つ、つまり神様のアシスタントの……雇用契約書?」
「そうです。二部お渡ししますので、内容を読んで納得したらサインしてください。それで私に戻す。おわかりですか?」
「おいおい、ニモツ。ちゃっちゃと手短にやってくれや。今日は早速実務の研修に行かせるんだからよ」
 ニモツは鬱陶しそうにフォルテをちら見してため息を付いた。 
「勤務時間は5時間――ああ、時間などの単位は全てわかりやすくあなたが暮らす第四十七ペトルシアン領のものに合わせてあります。で、休憩時間が1時間。シフトについては現場と相談のうえお決めください。福利厚生として発生するものが幾つかありますから、それについては今日から利用が可能。仕事の際は必ず制服を着用のこと。専用ロッカーを支給してありますので、そちらで着替えを済ませてから出社をお願いします」
「勤務時間が5時間で……そのうち、1時間も休憩時間!?」
「そうです。何か問題でも? 就業規則などについては後ほど詳しい手引書をお渡ししますのでそちらで再度確認をしてください。ああ、喫煙や飲酒については申告が必要ですから、別途《健康における諸注意及び提出書類》を確認すること。持病の有無もきちんと申請をしてくださいね。必要とあれば処置しますので」
「あのう……」
 俺はこれだけはどうしても聞いておかなければと思い、恐る恐るニモツに声を掛けた。早速鋭い目つきが返ってくる。
「なにか?」
「お給料って……当然、出るんですよね?」
「サラリーのことですか?」
 俺は小さく頷いた。
「はっきり申し上げておきますが、臨時補佐執政官のサラリーは高くありません。その分福利厚生がしっかりしていますから、仕事に支障があるとは思われませんが……その点についてはご理解いただきたいですね」
 ニモツは俺から雇用契約書をバインダーごと取り上げると、雇用契約書の書類を一枚、俺の顔に突きつけて言った。
「臨時補佐執政官の日給は470ペローです。ここに書いてあるでしょ」
「ぺ、ぺろー……?」
 俺が目を白黒させながら繰り返すと、ニモツが強く一度頷いた。 
「……ペローって……日本円だとどれくらいの金額なの?」
「今の相場だと……ええと、ちょっとまって……ああ!」
 サンガツは着物のような上着の袖から俺も見たことがある機種のスマートフォンを取り出すと、操作しながら言った。
「今日だと……だいたい、320万くらいかしらね」
「さんびゃくにじゅうまん!? 日給さんびゃくにじゅうまん!?」
 俺は驚きの余りサンガツに詰め寄った。肩を揺すって何度も確認する。
「日給ってことは、5時間働いてさんびゃくにじゅうまん!? 一時間の休憩つきで!?」
「びっくりした? でも異世界を管理する神様のアシスタントですもの。これくらいの報酬は当然よ」
「じゃあ……もしも、もしもだよ? 週に三日働くとしたら……それだけでもう、940万ってこと!? 一日4時間働いただけで!? 週にたった十二時間働いただけで!?」
「そういうことね。まあ、神様の労働対価ですもの。それくらいにはなるわ。日払いも出来るわよ」
「日給……三百二十万……」
 ぼんやりと呟いたその声も、昨夜までの自分のものとは違う。聞いたこともない見知らぬ女の声。
 そう、俺は神様のアシスタントに採用されたのだ! 
 日給320万という破格の高待遇のアシスタントバイト!!
「サインします! 今すぐサインしますから……ええと、ペン……誰か、何か書くもの持ってないですか?」
「そんなものは必要ないぜ、ジーンちゃん」
「あのう……どうでもいいけど、みんな俺の名前を間違えてません? ジーンじゃなくて、ジン、で……伸ばす棒はいらないんですけど」
 フォルテは俺の雇用契約書を指した。
「そいつを確認して納得出来りゃあ、一言《承諾します》とさえ言やあいいんだ。それで手続きは完了だよ」
「そうよ。サインする、ってのはそういうことだもの。契約ってそういうものだわ」
 なにがなんだかよくわからないが、もう四の五の言ってる場合ではない。
 おれは雇用契約書を二枚まとめて取り出すと、それを握りしめて叫んだ。
「承諾します! やります、アシスタント!! 働きます!」
 すると雇用契約書の文字が一瞬全て金色に光ったと思うと、一番下にあった日付と名前を記入する欄にするすると自動で文字が書かれ出した。

 2017年 8月 14日 神 一(じんはじめ)

 俺が声の承諾だけで記したサイン。
魔法だ――これは。
「こ、これで……いいんですかね?」
 リアルな二度目の奇跡を目の当たりにしてさすがに俺の手も震えている。書類をバインダーに収めようとすると、ニモツがそれをぱっと奪い取ってしまった。書類を眺めて彼は(彼女かもしれないけど)一言、
「結構」
 と言ってフォルテにそれを手渡した。
「ようし! 雇用契約書の控えはあとで社員証と一緒に渡すから。サンガツ、お前が面倒みてやれや」
「おめでとう、ジーンちゃん。ジーンちゃんはあたしのアシスタントよ! 先輩がしっかり面倒みてあげますからね」
「はあ、どうも……よろしくおねがいします……」
 なんだか大変なことになったような気もしたが、こうなったらなるに任せよう。
 これまでだってそんな感じで生きて来たし、俺には別段夢もない。
 ただぼんやりと生きるために働くだけの毎日なら、人の世界の仕事も神様のそれも変わりゃしない。
 短時間で実入りの良い仕事があるなら願ったりだ。
「こんな世界があったなんて……」
 目の前に広がる異世界の景色は、今まで俺が見たどんなゲームやどんな映画の、どんな漫画のそれとも思い当たるものがない。人の想像など本当にちっぽけだ。
「ここも……誰か神様が作って……管理を公社に任せているってこと?」
「ここもオールド・コレクションの一つだからな。カペーの領主さまが大昔に拵えた世界の一つだよ」
 俺が頷くとサンガツが続いた。
「大体自分で世界拵えて自分が所有者になるなんてケースは本当に稀なの。《創造》のスキル持ちの神様なんてのはほんの一握りだしね。それ以外の神様は金を払って世界の所有者(オーナー)になるのよ。オーナーになれば世界は自分のものなんだから、管理にしろリノベにしろ好きなことが出来るのよ」
「リノベ……」
「リノベーション! 中古品を作り変えるってこと!」
 ああ、なるほど……確かにそういう意味だろう。
 これでも俺は不動産会社で少しばかり似たような管理の仕事も兼務していたことがあるからそういうことはおおよそ理解している。
 まあ……俺がやっていたのは居住用のマンションやオフィスビルの管理であって、異世界の管理なんてことはしたことがないけれども。
「それにしたって、5時間ぽっちの労働で320万円なんてなあ……」
「ね? いい仕事でしょ。ああ、でも5時間ってのはあんたんちの現地時間のことだから、念のためカペーの標準時間も見ておいが方がいいわよ」
 サンガツはそう言うと再びスマートフォンを取り出した。そんなもの持ってる神様がどこにいるんだ。
「……現地時間?」
「カペー領には沢山世界があるから、時間の流れもまちまちなの。それをご領主さまのお力でカペーの標準時刻に統一しているんだけれど、あんたのところの人外地はご領主さまの恩恵が最低限にしか届かないから、標準時刻とは時間の流れが違うのよね」
 最低限度に整っているというインフラの中にそうしたものは含まれないのか……俺は嫌な予感しかしなくなって恐る恐る尋ねた。
「どう違うの?」
「カペー領の標準時刻でも1日は24時間だし1時間は60分だけど、カペー領の1日はここよりずっと早いわ。あんたの世界の1時間は……だいたいカペーの標準時刻だと……確か……」
 サンガツはしばらくスマートフォンの画面を見つめていたが、不意に顔を上げて
「5544時間ね」
 と、笑った。
「はあ!? 5544時間!?」
「そうよ。ちゃんとアプリで計算したもの」
「そ、それって……つまり、うちの実家で1時間過ごしたらカペーの領内ではもう231日経っちゃってるってこと?」
「そうよ。でも逆に考えて? 他のカペーの領地で231日時が過ぎたとしても、あんたの家に帰ればまだ1時間しか経ってない。時間を有効活用出来るわ」
 俺は強烈な不安に襲われて、なんだかのどが苦しくなってきた。いつか職場でストレスが限界値を越えて倒れた時の感覚に似てる。
「ちょ、ちょっと待てよ……それじゃあ……さっきの、5時間勤務ってのは……」
「そうね。あんたの世界の時間で5時間勤務ってことは……カペーの標準時刻に直すと……」
「1時間が231日なんだから、単純計算でその5倍だろ。1155日!? 3年以上も働かなきゃならないってこと!?」
「あら、大丈夫よ」
 サンガツは勢いも付けずに地面を飛び上がった。そのまま宙で寝転ぶような体勢になって俺を見下ろす。
「だって、外で3年働いてもあんたの家に帰ってきたら5時間しか経ってないんだから。日帰りで戻ってこれるじゃない?」
「そ、それじゃあ日給320万ってのも……つまり……」
 俺は振り返ってフォルテを見たが、彼はニモツと話をしている。「制服」がどうだとか「今からちゃんとしたのを作った方がいい」とか「あれでいいよ」とか……そんな内容だけが断片的に聞き取れた。
 二人に尋ねるとまた面倒なことになるような気がして、俺は我が身を掻き抱いた。記憶にある昨夜までの自分の肌より心持ちすべすべしたそれが今は一層忌々しい。
「……1155日働いて320万? ウソだろ……年間で割ったら百万ぽっちにしかならねえじゃねーか! それじゃあ何か? 1155日連続勤務!? それで231日休み? ンな馬鹿な!」
「大丈夫よ。制服が支給されたんだもの、土民だったころよりも身体がずっと頑強になってるわ。ちょっとやそっとのことじゃ疲れたり壊れたりしないから不眠不休で働ける。それに休憩時間だってちゃんとあるもの。休憩時間はいつ取っても構わないし、好きなことしていいわよ」
 俺はよろめいてがっくりと地面に膝を付いてうなだれた。
 サンガツが頭上から「パンツ見えてるよ」と声を掛けていたが、もはやそんなことはどーでもいい。
 すると不意にニモツがメガネの奥からサンガツに鋭い視線をぶつけた。
「それで? 研修もすっとばして、初日の今日はこの新人に一体どのような仕事を?」
「ああ、害虫駆除よ。この間退治したのにまたわいたの。超絶クレーム来ちゃったからさっさとやらないとね。ほんっと、お役所さまってうるさいわあ」
 ほら――とサンガツが崖の下を指したので、俺は膝を付いたまま地面を少しだけ這って、崖の下を見下ろした。
「が、害虫?」
「大丈夫よ。デキる女神がもうちゃーんとワナを仕掛けておいたから!」
 えへん、と胸を張ったサンガツが右手を翻すと、彼女の手首が淡い色に輝いた。くるくると手首を回すと、辺りに落雷のような轟音が響き渡る。
「な、なんだ……なんだ?」
 心なしか暗くなったような気がして、俺は周囲を見渡した。刹那、俺の視界の端に飛び込んできたのは、虹色の雲の隙間から垂れ下がる大きな輝く鎖。長い長いそれが天から海面のその下にまで伸びている。
「あ、なんなものさっきまで何も……」
「馬鹿ねえ。ワナが目に見えたら仕掛けにならないでしょ。海の中に生き餌をまいておびき出しておいたのよ」
 目を凝らすとにわかに海面が騒がしいのがよくわかる。黒い影が無数に海面近くに蠢いている。轟音と共にまるで錨のようにそれが引き上げられると、餌を追ってその黒い物体が幾匹も幾匹も海面を飛び跳ねた。
 骨組みだけの檻のような球体に、無数に食らいついているのは大きな魚のような生き物だ。大きさだけながらシャチほどもあるかもしれない。ゴツゴツした固そうな鱗が龍のそれのように輝いているのがわかる。おまけにまるでトビウオのように大きく鋭い胸鰭で海面を叩きながら仕掛けた餌に鋭い歯で喰らい付いているその姿は、俺が見知った《魚》なんて生易しい生き物とは思えなかったけれども。
「ははあ……あれですか。まったく厄介ですな」
「そうなのよ。放っておいたら海の中でまたすぐ繁殖しちゃう。今度こそ根絶やしにしなくちゃね」
「ですが……彼には少々荷が重い仕事では? 右も左もわからない新人にいきなり実践経験なんか積ませてもいいことなんてありゃしませんよ」
「だーいじょうぶよ! 何事も経験ですもの。あたしが一緒に同行してあげるんだから、心配ないわ」
「そんな調子だからいくら新人入れても逃げられるんですよ、うちは。それでなくたって、PM屋の神さまになんて今日日なり手がいないのに・・・・・・」
 そばではブラックな現場にありがちな会話が繰り広げられていたが、生憎俺はニモツやサンガツの言葉もほとんど耳に入らなかった。
 とにかく眼下で繰り広げられている激しい捕食活動に汗も出てきやしない。青く美しい海は大きな生き餌の檻が引き上げられた周囲だけぼんやり色を変えている。
「あ、あんなものを……退治する? ウソだろ……害虫って……む、虫じゃねえじゃん……」
「それに、万が一のことがあったって労災もおりるんだし心配ないじゃない? 時間はたあっぷりあるんですもの。そのうち慣れるわ」
「大丈夫だろ、ニモツ。神さまは死なねえ」
 フォルテが軽く笑いながら俺を見る。
「おええええ!!! 信じられねえ!!! なんっちゅうブラックな会社だ、ちっきしょおおおおおお!!!!」
 自分でも未だ聞きなれないその女声は、カペー領の遥か外域の果ての更に端っこにあるという第四十二ペトルシアン領にほんの僅か響き渡った。
 


 記念すべき俺の神様アシスタント、初日の第一日目。
 ちなみに、今日の勤務はあと1154日残っている。

                            (おしまい)


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