未だ治療法が確立していない「奇病」との戦い。
ちょうど一か月ほど前
この道を通った夜だったかと思います。
松島や…ああ松島や…松島や…
などと、北海道に居ながら
松島を詠う独創的な発句が炸裂し、どこまでも続く赤いテールランプが綺麗でした。
大雪が降ったという訳ではありませんでしたし、車が長い列を作っているという訳でもありませんでしたが、
これだけは確かでした。
何でもないような事が幸せだった。
ということです。
そんなことより、こんな経験ありませんか?
例えば、夏休みの初日。
・家族と遊びに出かけないと!
・友達と遊びに行かなければ!
・家でゴロゴロしなければ!
・家でゴロゴロしなければならぬ!
・いや、家でゴロゴロすべきだ!
・ゲームやマンガ、アニメ、映画もいいな、ドラマもいいなぁ
「いや、むしろ、家でゴロゴロする事が今考えられる最重要課題でありコミットすべき問題だ。」
と、いうような
「圧倒的な当事者意識」による「責任感に溢れ、洗練された夏休みの過ごし方」が真っ先に思い浮かぶなんていう経験。
私はあります。
不本意ながら、人は時にこれを「だらし無い」と表現しがちですが、実はそんな事は無いのです。
なぜなら、自身の心と身体を癒すための施策を能動的に打ち出すというのは生存戦略として人間には欠かす事は出来ない重要な手段だからです。
人の性であり、責務であります。
松雪泰子も佐賀であり、美人であります。
ゴールデンゴールデンカムイの家永カノを実写化するならば間違いなく松雪泰子でしょう。
彼女のような女性を私は浮世離れ系女子と呼んでいます。
現実味の無い雰囲気を纏う人、というのは何か惹かれるものがあります。
つまり、何が言いたいかと言うと、
一旦、夏休みの宿題はやらない。
という事です。
正直、夏休みの初日に宿題を終わらせるなんて事は正気の沙汰とは思えません。
奇病の話しに戻りましょう。
ここから、私が抱える
「未だ、治療法の確立していない奇病との戦い。」
真実を明かそうと思います。
まず、
人が、人生を生きるに当たって最も
重要なこととは何なのでしょうか?
(いきなり深いテーマ来た。)
家族
仕事
恋愛
趣味
などなど、色々とあると思いますが、
私の推測では、
少なくとも、夏休みの初日からエンジン全開フルパワー全身全霊で持って「家でゴロゴロする」事では無いという事です。
どう考えても、早めに宿題を終わらせた方が良い。
どう考えても、少しでも勉強する時間を作った方が良い。
頭では分かっていました。
宿題やらなきゃ…と…
しかし、心が叫びます。
宿題は危険だ。
着手すべきでは無い。
むしろ、バカになる可能性だってある。
私は心に従いました。
その結果、バカに育ちました。
まずい、、、、、、
こんなはずじゃ、、、、、、、、
これは、、、病だ、、、、、、、、
奇病だ、、、、、、、、、、、、、、、
不可避だ、、、、、、、、
そうです。
私は、すべき事や、期限のある事が目の前に現れると、なにか違うことし始めてしまうという「奇病」に侵されているのです。
最近はその形を潜めていた私の奇病(おそらく遺伝的な要因が大きい)が再発してしまい、朝も昼も夜も切なさによって胸が痛んでいます。
恐ろしい病です。
保険は効くのでしょうか。
だがしかし、ナゼ、
そのような恐ろしい奇病が再発してしまったのか。
実は、それには、深い、深い、
訳があったのです。
それは、「約1ヶ月前」に再び発生した
異常事態パート2
が原因です。
ウェブメディアなどを通じてネット界で超有名な「ある方」にTwitterを通じて認知を頂き、応援までしてもらってしまったのです。。
to be continued…
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